理屈を捏ね回す

 夜道だった。川辺だった。アスファルトと水音の間の短い野原で、ボク達は裸だった。向こう岸の更に向こう、遠くの方に、人類の文明発達の象徴である夜の街明かりがあった。そういった人の横暴ぶりに呆れてか、月も星も姿を現していなかった。夏のように生ぬるくない、感覚を研ぎ澄まさせる春だった。

 ボクはくるりと踊った。

「どうして人類は性交という面倒な繁殖をするようになったんだ。そのクセ快感という機能を足して、溺れるようにも作られていやがる。洗練された選り好みによって、そりゃあデヴァアシティは出せただろうさ。本当に通年発情期という構築は必要だったのか。」

 青い、草の香り。蛙が鳴いている。遠い街明かりは彩色豊かにギラギラ輝いている。川が流れる音が微動だにせず聞こえている。座ってるあの人は何の気もなく言った。

「交わらないから、そんな煩雑なコトを言うんだよ。交わっちゃえばいいのに」

 ボクは反射的にあの人の髪を掴んだ。ボクと正反対の、柔らかい髪だ。暗い中であの人が少し痛そうにしている顔が見えた。刹那、あの人にしてもらったことや敬愛の情が飛び帰って来、ボクは背教者の思いで髪を離した。

 ボクの顔色はさぞかし悪いだろう。

 あの人は何も言わなかった。それが苦しかった。あの目に失望や怒りや悲観があるように見えて、あるならばボクを強く罰して欲しかった。

 あの人は林檎を食べ始めた。ここに来るまでにスーパーで買ったものだ。一個128円。あの人が林檎を齧る音が、流麗な旋律のように耳に届いてきた。

 あの人が噛み砕きながら、ボクを見上げた。こんな暗がりでも、あの人の目にハイライトが入り込んでいるのが見えた。

「……だからボクは、俗的な肉体に囚われない、死という高次な交わりを貴方としたいんだ。そういうの、悪くないと思ってるからボクと共にいるんでしょう?」

 認めたくはないが、ボクは追い立てられている気持ちだった。未だ青い自意識と、内に居る獣が、ボクを磁場によって押し出している。

「本当は死ぬ気なんてないんでしょう。こんな浅い川じゃ死ぬことなんて出来やしない」

 齧りかけの林檎を持ったあの人は美しかった。

「きっと始まりの人類も、こんな風だったんでしょうね」

 あの人に対して脈絡無く、ボクはそう言った。そしてあの人が持つ林檎を齧った。指先ごと齧り取ってしまいたかった。

 唇から漏れた果汁があの人の脚を汚したことを、見なくても分かった。皮の硬い食感。林檎の香りが鼻に抜ける。甘さと酸っぱさと、特有のさっぱりとした味が口腔を駆けていく。味わった残骸が喉奥へと流れていく。

「でも、本当は林檎じゃないとか」

「舐めて」

 あの人が不機嫌に言って、畳んでいた脚を伸ばした。この薄めの闇の中で、犬のように舐めて自分の後始末をしろという御命令だ。ボクは草に埋もれるようにして、太腿に顔を近付けた。

 蜜に似た匂いが鼻腔をくすぐる。ちろ、とボクはひとまず舌を動かした。甘い。太腿の筋肉の弾力が、ボクの舌を押し返してくる。ボクはこの皮膚の下にある、鍛えられた肉に想いを馳せた。味覚と嗅覚を頼りに、こぼされた天然のジュースを舐め這って取り去りゆく。滑らかな肌の感触。場所を移すにつれ、生き生きした骨の存在を感じ取ることもできた。冷たく接するような骨の固さが、ボクには心地良かった。ボクの頭の上であの人は林檎の続きを食している。あの人はボクより器用だから、汁を落とすことはない。ボクの舌は腰に程近い所に行くことになった。頬に当たるあの人の陰毛が、すこしくすぐったい。

「もういいよ」

 御主人たるあの人の許しが出た。ボクは上半身を起こした。次にボクの唇を割って、あの人の指が押し入ってきた。甘い。手にも果汁が伝っていたようだ。指はボクの口の中に林檎の残り香を拭い着けると、ボクの中から去って行った。

「あんなに瞳(め)を緑にして私を欲しがったくせに」

「………………」

「おいで。本当はこうしてほしいんでしょ。抱き締めてあげる」

 あの人は両腕を広げてボクを誘った。表皮の奥の暖かさ。肌と肌の密着摩擦。それを得られたらきっと凄く快いだろう。だけども。

「駄目なんだ、ボクは、駄目なんだ……。」

 またもや二つの意識に弾かれて、ボクは立ち上がった。背筋を天に伸ばした勢いのまま、後ろの川に落ちて流されてしまいたかった。

「いつか気付ける日を待っててあげるね」

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