Track.2-14「さぁ、遊ぼうぜ――」

「ここじゃ分が悪い、移動するぞっ!」


 茜がそう言い放つと、無言でただ頷いた芽衣は建物の淵を蹴って隣の屋根へと跳び移る。

 静寂の中、衣擦れと靴音、そして歴戦の勘を頼りに鬼の猛撃をいなし続けていた茜は、街灯の明かりが届かない現在の髙い建物の上は不利だと悟り、足場や周囲が十分に見える低い建物へと移動することを決めたのだ。

 芽衣もまたそれを十分に感じていたし、茜とは“戦友”である。こと戦場において茜がどういうことを考えるかは持ち前の直感力もありよく分かっていた。


「逃がさねぇぞ!」


 二人の遁走を鬼は許さない。地面を強く蹴り、ジグザグに跳躍と疾走を続ける二人の背中を追いかける。


 氾濫し上昇した水位は、建物の一階部分を完全に飲み込んでいるような状態だ。

 そして屋根の上は“パルクール”で逃げ切るにはやや開けすぎている。

 走りながら覚悟を決め込んだ茜は、肩を並べる芽衣に目で合図アイコンタクトし、隣接した建物の窓ガラスを蹴破って侵入した。芽衣もまた茜がぶち開けた窓枠を跳び越えて屋内に侵入する。


「おいおい、そいつは愚策だぜ!」


 少し遅れて、ガラスの割れた窓枠に飛び込んだ鬼は、散乱したガラス片をパキパキと踏み鳴らして立ち上がると、建物内の様子を伺う。

 目に賦与された【暗視オウルサイト】はアパートの一室の内観を昼間のように映し出す。


 誰も寝てなどいないベッド。

 開け放たれ、一着の衣服も収められていないクローゼット。

 写真の無い写真立て、それを載せるアンティークの棚。

 

 敵影の無いことを確認した鬼は、気配を伺いながらドアノブを回し、寝室ベッドルームのドアを静かに開く。

 こういった狭い屋内で最も気をつけることは部屋から違う部屋へと移動する際に敵襲を受けることだと知っている鬼は、まずはドアだけを開け、続く部屋リビングの様子をまずは眺めた。


 強襲も無ければ気配も無い。

 嘆息し、耳を澄ませると、玄関を超えた先で何やら物音を傍受キャッチした。

 即座に鬼は玄関にたどり着くと、鍵の開いたままのドアを開け、廊下へと躍り出る。

 先の方で、階段を駆け下りる音が聞こえる。

 廊下奥の階段の手摺から身を乗り出して階下を確認すると、見慣れた訓練着ジャージがさらに階段を駆け下りていく姿が視認できた。

 すぐに手摺を飛び越えて階段を落下するように二階層分降りた鬼は、足元が仄かに濡れている二階の廊下を駆ける。

 眼前――およそ10メートルほど先では、茜が廊下の端の手摺に上り、それを蹴って隣接する屋根付き橋に跳び移ろうとしていた。


「芽衣っ、先に行け!」


 鬼の接近に気付いた茜は手摺の奥、屋根付き橋の方へと声を放ち。


「待ちやがれぇ!」


 鬼は吼えて常人とは思えない速力で駆けるも、その茜は一歩早く手摺を蹴って屋根へと避難する。

 広い運河を渡る屋根付き橋は、その屋根がところどころ抜け落ちており、橋自体の明かりが足元から漏れて照らされている。

 水位の上昇した水面はその照明が照り返り、この橋の周囲だけ幻想的な明るさを放っている。


(この辺りでいいか――)


 橋のおよそ真ん中へとたどり着いた茜は立ち止まり振り向く。

 中央が高くなるように緩い傾斜を持つ橋の屋根を駆け上がってきた鬼は、佇むその姿に警戒し足を止めた。

 そして、この場に芽衣がいないことに狼狽し、慌てて周囲を見渡してしまう。


「もう一人はどこ行った?隠れているのか?」

「さぁね、何処だろうね。まぁでもこのゲームは“隠れんぼ”じゃなくて“鬼ごっこ”でしょ?何でもいいけど。さぁ、遊ぼうぜ――」


 好戦的な笑みを浮かべ、右足を引いて踵に重心を乗せ、突き出した左手は五指を伸ばし、軽く握った右拳を腰に据えて。


「――“空の王アクロリクス”」


 特有の構えで茜は、自身の異術を解き放った。


   ◆


 更衣室で心ちゃんから黒曜石を受け取っていて良かった。


「分断されないとも限りませんから、先輩にはこれをお渡ししておきます」


 差し出されたのは三つの黒曜石の粒だ。ビー玉程度の大きさで、それぞれ楕円形、三角形、菱形と形が異なっている。


「楕円のは“闇に蠢く黒い風となれヨワリ・エエカトル”を込めています。闇に紛れるのと、身体性能を上昇させる効果があります。でもどちらかと言うと隠密機動スニーキング用なので、そこまで向上するわけではありません。でも暗視と霊視も同時に賦与されますから、最悪先輩一人になってしまった時でも大丈夫だと思います」


 三角形の石は【闇は剣と魔を排せよネコク・ヤオトル】という術が込められており、解放することで身体が強固な障壁バリアーを纏う効果がある。

 菱形の石には【豹紋の軍神となれテペヨロトル】という術が込められており、こちらは完全に戦闘に適した身体性能の向上を誇ると言う。


「何だよー、オレにはくれないのかよー」

「安芸さんにあげたって無駄じゃないですか」

「ちぇっ」


 安芸はそう返されることを知っていたようで、舌を出してけらけらと笑っている。


「心ちゃん、ありがとう」


 あたしはそう言って黒曜石を訓練着ジャージのポケットに仕舞う。

 心ちゃんはあたしの謝意を受けて頬を紅潮させうっとりとしていた。――いつからこんなコになったんだっけか。出会った当初は、あたし以外の人に接するように全然素っ気無い感じだった記憶がある。


「先輩」


 そしてあたしの両手を握り、心ちゃんは真っ直ぐにあたしの目を見て宣言する。


「出来る限り、先輩がそれを使わなくてもいいように動きます。でも、使わざるを得ない状況が訪れたら躊躇なく使ってくださいね」


 あたしは真面目な顔でその言葉に頷きを返す。


 それにしても宝術というのは便利だなぁと思う。宝石に魔術を予め込めておくことで、魔術を使えなくても“霊銀ミスリルに意思を通す”ことさえ出来れば、まるで自分の術のように使うことができる。

 心ちゃんが言うには、宝石と魔術の系統に相性があるために、何でもかんでも込められるわけじゃないし、行使する毎に宝石を消費してしまうからお金がいくらあっても足りない、ってことだけれど。


 そんなことを考えながら、あたしは闇に溶けながら跳び渡った街灯から跳び上がると、近くの建物のベランダの手摺を掴んでさらに跳躍した。

 窓ガラスを破り入ったアパートの階段で、あたしは茜に追従せずに階段を浸す水の中に隠れ、鬼が通り過ぎるのを待っていたのだ。

 黒曜石を割って【闇に蠢く黒い風となれヨワリ・エエカトル】を発動させておけば、明かりの無い階段の水中に潜むあたしを、鬼は感知できないだろうと踏んでの作戦だった。

 安芸は少しだけ渋っていたけれど、あの鬼を倒すことが出来ることを信頼しての作戦だと伝えると了承した。

 向上した心肺機能で通常よりも長く息を止めていられるあたしは、水中で鬼が通り過ぎ、安芸の声に釣られて怒号を発して廊下から屋根付き橋へと跳んで行ってから一分は待った。

 その後は静かに水から上がり、廊下の端から屋根付き橋の上で対峙する二人の姿を確認すると、大通りを等間隔に並ぶ街灯の上に跳び渡り、二人から離れるように移動を再開したのだ。


 心ちゃんがくれた黒曜石で強化された今の身体なら、5メートルほどの間隔も難なく跳び移れるし、霊銀ミスリルを視る霊視の力も宿っているから出口ゴールの場所もおおまかに分かる。


 このままの方角に進めば、出口ゴールは近づく筈だし、その途中で心ちゃんとも合流できるだろう。できなかったとしても、あたしがそのまま到達ゴールしてしまえばいいだけだ。あの鬼なら、安芸に任せて全く問題は無いと思うし。


 問題があるとすれば――四方月さんが果たして今どこにいるのか、ってことだけだ。

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