第4話 痛みは雨とともに

 四本の赤い鎖が少年の腕に吸い込まれていく。

 やがて鎖はひとつの別の形をとり始めた。ゆっくりと膨らみ、黒と赤のまだら模様がぐるぐると回転し混ざり合い、ひとつの傘の形になった。黒地に赤の三日月模様の傘だ。

 少年は傘をくるくると回転させると、ぱちんと閉じた。


「……さて、どこからしよう。……説明」


 ……今、何が起きたんだ?

 いや、今までにも散々妙なことは起こってたんだけど、これは決定的だ。

 鎖が勝手に動いて集まって、傘の形に変化した……?


「その傘……お父さんのだ」


 リンゴはそう言った。




 ◇◆◇◆


 第四話「痛みは雨とともに」


 ◇◆◇◆




「えっ?」


 リンゴが何かを言った。俺は思わず間抜けな声を上げる。


「お父さん?」

「うん、あの傘、お父さんの……あっ」


 リンゴは「しまった」とでも言いたげな顔で俺を見た。俺に言いたくなかったことなんだろう。


「……何」と少年。

「いや、あのな。お前の持ってる傘が」

「その子には言わないで!」


 リンゴが大声で俺を制した。少年が大きくため息をつく。


「そいつにも飲ませて……この薬。……通訳、面倒」


 少年は懐からもう一つ錠剤を取り出した。万語翻訳薬バンゴホンヤクヤクとかいうやつだ。俺はそれを受け取る。


「なんかさっきから、傘がどうとか言っててさ」

「わかってる。……飲ませて」

「あ、うん」


 俺はリンゴのほうへ行く。


「リンゴ。これ、飲んでくれ」

「なに? これ」

「これを飲んだらあいつの言葉がわかるようになるんだ」

「そんなこと、ある?」

「ああ。実際、今俺がそうなってるし」

「すごい技術だね。でも、うーん」


 リンゴは腕を組んで何やら唸った。


「ごめん。やっぱりまだ、信用できない」

「えっ?」

「言っちゃったから、話すけど――私、ずっと前からあの廃神社にいたの。お父さんを探すために」

「……」


 俺は廃神社にあった寝袋を思い出す。


「お父さんは雨が好きな人だった。雨が強く降る日に、お父さんはあの傘を持って出ていった……。お父さんはあの傘のことをすごく大事にしてた。

「飲ませて……薬」と少年が急き立てる。

「他の人に傘を渡すはずない。あの子が何者で、ここがどこなのかわからないけど。私はあの子を信用できない」

「そ、そんなこと言っても、言葉がわからないんじゃ不便すぎるだろ。あいつも今から俺たちに説明しようとしてくれてるし――」

「お願い、パールくん」


 リンゴは俺をしっかりと見つめていた。


「譲れないの。これだけは。パールくんには迷惑かけるんだけど……今はパールくんが通訳してくれないかな」


 俺は何も答えられなかった。

 リンゴの強い決意は、事情を知らない俺でも理解できた。だから……


「パールくん、お願い」


 俺は頷いた。

 やっぱり、リンゴは変わった。昔はこんなに自分の意見を真っ直ぐに言う子ではなかった。

 俺が知らない八年間で、いろいろあったんだな。

 少年に向き直る。薬を少年の手に押し込んだ。


「……何」

「ごめん。薬はいらない。今は」

「……わかっ、た」


 少年は薬をまた懐にしまった。


「結構……いる。そういうひと。だから……大丈夫。変わらない……し。やることは……」

「やること?」

「うん……。ここで……やる。……選別」

「選別?」

「来た人はみんな、やってる。……通過儀礼」

「そうか。何をすればいいんだ」

「開く……の。……これを」


 そう言うと少年は足元に落ちていた安っぽい傘を俺に投げてよこした。

 生地は白いがところどころ汚れ破れていて、しかもよく見ると骨もいくつか曲がっているように見える。


「これをか?」

「……うん」

「その子、なんて?」とリンゴ。

「傘を開けって」

「傘を? 折り畳みなら神社の中にあるよ」

「折り畳み傘でもいいのか?」と少年に訊く。

「どっちでも……。でも……大きい傘のほう……が、いい。……見やすい」

「そうか。じゃあこれでやるよ」


 俺は傘を開こうと力を籠める。だけど、まあ壊れてるんだろうな、傘は開かない。


「これは壊れてる。開かない」

「……開く」


 少年は断言した。


「……素質があれば絶対に……開く。もう一人も、やって」

「傘を開けるのに素質も何もないと思うが」


 俺はリンゴに傘を渡す。リンゴも同じように傘を開こうとしたが、当然開かない。


「な?」


 俺はリンゴから傘を受け取りながら、首をすくめてみせる。


「……僕には……ある。素質」


 俺は持っていた傘を少年に差し出してみる。少年は受け取ると、傘を開いた。

 ……開いた? そう。目の前で傘は、なんなくするりと開いた。そして、生地がぐにゃっと変化する。さっきとは逆だ。今度は、変化ヘンゲ。そしてすぐに鎖は傘に戻った。少年はぱちりと傘を閉じる。


「……なるほど」


 驚くタイミングを逃した。

 というか、さっきから、妙だ。歯車人間が動いていたり鎖がはいずって絡みつき傘に変化したり即効の翻訳薬があったり。

 少年は「ここは異世界だ」みたいなことを言ってたけど、それは本当なんだろうか……。いずれにせよ、リアクションを取るタイミングを完全に逃してしまっている。


「ねえ、さっきから気になってたんだけど。すごい技術だね」


 リンゴも同じようなことを考えていたのか、そう言った。


「だな。あ、そうだ。じゃあ、そっちの傘で試させてくれよ」


 俺は少年が持っているもう一つの傘――黒地に赤の三日月模様の入っていた傘の方を指さして言う。


「そっちなら開けられそうだ」


 ついでに、リンゴにこの傘を確認してもらおう。本当にリンゴの父さんの傘なのか……。正直、傘なんてたくさんあるから、これが本当にリンゴの父さんのと同じものなのかは疑わしいもんだ。


「これは、ダメ」


 少年は後ろ手に隠すようにして三日月の傘を持つ。


「はは、なんでだよ。いいだろ、減るもんじゃないし……開ければどの傘でもいいんだろ? その傘だってじゅうぶんデカいじゃないか」

「この傘は、ダメ。これは……形見カタミ

「カタミ?」

の……形見」

「形見?」とリンゴ。「形見って、なに? その傘のこと?」

「そうらしい」

「……それじゃ、お父さんは――」


 リンゴは俯く。


「待てリンゴ。まだそうと決まったわけじゃない。第一、本当にリンゴのお父さんの傘かどうかわからないだろ」

「分かるよ。その傘はだって……世界に一本しかないんだもん」

「渡せ……ない。形見、だから」


 少年はぎゅっと傘を握りしめている。


「師匠は……!」

「お父さんがその傘を他人に渡すはずない。『俺が死んだら傘も棺桶に入れてくれ』って、そう言ってた」

「僕だけが持つ、傘なんだ」

「やっぱり、その子、信用できない。お父さんはなんで死んだの? もしかして――」

「僕、だけが、持っていて、いいんだ!」

「ちょ、ちょっと待て二人とも」


 俺は両手を広げる。


「興奮しすぎだ。本題から逸れてる。俺はただその傘を貸してくれないかなと思っただけだ。ムリならそれでいい」

「違うよ、パールくん。ここが本題なの。私にとっては」


 リンゴは少年側に一歩前に進み出る。


「さあ、パールくん。通訳して」

「……何をだ」

「その傘……紅奴ベニヤッコをどうやって手に入れたのか。私のお父さんはなぜ死んだのか」

「師匠は、師匠だ。紅奴ベニヤッコは師匠がくれた」

「初対面のヤツにする話じゃないだろ。落ち着けって、リンゴ。お前もだ」

「もういい。終わったから、選別」と少年は冷ややかに言い捨てる。

「なんだ、いいのか?」

「うん。……殺す。素質のない、ひとは」

「ん?」


 少年は三日月の傘……紅奴ベニヤッコを振り上げ、開いた。たちまち紅奴は鎖に変化する。少年の両手に絡まりつき、そしてたちまちのうちに伸びてリンゴの四肢を絡め取った。


「あああああっ!」


 リンゴが苦しげに呻く。


「なにしてる!」


 俺は少年に詰め寄った。


「今すぐ離せ! リンゴは悪いヤツじゃない!」

「悪い、悪くないを決めるのは……僕。君たち、は、素質がない……から、殺す」

「なんだよ、それ……!」


 素質。

 少年はそう言った。傘が開ければ素質がある、と。

 となれば、この場面を打開するには傘を開くしかない。


「くそっ!」


 考えてる暇はない。俺はさっき開けられなかった白い傘を探す。地面に落ちている。拾い上げ、渾身の力を込めて開けようとする。だが開かない!


「くそおおおっ!」


 俺はさらに力を籠める。

 俺はいつ死んでもいい。でもここでリンゴが死ぬのは……それだけは絶対に違う。

 リンゴは変化し続けている。自分の目的のために進み続けている。そんな人間が、死んでいいはずがない!


「リンゴ! くそ、待ってろ……!」


 俺はリンゴに駆け寄る。鎖は頑丈で、やはり取り外すのは困難だ。


「リンゴ! 傘を持て!」

「えっ、何!?」

「いいから! いちかばちかだ!」


 俺はリンゴに傘のハンドルと持たせた。そして俺は押し上げる部分を持つ。

 二人なら開けられる。咄嗟の行動だったが、俺はなぜか確信をもってその行動に移っていた。


 メキメキ……!

 傘が軋み始めた。唸っている。骨が唸り、カタカタと揺れている。


「いけるぞ! リンゴ、力を緩めるな!」

「う、うん!」


 俺は目をつぶり全力を込める。肩の傷から血が漏れ出しているのを感じる。

 メキ、メキメキ!

 壊れるんじゃないかというくらいの音を出しながら、傘はついに開いた。

 開いた! 開いたのだ!


「やった!」


 俺は思わずガッツポーズをした。そして目を開く――。

 だが、俺の手元には傘の押し上げる部分と生地の部分だけがあった。

 そして、リンゴの手元には、ハンドルだけ。

 ……傘は、壊れてしまったのだ。


「……これは、正解か?」


 俺は少年を見る。少年は……口の端をゆがめた。


「…………正解」


 俺が持っていた部分が、眩しく光った。


「なんだ!?」


 次に目を開けると……俺が持っているのは、剣の鞘のようなものだった。

 変化ヘンゲした!

 理屈はわからんがとにかく、やった!


「よっしゃあ!」

「ねえ、ちょっと、説明がほしいんだけど……」


 リンゴは息もたえだえといった様子でそう言う。

 リンゴは手に剣を持っていた。

 つまり、俺たちが開けた傘は『剣と鞘』に変化したというわけだ。


「……君たちには、あった……んだ、素質」


 リンゴを縛っていた鎖たちがほどけて消える。そして少年の手元に消え、また鎖はベニヤッコに戻った。


「……ひとりひとりには、なくても。君たち……二人に。……歓迎するよ。二人とも」


 少年は俺に手を差し伸べた。何が何だかわからないが、俺は少年と握手をした。


「よろしく。俺はセンジュ」

「……僕は、クロックス。……ようこそ、雨ふりしきる異世界……『ウェットラッシュ』へ」


 リンゴはそんな俺たちを、眉をしかめながら眺めていた。




 序章「俺たちは雨宿りをしていた」終


 第一章「卯の花は旅立ちを待っている」に続く

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