終の住処で肖る夜を

終の住処で肖る夜を

 黒い空に、夥しいほどの灰色が掛かる。彼女は、再び空が黒一色に染まるその時まで、静かにその一連の出来事を見守っていた。例え、そのために涙が出ていても彼女は構わなかった。彼女はただ、彼と眠るその家が鮮やかな赤色に染まっている事を、美しかったよと、彼に伝えてみせたかった。

 

「僕はね、死ぬという方法を試したいんだ。」

 

 落ち着いた声で、嘘も本音も織り交ぜた彼が、笑ってそんな事を彼女に告げた。孤独を幸とする彼がやりそうな事だと、彼女も笑って耳を傾けた。

 

「そうなれば私は、あなたの肉体がこの世からなくなった事を悲しいなと、実感するのでしょうね。」

 

 彼がまた笑ってそれを聞いていた。それは彼女の返す言葉を、初めから分かっていたかのような顔だ。否定はしないんだな。と、少し残念そうに笑って空を仰いでいる。悲しそうな顔にも見えたが、言葉を当てはめるなら笑っていたと言えるだろう。全く、どれだけ言葉を交わしても、彼は何を考えているのか分からない相手だと彼女は思った。

 

 そんな彼とのやり取りを思い出すうちに、燃え上がる建物には群がる人が増えた。野次馬が時々、可哀想にと言った。もう助からないなという声や、まだ若いのにと、彼を惜しむ姿まで見せた。ただ、どれだけ惜しむ声を聞いたところで、彼が戻る事は二度とない。煙もまた、空に勢いよく立ち昇る事を続けていた。

 

 炎が、

  ひたすら彼を奪っていく。

 

 彼女は思った。

奪うこの音が彼の望みであり、彼の意思であり、彼の願いであるのだと。彼女は自分にそう言い聞かせて耐えなければならなかった。

 

 彼の弱さを守るための炎が、

 彼の願いを叶えるための炎が、 

何故、こんなにも涙を誘うのだろう。


 消防隊による懸命な消火活動の末、朝日の前には全てが幕を閉じていた。その頃には人の声も炎も鳴り止み、辺りはまた、静寂に包まれていた。しかしそれもほんの束の間、人の起きる時間になれば、まるでドラマのセットでも観に来るかのように、野次馬が次々と足を運んだ。

 

[人気俳優が自宅で焼身自殺か⁉︎]

 

 暫くの間は、彼の起こした事が、そんなタイトルをぶら下げて出回っていた。世間は悲しむというよりも、まるで興味本位で彼を知ろうと騒がしかったようにも思える。そんな紙切れの彼に、彼女もそろそろ見飽きている頃だった。

 

 彼女は彼を心の底から好きだと思っていた。

 そんな彼も、君は僕よりも永く生きていて欲しい。と彼女によく伝えているほど想いを寄せていた。彼の弱さを交えた声が、今でも鮮明に耳に残っている。泣かない事が精一杯だった彼が、今では和かに笑った写真として、嫌に目につくようにもなった。

 彼を愛する事が許された夜は一度だけだ。その夜以外は、彼に許されるという事は、一度として訪れなかった。彼女だけではない。次第に彼は人を寄せつけなくなっていった。世間が騒ぐのも、きっとそのせいなのだろう。その理由が明らかになる事はないだろうが、仮定の一つとして出回るだろうと彼女は思った。

 

 彼女は、笑う彼の写真を目の前に、また一つ彼の姿を思い描いていた。それは、愛し合った夜の最後に、彼が空想に耽るように言った言葉である。

 

「僕はね、死ぬという方法を試したいんだ。僕のやり方で、僕は僕を守りたい。大量の薬に体を漬けることで生かせるほど、僕は強くはないからね。この方法でなら、僕は事実を受け入れる事が出来るし、僕らしくあり続けるという僕の望みも叶うだろう。それにね、僕の願いは、僕が僕だと、自分を認識出来る中で意識を手放すという事なんだ。そもそも死ぬことが何故悪とされるのだろうか。死ぬという事は、人がやり遂げなければならない事だ。魂と肉体が離れる事を、単に死と呼ぶだけじゃないか。悲しいと言う相手の気持ちだって、所詮そのうち和らいでしまうものに過ぎないだろう。なぁ、君は僕の死について、どんな事を思うんだい?」

 

 体が動かない中で、口だけは相変わらず達者な人だと彼女は思った。確かに残された側は、いつの日か、気持ちにある程度区切りをつける事が出来る。それでも彼女は彼に気が付いてほしかったのだ。

 

愛おしい相手が、目の前に存在しないという寂しさを。虚無という影を。好きだという感情だけで、人から与えられる幸せがあるという事を。


 そうやって、彼に全てをぶつけることが出来ればいいと思っていた。思っていたのだが、彼女はこれ以上、彼を追い詰めるものにはなりたいとも思わなかたった。勿論悲しいが、そこまで悲しさを目立たせる事はしてはいけないと思っていた。寄り添うための優しさで、無闇に彼を傷つけてはいけない。自分の答えに、彼が笑ってくれればそれでいい。

 頭の中が煩いと思いながら、彼女はその答えを、どうにか短い文章にして彼に返す事が出来た。


 あの時の返答に間違えがないといいが。惚れた弱みというものは厄介だなと、彼女は一人きりに戻った部屋の中で涙を流して笑っていた。同時に、やはり守れる約束以外は口にしない方が良いようだと、胸に刻む事にした。


 辺りはまた静寂を保っている。


 もう、思い出し忘れたものはないだろうか。

 彼女は、ゆっくりと時間をかけて深呼吸を繰り返す。その度に、ツンとした臭いが、彼女の記憶をまた鮮明にした。

 夢にまで現れるようになった赤色が、何度彼女を責め立てた事だろう。煙に包まれた部屋の中で、彼が静かに涙を流して佇んでいる。そんな夢ばかりに、彼女も限界を感じていた。

 彼は、魂と肉体が離れる事を死だと言った。それならば、今この間だけでも、その魂が居てくれればいいと彼女は願った。

 

 途切れそうな意識を何とか引き留めながら、彼の部屋に撒き散らしたものと同じ臭いに、彼女は自分の罪と向き合った。

それは彼女の部屋を充満して、あちらこちらに今も漂っている。

 

彼の弱さを守った灯りが

また目の前で静かに揺れ動いる中で、彼女はゆっくりと意識を手放した。

 

 貴方を想って泣いた夜には

 貴方も同じ気持ちでいたのかもしれない。

 一時四十三分。

時計もまた、彼らと静かに針を止めた。














[人気俳優の妹。またも焼身自殺か⁉︎]


サイレンが鳴り止んだ翌日。

不謹慎な見出しが、その日堂々と新聞の顔となった。

 

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