第9話
青年のとめどなくあふれる好奇心の滝に僕はうんざりしていた。最初こそ満足はしていたが、やがてその快感も飽和を迎えて、下降を始める。青年の質問というのは子供のように単純な質問ではあるが、答えるのが実に難しい。
えい、今度はこの青年を困らせてやろうと僕は彼に面倒な質問をぶつけてやることにした。僕はあまりにうんざりしていたもので、「ですます」口調を使うことを忘れていた。
「というわけで、僕らの世界では『科学』という魔法を開発したから十分に発達できたんだ。」
「いや、本当に面白かったよ!最初こそ君のことは不審者と思っていたのだけれど、君は実に面白い!それでね、その数学というものについて―」
ここで僕は待ったの合図を出すことにした。こればかりは僕にとって絶対に彼を止めなければならない。というのも数学に関しては彼を納得させるほどの知識など持っておらず、今までの曖昧な解答では通用しないと判断したまでのことである。
「いや、こんどは僕から質問させてもよいだろうか。数学を知るということは世界を知ることに直結するものだからね。これからじっくりと時間をかけて説明することにしようじゃないか。」
赤点の常連客にしてはなかなか生意気なことを言うものである。青年は口をすぼめて少々不満げな様子ではあったが承諾してくれた。
「なるほど、君の要求も最もだ。だけど一旦今日は寝て、明日の夜に質問を聞くことにしよう。これから仕事があるんだよ。」
「仕事って?」
「警備だよ。まぁ、いうなればただの散歩なのだがね。アイツと竜に乗ってぶらぶらするんだ。」
「夜は危険だって昨夜言ってたじゃないか。」
「あれは君を庇いながら戦うのが難しいからそう言ったまでさ。」
好奇心の芽の成長を妨げられた彼はいまだに不機嫌な様子であった。これほどの探究心を求める人間は見たことがない。もし元の世界にいたらアリストテレスに並ぶほどの偉人になれるかもしれない。
「僕はどうすればいい」
「俺の家に泊まればいい。そうだ、鍵を渡しておこう。」
鍵はいびつな形で先端が槍のように尖っている。僕は彼と別れて家に向かうことにした。空は黄昏を帯び始め、山々の峰にのみ淡い光を残す。高い建物が少ないおかげで青紫色に染まる地平線を覗くことができる。家は月桂樹の近くにあった。昨夜の人物は夜に月桂樹の元に来いとは言ってはいたが、夜とは長いものであるから、いつここに来ればよいか検討がつかない。それに月桂樹とは言ってもどの月桂樹なのだろう。恐怖の感情に揺さぶられていたせいで失念していた。仕方がないのであの人物に会ってからあの家に戻ることに決めた。見つけたら詰問してやろうと考えていたが、その計画はすぐに破棄されることになる。
「あら、ずいぶん早いのね。あなたのことだから遅れて来ると思っていたのだけれど。」
その人物は野分めいた風の先にいた。昨夜とは違い、空に消えてしまいそうな声ではない。空に屹立するあの首長竜のようにはっきりとした存在感を放つ声であった。
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