降りしきる街

奥田手前

降りしきる街

 眠い。猛烈に眠い。ということはつまりだ。身体が、睡眠を欲しているわけだ。それに抗うのは健康上良くないことだ。きっとそうだ。

 目覚ましのスヌーズはもう切ってしまったけど、そろそろもっと優しい目覚ましが私を起こしにきてくれるはず。

「起きなさい‼︎」」

 予期せぬ来訪者に私は飛び起きた。母さんがズカズカ部屋に押し入ってくる。

「私は今とても眠くてですね...それに抗うのは健康上どうかなぁ...なんて...」

「グダグダ言ってないで早くする!」

 いつも私を起こしに来てくれる優しい父用に寝ぼけた脳が用意した理論武装など、この鬼嫁にかかれば瞬殺である。

 というか、母さんが起こしに来たってことは...。 

 私が黙らせた時計は父さんの出勤時間をとっくに過ぎていて、私も登校時間に間に合わないことは明白だった。


 母さんも仕事に行ってしまったから開き直ってゆっくり準備をする。こういうことは結構よくある。

 私にはルーティーンにしていることが三つある。

 一つは朝のテレビの占いを見ること。

 いつもは家を出る直前に見るのだけれど、今日みたいに遅刻する日ご飯をかき込みながら。

『今日のラッキーアイテムは...雪です!ホワイトクリスマスになるといいですね!』

 そう、今日は十二月二十四日、クリスマスイブだ。テレビ局の気持ちは分からなくもないけど、雪ってアイテムだろうか?どうやって用意しろというのだろう。

 大体さっきの天気予報で全国的な晴れだと言ったくせに。そういえばあの気象予報士は申し訳なさそうな顔をしていた。ラッキーアイテムを発表した元気だけが取り柄の女子アナも、ヤケクソで叫んでいるように見えてきた。

 よし、今日はこれにしよう。

「今日雪が降ったら、アイツに告る!」

 これが二つ目のルーティーン。

 学校に行く前に、鏡に向かって起きそうにないことが実現したら告白すると宣言すること。


 担任の福田は、怒鳴るのに疲れたのか嘆いていた。

「相神ぃ、二学期の最後くらい遅刻するなよ...」

 項垂れるとハゲが眼前にきて吹き出してしまいそうになるのでやめて欲しい。互いのためにだ。

 教室には誰もいない。

「とりあえず早く体育館に行け」

「え、なんで?ザビエル」

 本当に体育館に行く理由が分からなくて、思ったことをそのままことばにしてしまった。

 タメ口にか、あだ名にか、わたしのバカさ加減にか、多分その全部に対する怒りを込めて宣教師は叫んだ。

「終っ業っ式だろうがぁ!」

 私はザビエルが元気を取り戻したのを見届けて体育館に向かった。


「やっぱ奈津美か」

 小学生の頃からずっと出席番号一番の私は、さすがに校長の話の途中に整列の一番前に行く勇気はなくて最後尾にいた。理由はそれだけではないけど。

「ザビエルの絶叫、体育館まで聞こえたよ」

 コイツだ。遊佐龍馬。出席番号が最後で、田舎特有の何人もいる幼馴染みの一人。だけど私にとっては特別な人。

 何年も一緒だけど、ちゃんと好きだと自覚したのは半年くらい前だと思う。     

 小学生の頃から一緒に帰っていて、これが三つ目のルーティーン。

 一度皆にからかわれるのが嫌でもうやめようと言ったことがある。龍馬は心底不思議そうに「なんで?」と尋ねた。その顔を見てたら冷やかしとかがどうでもよくなって結局一緒に帰った。次の日学校で私たちを散々冷やかした連中が「お前達の愛は本物だ」とか訳の分からないことを言ってきて、私達は付き合うより先にクラス公認のカップルになってしまった。

 そういうやりとりに動じない龍馬を不覚にもカッコいいと思ってしまった。

 そういう扱いをされるたびに友達だと言い張ってきたけど、いつしかその言葉は自分に言い聞かせるものになっていた。次第にそうじゃないと叫ぶ声の方が大きくなって今に至るというわけだ。

「今日も一緒に帰るよな?」

「うん」

 このやり取りにトキメキよりため息が勝るようになってしまったのはいつ頃だろう。

 天気予報が外れるなんてことはよくあるわけだけど、もしかしたら告白するなんて緊張は私の中にはない。

 きっと雪は降らない。


「待った?」

「いや全然」

 部活が終わる時間は決まっている。私がいる陸上部も龍馬がいるバスケ部も時間ギリギリまで練習だから、本当に待っていないのだろう。

 一緒に帰るとき、特に話したいことがないなら黙って歩くのがなんとなくルールになっていた。沈黙が気まずいなんてことは私達の間にはない。

 雲ひとつない空が、この街を余計に寒くしている気がする、

 やっぱり雪は降らないだろう。

 思わず苦笑が漏れる。これはこれでいいじゃないか。雪が降らなくても。イルミネーションも星も月も輝いていて、それはきっと寒いほうが美しい。凍てつくような夜に幻想的で暖かい光を放つからこそ、人はそれにどうしようもなく惹かれてしまうんだ。

 雪が降らなくても月が綺麗だからいい。

 今日だけじゃなくこれからも、ずっと告白することはない気がする。でもそれは多分、そんなに悪いことでもないんだ。

「月が綺麗だね」

 私が何の気なしに放った言葉に龍馬はなぜか動揺したようだった。

「月な、月...うん、綺麗だと思うよ、俺も。つーか俺の方が綺麗だと思ってるって言ってもいいというか...ん?そういうことだよな?」

 慌て出したと思ったら、急に私に疑問を投げかけてきた。一体何がそういうことだと言うのか。

「そう言うことって?」 

 龍馬は大きくため息を吐き、髪を掻いてわかりやすく肩を落とした。聞き返した私に説明する気はないらしい。ますます訳がわからない。

「なぁ、奈津美の今学期の英語の評価なんだったっけ?」

 なんで今そんなことを聞くんだろう。大体通知表が返されてすぐ互いに見せあったのに。

「二ですよ、二」

 私の成績が悪いなんてわかりきったことじゃないか。

 龍馬は少しの勉強で要領よく点数を取るタイプで英語の評価は5だった。つまらない豆知識もちゃんと覚えているから先生達にはウケがいい。

「奈津美がザビエルの授業まともに聞いてる訳ないもんな」

 愛しき宣教師はバスク語ではなく英語を教えている。ちなみに真言宗。

 慈愛に満ちたザビエルの声が私を眠りに誘うのだから仕方がない。

「私はバカで居眠り常習犯ですよ、どうせ」

「いや、奈津美がバカだって忘れてた俺がバカだった」

 字面だけ見れば結構な侮辱だけど、龍馬は本当に自分に呆れているようだった。

 変な空気のまま私の家に着いてしまった。龍馬の家もすぐそこだ。

「とにかくな、今夜は月が綺麗だと俺は思う。だから、家に帰ったら月が綺麗ってスマホで調べてみて欲しい。家に帰ってからでいいから」

今日の龍馬は本当に変だ。あんまり冷静じゃないし言っていることがいちいちわからない。

「じゃあ、また」

 あぁとかうんとか、曖昧な返事をした龍馬に背を向けたときだった。

 白い欠片がひとつ、空から舞い降りた。

「雪だ」

 声があまりにもぴったりと重なって驚いた。一人で呟いたような、でも心が通じたような不思議な感覚。

 でも、どうして?相変わらず雲のない空から、雪はどんどん降ってくる。

 雪は路面に触れても溶けることなく積もって行き、辺りを白く染めてしまっ

「誰が...?」

 私の投げかけた問いに龍馬は答えようとした。

「今夜はクリスマスイブだから...」

「サンタクロースだって言いたいの?」

 セリフの後半を奪った私に龍馬ははにかんで頷いた。

「そうだったらいいなって思うよ」 

 思わず私は笑ってしまった。なかなか笑うのをやめない私に龍馬は少し不機嫌そうな顔をする。

「うん、私もそうだったらいいなって思う」

 私の顔をじっと見つめてから、今度は龍馬が笑い出した。さっきまでの変な空気も雪が覆い隠してしまったみたいだ。

「あのさ」

 今夜は月が綺麗だから。今夜は雪が降ったから。

「龍馬に言わなきゃいけないことがある」

緊張する。でもきっとうまくいく。だってサンタクロースまで応援してるんだから。

 上手くいかないはずがないじゃないか。

 

 



 


 



 

 

 

 

 


 

 


 

 

 

 

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