Track.4-12「可愛いなぁ、芽衣ちゃんは」
夢の中で、あたしはやはり殺された。今度は頭を思い切り掴まれて、水の入ったバケツに押し付けられた。
影は完全に拭い去られていないけれど、影のように何処までも黒い髪の毛を視認した。
やっぱりだ。
やっぱりあたしはあたしを、一番×していた。
暗転。
ゲームブックも大詰めだ。
主人公は国の外縁に近い村で
嵐の夜の雷に怯えるほど気弱だけれど、友達にも恵まれ、森の動物たちにも心を許されていた。逆に無邪気で快活な幼馴染は、時折
しかし国の掟で、
今年は、主人公の幼馴染が選ばれてしまった。
主人公と幼馴染は抵抗し、国外へと逃亡するため森の奥を抜ける算段をする。そしてその森を進む道を選択する、という冒頭だ。ひどく、懐かしい。
しかし森の中腹の開けた場所で白い魔女が現れ、幼馴染を守るために主人公は戦う。
負けイベントだからどう頑張っても魔女に幼馴染を奪われてしまうんだけど、そこで主人公は魔女を打ち倒す勇者になる決意をするのだ。
そんな主人公の元に、賛同する二人の仲間――戦士と魔法使いが現れ、最初は三人で旅をすることになる。
ノート1冊目の終盤でバトるケンタウロスの王戦は、ひょんなことから遭遇した賢者と一緒に戦うんだ。戦士と魔法使いとは別行動をしている中での戦闘で、賢者も仲間というよりは外から援護してくれる感じだから実質一人で戦うことになる。
でもある程度ケンタウロスの王にダメージを与えたら、賢者の秘術でケンタウロスの王の防御力ががつんと下がって、後半戦に突入する。
ノート2冊目は合流した戦士と魔法使いを連れて、賢者の下で修行する話がメインだ。
そしてノート3冊目は物語の前半のクライマックスである
ノート4冊目は
そしてノート5冊目は、いよいよ国の中心で白い魔女に立ち向かう。
冒険の途中で手に入れた聖なる武器や秘術、それらを駆使して魔女を打ち倒し、幼馴染を取り返してハッピーエンド。
どれも、図書室や中庭で咲と一緒に温め、二人で纏め上げた渾身のアイデア・ストーリーだ。
あたしは
4月も半ばとなった午前10時の青空の下、真夏めいた太陽の日差しを真っ向から浴びながら、玉のような汗も気にせずにあたしたちは議論に熱中した。
ふと、どうしてあたしは笑えないんだろう、なんて気になることもあるけれど。
そんな時は、あたしの代わりに咲が笑ってくれるからいいんだ、と思うことにしている。
咲は誰かさんの入れ知恵によって、あたしが笑えないのは咲があたしの分まで笑ってしまっているからだ、なんて言ったけれど。
考えようによっては、それってすごく素晴らしいことなんだ、って思う。
「それにしてもあんたってさ、すごく物知りだよね。何か記憶術とかやってるの?」
あたしは読書灯の下でノートにペンを走らせながら、以前から感嘆していたその知識量の秘密を訊く。
「何かしてるも何も、わたし今まで見聞きしたこと全部覚えてるよ?」
「え?」
あっけらかんとそう告げた夷に、あたしは驚嘆して文字の羅列を止めてしまう。
「わたしって元々、生まれついた頃から記憶力が良くてさ。今まで見聞きしたことは全部覚えてるの。だから本とか一回読んだら、どこに何が書いてあるか全部思い出せるし、それこそ一語一句間違えずに暗唱できるよ」
いきなり明かされる、友人の秘密能力にあたしはあんぐりと開けた口を閉ざせない。
「それってさ、……嫌なことも全部覚えてるってこと?」
「まぁ、そうだね。蓋はしてるけど、匂ってくるよね。だからさ、それに耐え切れなくなって、咲を守るために咲とわたしに分裂したの。ほら、わたしって意地悪いでしょ?咲って人物のいい部分を咲が、悪い部分をわたしが担当するようにしたの」
最近読んだ発達心理学の本に書いてあったことを思い出す。
子供は誰だって、叱られた時、怒られた時、嫌なことがあった時――それを押し付けるための“もう一人の自分”を作り出す。多くの子供はそれを意識しないけれど、それが異なる“人格”として現れる場合がある。
勿論、そうじゃない全然別の人格が現れることもあるのが解離性同一性障害――多重人格だけれど、でも基本的にあたしたちは、あたしたちが許せない・抗いがたい怒りの捌け口としての自分自身をいつか作り上げている。
捌け口としてのあたしは。
どんなことを思って、過ごしてきたんだろうか。
目の前の夷は。
どんなことに傷ついて、どんな言葉に泣いただろうか。
「あんたさ……」
思考が纏まらないまま、脊髄反射で声をかけたあたしは、何でもない微笑みを向ける白い少女の影に、続く言葉を必死で探した。
「辛く、ない?」
でも結局は、慰めたり、勞ったりの言葉なんて出てこなくて。どうしても出てきてくれなくて。
自分の語彙力を呪ったのは、そんな他愛のない質問を口にした直後だった。
「辛くないよ――だって咲が笑ってくれるから」
そんな問いに即答する、けらけらと笑う夷。
あたしは胸の奥がズキリと痛んだ気がして、眉根を寄せて目頭に熱が込み上げてしまう。
「何?泣いてくれるの?わたしのために?」
すると弱みに付け込むように、夷は肉薄してあたしの泣きそうな顔を下から覗き込んでくる。
急に恥ずかしくなったあたしは何かを発そうとしたけれど、でもどうしても言葉が思い浮かばなくて困惑してしまう。
そして夷は、そんなあたしをいきなり抱き締めて、頭を撫でてくれた。
「可愛いなぁ、芽衣ちゃんは」
「……
「じゃあその涙、
そして、いきなりあたしの両頬を掴み上げて顔を正面に向き合うと、あたしの左目尻に小さくキスをしたんだ。
「は――?」
「美味しかった。おかわり」
次いで、右目に唇をつけようとする夷を押し退けて、あたしは思いつく限りの罵詈雑言を並べ立てる。
顔は勿論のこと、不意のマウス・トゥ・アイのキスに、体まで熱くて堪らない。特に、キスされた左目が。
「あはははは」
転げてしまうほど笑い声を上げる夷は、あたしの語彙力の乏しい罵詈雑言を聞き流しながら、やがて悪魔のような微笑みをあたしに向ける。
「ありがとね――」
その表情が何故かどこか寂しそうに思えて――
「あのさ、」
あたしは、つい訊ねてしまう。
「あたしが退院しても、また会ってくれる?」
そして夷は、水面に投じられた波紋がやがて収まるように、静かにその笑みを収めた。
「ごめんね。正直言って、無理だと思う」
「え、……あ、そっか。もしかしてあんたたちの方が、先に退院する?」
「そうじゃないよ」
「じゃあ、――何で?」
口を噤み、そして再びその淡い桜色の薄い唇が上下に裂かれる。
言葉が漏れるまでの静寂は、まるで永遠のように思えるほど長い。
「まだ先だと思うけど――わたしたちはいずれ消えちゃうの」
「消える……?」
「そう。消える」
どうして、何で、消えるって何、と訊こうとしたあたしは。
だけれど、それを訊いてしまえばいつかを待たずにその時がすぐに来てしまいそうな気がして。
その儚い表情を、見送ることしか出来なかった。
「またね」
「……うん、――またね」
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