第13話

「いったい君の家はどこにあるんだ。そろそろ足が棒になる頃合いなのだけれど。」

いままで夜特有のひんやりとした空気が鼻から口、気道を通る感覚を心地よく味わっていたので、疲労という感覚に気づくには随分と遅かった。

「もう着くよ。ちょっと待ってて。」

彼女はそういうとどんよりと暗い雰囲気を醸し出す右手の方へと曲がり、その奥にある大きな木の前で止まった。シルエットでしかその木の姿を確認できないが、4階建てのビルほど大きく、辺りを土に塗れた根で張り巡らせていた。僕はうっかりコケてしまった。彼女の家も青年の家と同じ様式のようだ。違うところを挙げるとすれば、それは本の量であった。彼女の有するであろうあらゆる本の帯が壁というパズルを一つ一つ当てはめてくかのように敷き詰められているその光景は僕を驚かせることなど実に容易であったに違いない。これほど多くの本を有する人間は僕の知る限りでは父と祖父しかいない。僕には父の本を読み漁る時期があった。さまざまなキャラクターの出てくる小説が苦手なので、あまり長編小説は読まず、短編小説ばかりを読んでいた。いつかはトルストイの「戦争と平和」を読んでみたい所存である。

 彼女はローブを地面に放り投げ、部屋の中央にある鼠色のソファに飛び込んだ。少々傷があるが、それでいて高級感を醸し出している。

「残念だけれど、あなた用の椅子は準備してないわ。お客さんが来るとは思わなかったから」

彼女はソファのそばにある例の赤い液体の入ったビンのフタを開けながら、

「本を椅子代わりにするといいわ。大丈夫、椅子代わりになる本はあり余るほどあるから自分の高さに合わせてくれてもいいよ。」

問題はそこではない気もするが、僕はそばにある本棚から本を数冊か取り出し、革のカバーの本を座面にして腰掛けた。座った途端に疲労を思い出したかのように眠くなってしまった。コーヒーを飲みたいところだが、おそらくここにはないだろう。もしここで目を覚ましたら、僕は最初にコーヒーを淹れることにしよう。僕は本の椅子を崩して長方形に並べて本のベッドにし、そこに寝そべった。寝心地は悪いが、地面で寝そべった昨夜よりは随分とましだ。

「ところでさっき君の喋っていた話ってどういうことだい?」

「成長が止まった話?」

彼女は顔をソファに埋めながら、

「そうね、魔法っていうのは確かに便利だけれど、正直竜でも代用できるというところがポイントね。昔、高校の授業で聞いたのよ。人間ってあまりにも完成された環境にいると、変化しなくなるの。いまこの環境こそ完成された世界なの。竜っていう生き物は食料にもなれば、飲み物、ましてや乗り物にだってなれるわ。少ない餌でも十分長生きできるから、森林破壊につながる可能性もないわけ。」

「確かに竜が完成された生き物ってことはわかった。けれど人間はどうだろう。僕はその話を聞いたとき、少し疑問に思ったな。人間こそ欲望で生きる生き物なのだから、食べものをもっと増やそうという欲が芽生えるはずだよ。竜だってデカい生き物だから僕だったらもっと小さな食料と気軽に飲める飲み物があればいいのに、って思うよ。それに安定したから変化しないという点も疑問だね。古代ギリシャの時代だって、暇な人間がいたからこそ、娯楽として数学が生まれたわけだ。いまこの環境が安定と呼べるのなら、魔法という学問が発展しても不思議ではないはずだ。仮に不安定ならそれこそ発展を求めるものだろう。人間は安定を求めつつも、実際は不安定もとい変化を求め続ける生き物じゃないのかな。」

「そうね、あなたの考えは間違いではないかも。でも、それは前の世界の話。この世界の人間はちょっと違うのよ。明日くらいにはそれがわかるはずよ」

「それじゃあ、明日を楽しみにしておこう。―そういえば君はさっき『授業で聞いた』って言っていたね。それってつまり―」

僕はそこで言い切るのを止めた。彼女が寝ていたからだ。僕は深呼吸をして、寝ることにした。

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