Track.4-16「いやいや、寧ろこっからだよ」

 瞳美ちゃん、ごめん。ごめんなさい。


 どれだけ懺悔したところで、この想いは届かないだろうけれど。

 あたしは君を置き去って、立ち上がって前に進むよ。


 都合いいあたしを、君は呪っていい。


 今度あたしが君と出逢うなら、その時は必ず――



 今度?



 あたしは何を――




   ◆



「――もしもし、――あの、……森瀬です」


 退院した森瀬芽衣は、一か月もの間放置されていたアパートの自室に戻ると、まず1階に住む大家に詫びた。

 自殺未遂なんかしてごめんなさいと頭を下げた芽衣に、大家である老年の女性は要領を得ずにぽかんと口を開けていたが、芽衣がもう大丈夫ですと続けると、何かを察して彼女の小さい身体を抱き締めた。


 部屋に入りカーテンを引き、日差しを中に引き入れると、芽衣は意を決してスマートフォンの着信履歴を漁ってその番号にリダイヤルした。

 コール音が4回鳴り、5回鳴り、6回鳴り――7回目で、その女性マネージャーは電話に出た。


「あの、――はい。もう、大丈夫です」


 翌週、事務所にて話し合うことになった芽衣は、心臓に小さな痛みを感じながらそれを振り払う。

 アイドルはもはや憧れではなく、彼女にとって自らが勝ち取った居場所だった。

 それを放棄した責任を果たさなければならない。もう一度迎え入れてくれれば僥倖だが、そうならなくてもいっそ潔いと芽衣は考えた。


「笑えなくてもいいよ、でも笑えないままなのはダメだ」


 その話し合いに同席したプロデューサーはそう告げた。

 その言葉は、これまでのことを語る芽衣の言葉に篭った熱量に中てられてのものだった。

 アイドルは、歌えなくてもいい。踊れなくてもいい。笑えなくてもいい。

 世の中には、そんな人たちだって沢山いるのだからと。

 そして、そんな人たちに、勇気を与えるのも、背中を押してあげるのもアイドルだからだと。

 だから、今はそうであってもいい。でも、ずっとそのままではいけないんだと。


「君が変わろうとしている姿に衝き動かされて、勇気をもらう人たちがいるかもしれない。その人たちに対して、君が変わらないままじゃダメだ。変わろうとする経緯や経過が、人の心を衝き動かすけど、それでも結果が伴わないのは依存でしかない。君は、君の姿に勇気をもらう人たちのために、その人たちだけのために、この先ずっと、ずっと頑張れますか?」

「――はい。頑張ります」


 芽衣の活動再開は、週明けのダンスレッスンからとなった。また活動再開の報告と芽衣のこれまでのことに関する発表については慎重に議論がなされることにも。

 特に家族のことについては、芽衣がまだ未成年であることもあって、身元引受人や後見人の決着がつかない限りは公表せず、また芽衣自身も今現在彼女の状況を知っている人を除き、他言しないよう双方に取り決めがなされた。


 事務所での話し合いの翌日、芽衣は退院後の検査も兼ねて常盤総合医院を訪れていた。付き添いの安芸茜とは、連絡先を交換し合ってすでに友人という関係になっていた。

 検査が終わり、中庭のベンチで常盤美青と再会した芽衣はこれからのことを報告し、丁寧に頭を下げた。美青はその報告に喜んだが、直後困ったような笑みを見せる。


「それで……咲ちゃん、って子のことなんだけど」


 美青の語る言葉は、咲の消えた日に聞いた言葉と同じだった。

 咲、あるいは夷という人物がこの常盤総合医院に入院していた事実は無いと。彼女はそう告げた。念のため過去を遡って調べてみたが、と美青は付け加えた。

 大丈夫です、ありがとうございますと謝辞を述べ、再度頭を下げた芽衣は手を振って踵を返す。

 “空想上の友達イマージナリィ・コンパニオン”かもしれない、と述べた美青に喚き散らしたのは、あの日だけで十分だと。


 そしてエントランスで茜と合流した芽衣は、再びあの百合の丘へと赴く。

 道中茜は、芽衣に自分の身の上話を聞かせた。茜にとってそれは、いつか芽衣の身の上話を聞いたお返しのつもりだったが、芽衣はその意図以上に受け取った。


 実家の空手道場で鍛錬を積み、しかし幼い頃には体格で勝っていた友人たちがやがて自分の背を追い越し、彼らに力で押し負けるようになっていったこと。

 成長するに従って自分が“女の子”として扱われるようになっていったこと。

 自分という器の中に存在する“性”が、外見と合致していないんじゃないかと悩んだこと。

 同じ性を持つ同級生に恋したこと。揶揄からかわれ、非行に走ってしまったこと。


「……もしかして、自分を殺したくなった?」


 茜は首を横に振る。

 そして自分が身体と心の違いを受け入れられたのは空手に立ち返ることが出来たからだと話した。

 空手の根底にある、武器を手に持たない弱者が強者の蹂躙に抗うという理念に心を突き刺されたのだと。

 ならば自分は女性の身で、男性のように力強くはなれない身で強くなろうと。

 弱い者をが弱い者の身で強くなる、そのような武術を磨き、ゆくゆくは教えたいと。

 茜が腐らずに自分を受け入れられたのは、空手のおかげだからと。


「恥ずっ」

「恥ずかしくないよ。いいじゃん」


 そして百合の丘に到着した彼女たちは、あの日見た夕焼けと、まるで同じ夕焼け模様を見せた空に感動し、芽衣は少しだけ茜の胸で哭いた。


 もしもこれが映画なら、エンドテロップが表示され、そしてエンディングテーマが流れただろう。

 しかしそれは森瀬芽衣の“これまでの記録”だ。勿論続きがあり、涙を拭うイメージを持つリリィや鼻を啜るイメージを持つ葛乃の感動を他所に、時間は流れていく。



『いやいや、寧ろこっからだよ』


 茜の思念が反響し、登校と下校を繰り返す芽衣が自宅で振付動画の自主トレーニングに励む姿が映し出された。


 久方ぶりにレッスン場に訪れた芽衣は、入口でマネージャーと合流する。

 すでに一期生と二期生のメンバーは揃っており、スタッフから「お話があります」と聞かされ、そわそわと浮足立っていた。

 やがてマネージャーに連れられて、レッスン着に着替えた芽衣が顔を出すと、一瞬騒然となりながらもすぐに静寂が場を支配した。


 まず芽衣は、グループに迷惑をかけたことに頭を下げた。そしてスタッフに促され、自分語りを始めた。

 それは簡潔に纏められていながらも、メンバー一同にとてつもない衝撃を与えるものだった。

 何よりTシャツにジャージ、名前が書かれたビブスという出で立ちの彼女は、左腕を露出している。そこに刻まれたいくつもの傷痕が、彼女の物語が事実であることを証左していた。


 話が進むにつれて、メンバーの中には感情移入し泣き出す者も現れた。

 芽衣自身も話すにつれて嗚咽が言葉に混じるようになり、家族がいなくなって自殺をした経緯を話す頃には、何度もつっかえて言葉になっていなかった。


「――頑張れ!」


 その声を発したのは、二期生のホシ藤花トウカだった。

 芽衣と同じ東京都出身であり、芽衣の自主練によく付き合っていた彼女こそ、あの日彼女に手を上げそうになった張本人だった。


 それを発端として、芽衣にいくつもの言葉が降り注いだ。

 頑張れ。

 頑張って。

 頑張ってください。

 メンバーたちは口々に芽衣を励ました。


 深呼吸を繰り返し嗚咽を噛み殺しながら。

 そして芽衣は、自殺をした経緯と自ら緊急通報をしたこと、運ばれた病院で記憶喪失になったこと、それを取り戻したことを掻い摘んで話した。

 その姿はまるで、巨悪に立ち向かうために奮起した、勇者のようだった。



『――咲ちゃんのことは言わないんだな』

『まぁ、ようわからん存在やもんね』



 すでに全国ツアーの始まっていたRUBYルビのレッスンは、次の公演ステージでの場当たりが殆どだった。

 芽衣は部屋の端っこで彼女たちが踊る姿を眺めながら、休憩になるとタオルや飲み物を配った。

 週末の本番でもそれは変わらなかった。舞台袖でメンバーに労いや励ましの言葉をかけたり、スタッフに混じって演目の段取りを手伝った。

 相変わらずその表情に笑顔は無かったが、表舞台でキラキラと汗を輝かせる彼女たちと同じ情熱を宿していた。


 6月に入り、芽衣はRUBYルビの看板番組の収録に参加した。メンバーとして加入してから一度も踏まなかったスタジオに今いることの不可思議さが逆に面白く、他のメンバーが準備をしている間、復帰報告を別撮りした。

 家族や自殺のことについては、芽衣本人の希望もあり、公式サイトで自署の手紙という形で7月、別撮りをした復帰報告の回に併せて公開する運びとなった。現時点では5月16日に活動復帰、というコメントだけが載っていた。

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