Track.1-19「でもあたしが囮になったところで、」

 鉄扉を押し入って大聖堂のような場所に辿り着いた時。

 あたしは、いくつもの人の形をした燐光の集合体に目を奪われた。

 あの廃れた地下鉄のエリアで見た壊れかけた照明のように存在感ごと明滅しながらそれらはゆっくりとあたしに近付き、やがて手を伸ばして抱き締めてきた。


 あたしは一瞬身構え――直ぐに身体から緊張を振り払った。

 これを待っていた、と。“もうひとつ”の実証に打ってつけのこの状況を、と。


『――どうして』

『何故、私なのか』

『――どうして』

『何故、お前じゃないのか』

『――どうして』

『どうして死ななければならなかったのか』

『――どうして』

『どうして――お前はこんなにも、生きているというのに』


 無数に反響する『どうして』は、あたしの身体に溶け込むと脳裏を揺さぶり、そして意識と身体の境界を引き剥がす。

 抱き締める腕が皮膚に食い込んだかと思えば、それは徐々に浸透し、支配権を剥奪された自由な身体を奪おうと入り込んで来る。


 ――違う。


 遅すぎる直感が、制止の声を心の中で叫びあげる。

 これはあたしを××する行為じゃないと。これは、駄目だと。


 ――やめて。嫌だ、やめろ、やめろ!


「森瀬ぇっ!」


 声とともに飛来する、風を切る太刀音の残響。

 失われた熱が再びあたしの身体に灯り――もじゃもじゃ髪の濃いイケメン顔が、焦心と安堵とを入り混ぜて目の前で歪んでいた。


「……四方月、さん?」

「――お前、ふざけんなっ!素人のくせに一人で何やってんだっ!?」

「あ……ごめん、なさい……」


 涙の代わりに声を漏らして。

 段々と鮮明になっていく意識は――しかし、自身に対する悔しさと愚かしさ、そして恥ずかしさを、生来のどうにもならない性格が捻じ曲げて言葉にする。


「――ってか、あたしちゃんと一人で行くよ、って言ったし!だいたい四方月さんがあたしみたいな素人置いて寝入っちゃうのがダメなんじゃん!」

「んなっ――お前、ブッ殺されてぇのか!?」


 その言葉がさらに撃鉄のように、あたしのごちゃ混ぜになった荒ぶる感情を暴発させる。

 という禁句に振れた心が暴言を吐き散らかす。


「ブッ殺されたらブッ殺し返すよ!」

「上等だ!やってみろよ!」

「じゃあブッ殺してよ!」


 おそらく自分たちの身体を斬り祓うことの出来る戦士の出現に戸惑い、怯み、しかし命を欲す逡巡に動けなかっただろう異骸たちは、やはり命を貪りたい根源的な欲求を殺しきれずに、静観から臨戦態勢に移る。


「……喧嘩してる場合じゃ無さそうだ」


 お守り代わりの蜂鳥を刃を解除して渡してくれるその丁寧さに込み上がった気恥ずかしさであたしは気持ちをどうにか切り替える。


「アレ、どうやって斬ったの?」

「また別の、“斬術”って系統の魔術だ。俺は初歩中の初歩しか使えないがな」

「じゃあ四方月さんが持ってた方がいいんじゃない?」

「……そらそうか」


 そうしてあたしが蜂鳥を返そうとしたところで、は起きた。


 まず受け入れられなかったのは、盛大どころかけたたましく鳴り響く不快の旋律。否応なしに恐怖感と絶望を引き出されるようなパイプオルガンの演奏だ。困ったことに奏者がいないものだから、どうやって止めればいいか判らない。

 そして、その二つのパイプオルガンに挟まれた形で位置する台座から伸びる、白い十字架にはりつけにされた青白い人型のオブジェが、律動し、透き通る異骸たちを取り込み始めた。

 肋骨あばらぼねが肉を突き破って胸部が縦に割けた大きな口のようになり、異骸を取り込む度に肉が膨れ上がり――そうして最終的に、蜘蛛を思わせる尖った六本足を持つ鎧の騎士となったソレは、新たに口開いた顔の無い白い面で叫びを上げ、どうしてそうなったのか一切理解の出来ない、元は白い十字架だった黒い槍を構え、あたしたちに突き出してきた。


 距離は15メートル程は――それこそ十分に空いていたはず。

 それなのに、跳躍一つで肉薄し、太く尖鋭な槍の穂先を捻じ込もうと突き出すその攻撃を避けることが出来なかったあたしは――【座標転移シフト】の魔術であたしごと瞬間移動した四方月さんに助けられた。


 また、救われることしか出来なかった。


「……はやすぎる」


 四方月さんは青白い幻獣を凝視したまま視線を逸らそうとしない。

 その表情は、地下鉄の廊下で対峙した融合異骸キメラデッドの時でさえ見せなかった、抗いたいのにその突破口を見出せていない、という表情だ。


 転移した先が、大聖堂の二階部分にあたる、内壁をぐるりと囲む回廊ギャラリーだったからか、あたしたちは幻獣の動向を欄干越しに隠れ見ることが出来た。

 あたしたちがいた場所の後方の壁を盛大に崩し、何ならあたしたちが入ってきた高さ3メートルを越す巨大な鉄扉の片方をひしゃげさせた後で、幻獣は微塵になったはずの敵影の無さに異変を感じたか周囲をゆっくりと眺め回している。


「森瀬――」

「わかった」


 脊髄に直結した直感が脳を介さずに断定する。振り絞るような懇願の声音。あたしが出来ること――それを四方月さんが認識していることは唯一つ。


「まだ何も言ってないだろ――」

「でもあたしが囮になったところで、どうやってアレ仕留めんの?」


 半ば言葉を遮るように発せられたあたしの指摘は図星だったようで、四方月さんは薄く目を細め歯噛みしながら眼下の幻獣を睨み続ける。

 あたしの予想では、四方月さんは十分に休憩を取れていないはずだ。あの道程みちのりをあたしを追い掛けて来たのだとしたら、せいぜい多くて15分といったところではないか。


 歯痒い。待ち望んだ戦いの場で、こんなにも己の無力さに打ちひしがれることになるなんて思っていなかった。

 それでもここはもう戦場だ。自分に与えられた手札カードで戦うしかない。


 最悪――あたしには、もうひとつの異術がある。発動しなかったらそれまでだけれど、発動しさえすればこれ以上ない勝利で締め括れる。

 問題があるとしたら、それは、それを四方月さんが快諾なんかしてくれないだろうってこと。


「さっきみたいに、二分も持たない。たぶん、出来が良くて一分持つか、ってところだと思う」


 立ち上がりながら、右手の指で左腕の傷跡をなぞるように引っ掻いた。剥がれた瘡蓋から、待望していたかのように鮮やかな緋色の雫が滴り落ちる。

 その匂いを察知したのか――それとも、雫から羽虫の生まれる霊銀ミスリルの揺らぎを感知したのか――幻獣は振り向き見上げ、槍を持つ右腕を高く掲げた。


 驚愕は目を丸く見開かせる。

 台座から抜けて浮かび上がり槍へと変貌した時と同じように、それは幻獣の掌の上で黒い球体に収縮したかと思うと、四方に飛沫を上げて変異し、半月型の弧を描く十字架型の弓のような形状フォルムに収束した。

 弦の張られていない十字の弓を構える幻獣。左手を弓の中央に添え、弦を引き切るような仕草を見せると、弓から合計四本のトゲが伸び――射出された棘は、咄嗟に横っ飛びに跳んだあたしたちのいた回廊の足場を崩す破壊力を見せつけた。


「換装とかそんなんアリかよっ!?」


 四方月さんの怒声を聞きながら回廊を転げ、体勢を整えようとする頃にはすぐにまた棘が放たれる。

 幻獣アレはきっと、高い回廊に到達する手段が無いのだろう。だから遠隔攻撃に転じたのだ。

 幸いにも棘の速度は先ほどの槍での突撃に比べると段違いに遅い。ただ、矢継ぎ早だ。攻撃の間隔が短すぎる。何かをしようにも、それを考えるいとまを与えてくれない。


「森瀬――跳べっ!」


 四方月さんが叫ぶ。目を合わせ、その意図をあたしは瞬時に汲み取る。

 膝をついた回廊で起き上がると同時に壁を蹴って破壊される直前の欄干に飛び移りそれを蹴って――何も無い、ただ天井から降り注ぐ輝きだけが存在する大聖堂の中空に、あたしは大きく跳躍をした。

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