片恋事情
夏、真っ盛り!!
突き刺すようなギラギラした太陽の日差しの下で汗をかくのは気持ちいい。
「な!?キクマ!!」
裸になって冷たい河の水に飛び込んでいたあの頃を思い出す。
いつも一緒に居る筈のキクマを振り返ったが其処にはキクマの姿は無かった。
キクマはこっちに来てから本当にナマグサになった。
涼しい魔法の部屋にお兄様と一日中こもって出てこない。
身体もさぞかし鈍っているのだろう。
折角の痛い程の陽射しが勿体無い!
真夏になって、桃姫さんも家に居てくれる様になった。
ナツヤスミなのだそうだ。
朝は山迄ランニングに出る。
朝露を浴びた草木の青臭い臭いを胸一杯に吸って家に帰る。
桃姫さんが起きていて、一緒にラジオタイソウをする。
桃姫さんが判子を押してくれる。
それから庭の草木に桃姫さんと水をやる。
たまにふざけてお互いに掛け合う。
これが一番愉しい。
それから朝食だ。
俺はたまに台所に立つ様にもなった。
俺手製の塩むすびとネギが沢山入った卵焼き。奮発したら鮭も付く。味噌汁はお婆様には敵わない。
桃姫さんが朝食を作ってくれる時はパンが多い。
パンの間にベーコンやレタス、目玉焼きが挟んである事もある。
あんこやイチゴのジャムと言った甘い物が挟んである事もあるから桃姫さんの朝食は凄く楽しみだ。
そして、パンの時は必ず牛乳を飲む。皆は珈琲だが俺はやはり珈琲が飲めない。桃姫さんが砂糖をたっぷり入れてくれた事もあったが無理だった。
皆で食べる飯は旨いが最近は俺と桃姫さんの二人で摂る事が増えた。キクマがお兄様に引っ付いて出てこなくなったからだ。
正直、これには俺も腹を立てていた。
人様の家に来て、人様の顔を拝まず飯だけ喰う等、不届き千番だ。
今日こそ一言文句を付けてやろう!と思っていた所に玄関から来客を知らせるチャイムの音がした。
この作り物の柑橘系の香りは閃吾だと察知した。
「やぁ!桃太郎くん!」
予感的中。
閃吾は香りと同じように作り物の笑顔を撒きながらやって来た。
「さっき、幸結と海行きたいねってラインしててさぁ、どうせなら桃太郎くん達も誘ったら愉しいんじゃないかって事になったんだよね。
行こうよ!」
閃吾はこんなに陽射しが照り付けているというのにそれに逆らうかのように色白のままだ。
「俺、河が良い。」
閃吾のテンションを叩き落とす様に冷たく言い捨てる。
「ここいらには河なんか無いよ!
すぐ其処に海があるんだから海行こうよ!
桃太郎くん、泳げない訳じゃないんだろ?」
(なんだと!?都会っ子舐めんな!)
「めっちゃ泳げるよ!足、付かなくてもな!」
後ろで桃姫さんが「桃太郎くん、格好いい〜!」と手を叩いてくれた。
「じゃあ良いじゃん!行こうよ!ね?」
閃吾は馴れ馴れしく手を掴んでくるなり顔を近づけてきて
「好きな娘に告白したいから協力して!」
小声で囁いてきた。
「好きな女子に告白位、海なんか行かなくてもドンと行けよ!」
腰に手を当て大声で反論する俺の胸倉に閃吾が縋り付いてきた。
「どうして言っちゃうかな?
男と男のヒミツにしといてよ!
コッソリ協力して欲しかったのに色々バレちゃったじゃん!」
相変わらずこいつ、面倒くさい。
呆れる俺の隣に桃姫さんがウフフと口元を押さえながら近付いてきた。
その後ろにはいつからいたのかキクマまで。
「聞いちゃった!聞いちゃった!
閃吾の好きなヒトとは誰でしょう?」
「誰だ?誰だ?言っちゃえイケメン!そしてイケダモノになっちゃえ!」
二人は口々に囃し立てる。
「…こう言う時の女の子ってロマンチックの欠片も無くすから嫌なんだよ…。」
心の中で閃吾に詫びた。
閃吾は長いまつ毛を伏せて言い難そうに
「サカタンが好きなんだ…。」
呟いた。
あの短髪の鼻筋の通った尖った顎の全体的にシャープな金太郎のお姫様だ。
自分の名前に姫が付いてるのを嫌がる、自分を女の子らしくないと言い切るサカタンがこの甘いマスクを好きになるとは到底思えなかった。(しかも、閃吾は全体的に色々残念だ。)
「サカタン、格好いいもんね!
判る、判る!
男子には絶対幸結の方が人気あると思ってたから意外だけど私は応援する!」
桃姫さんは、ひたすらはしゃいでいる。
「なんか、オマエ想ってたより好感度良いな!
違う女が好きなのに桃姫ちゃんのエロいモン想像したり出来るもんな?
アタシは好きだぞ?アハハハハハ。」
思い出したら腹が立ってきた。
「キクマ、黙れ。」
「だから!それは誤解だってば!
それは桃姫のブラジャーが透けて見えただけで…ギャーーーーイタタタタタ!」
「この眼か!?
この眼が悪いのか?」
俺は閃吾の両眼を親指で押さえ付けた。
「兎に角、協力してよ!
浜辺を二人で歩いて夏休みの予定合わす約束して、告白したいんだよ。
幸結は協力してくれるって!」
「もう幸結に話付けてるの?
なら今頃はサカタンにも行ってるかもねぇ〜。」
桃姫さんはそう言うなり、ポケットの中のスマートフォンを取り出した。
桃姫さんが幸結さんだかサカタンだかと連絡を取ってる間に閃吾が又顔を寄せてきた。
「桃太郎くんだって桃姫の水着姿、見たいでしょ?」
「ミズギって何だ?」
「え?鬼は泳ぐ時どんな格好してるの?」
「裸だよ。」
「じゃあ、菊美ちゃんと桃太郎くんはお互いの裸を見合ってる仲って訳!?」
いきなり大声で閃吾が指を差すもんだから思わず閃吾の口を塞いだ。
キクマは相変わらずカラカラと笑っている。
「桃太郎の裸なんか見るに値しないよ。
アンタより少しだけ筋肉付いてる程度で、鬼としてはまだまだピヨピヨ。
アタシのタイプにはチビ過ぎる。」
その言葉にもカチンと来たが青ざめたのは桃姫さんの見開かれた眼だった。
(ヤバイ、どうしよう。言い訳が思い付かない!!)
「鬼には『水着』という概念が無いのね?」
笑顔で質問してくれてはいるが心が籠もってない。
「アタシの心配は要らないよ?
桃オニィがアタシに似合う水着を買ってくれてて、水着プレイを楽しんでるから!」
(お前の心配なんかミリもしてない!)
キクマを睨みつけながら俺はどうすべきか考えていた。
「じゃあ、桃太郎くんには僕が水着を貸してあげるよ!僕達の仲じゃないか!困った時に助け合うのが友達だろ?」
厄介な奴だが居ると助かる。
俺は閃吾に肩を抱かれながら二人で笑い合って鬼倒の門から外に出た。
「は〜ん!頼むよぅ!桃太郎くん!
今日一日、サカタンと良い雰囲気になるよう協力して〜?夜、皆で花火しよう?
その時に出来ればキスしたいんだよ〜!」
二人になると閃吾は途端に女々しくなる。
しかしながら良い雰囲気で接吻とは破廉恥は健在だな。
「菊美ちゃんの『イケメンがイケダモノ』発言には参ったけど…嗚呼〜出来ればなってみたいよね〜。オレっちも男になりたいし〜。」
閃吾は落ち着きなく動き回りながらも何故か俺の手を握ったままだった。
「先ず、一人称をどうにかすれば?」
(聞いてるこっちが疲れるんだよな…。)
「でもさぁ〜、『僕』ってなんか軟弱じゃない?だからって『俺』って偉そうじゃない?」
じゃあ何で人前では「僕」なのか…。
「自分の呼び方なんかどうでも良いじゃん。
好感度上げようとする事無いと思うけど?
まぁ、好きなヒトには自分を良く見てほしい気持ちは判るよ。
でもそれにはありのままの閃吾を見せないと誠意が無いじゃん。」
急に閃吾が抱きついてきた。
「有難う〜!桃太郎くん!なんかちょっと自信持てた!僕は僕のままを見せてみるよ!ダメだった時は胸を貸してね?」
絶対嫌だけどね。しかも受け容れて貰える可能性も到底高いとは思えないし…。
閃吾はありったけの悩みと、今夜の予定を俺にひとしきり話してくれた。
閃吾の頑張りを応援したい気持ちにもなりながら、俺は今一番の悩み…桃姫さんが不機嫌を隠さない事への対処でイッパイイッパイだった。
海に向かう電車内では幸結さんとサカタンとキクマが大いにはしゃいでいた。
キクマはお兄様が選んだだけの事はあり、褐色の肌が映える真っ白の下着の上下の様な物を身に付けていた。
燃えるような赤い髪の毛を角の上で団子に結ってもらい余り目立たないようにしてもらった。
幸結さんも花柄の下着のような物を身に付けている。
水着とは下着とそう変わらない物なのだと認識した。
サカタンは上下が繋がった物を着ていたが鍛えてある腹筋は水着の上からでも判った。
桃姫さんは水着の上に長袖の服を着ているのでどう言うのを着ているか判らない、でもそれで良かった。
もっと桃姫さんの裸を連想する様な物を見て、又思考がおかしくなっても困るし、閃吾にもその他の人間にも見て欲しく無かった。
閃吾がサカタンを誘って二人で話始めた。
気を使ったかのように桃姫さんはキクマを誘い、買い出しに出掛けた。
(俺は怖くて「俺も行く!」と言う勇気が持てなかった。)
俺の隣には幸結さん。
何故か俺は幸結さんが苦手だ。
以前の「人間は臭い」問題が原因ではなく、持っている空気が重苦しい。
お兄様同様、嘔吐を催しそうになる「ナニカ」を持っている。
二人で黙って並んで座っている俺達の前から閃吾とサカタンが消えた。
眼を凝らすと二人で砂浜を歩いて行っていく後ろ姿が視えた。
頭の角隠しのタオルが汗で湿っている。
どれ位経っただろうか、キクマに手を引かれながら桃姫さんが帰ってきた。
「参った!参った!めっちゃ男に声かけられちゃったよ〜。」
眉尻を下げながらニヤニヤと俺にもたれかかってくるキクマ。
「マジか!?桃姫さんに寄ってきた男はドイツだ!?ぶっ飛ばしてやる!」
勢いよく立ち上がった俺を静止したのはさっきまで激怒していた桃姫さんだった。
「あんなの相手にしてないから。それより桃太郎くん、こっち来て。」
ヒヤリと背中に冷たい汗が流れた。
「はい。」
自分の
暫く歩くと岩場があった。
素足で歩くと痛いが周りに誰も居ないので好都合だった。
桃姫さんは大きな岩に背中を預けて、手にしていたペットボトルを俺に差し出してくれた。
「菊美ちゃんの…裸を見たの?」
桃姫さんの声が痛い程冷たい。ギクリと少し顔に出た。
「見たつうか…気にした事無かったです。
それが当たり前だったし、俺達の恋愛は前話したように朝日が登るまで手合わせするんです。そして男が勝たなきゃ結婚に至る事も無い。
俺とキクマはしょっちゅう殴り合ってましたがそう言う意味じゃなく本当に喧嘩でした。
何よりキクマは俺なんか眼中に無かったですから。」
桃姫さんの疑いの眼差しはまだ消えない。
「桃太郎くんの裸を私、見た事無いのに…ズルい…。」
桃姫さんが自分の膝を引き寄せた。
俺は、上に着ていたティーシャツを脱ぎ捨てた。
「下も脱ぎますか?」
桃姫さんがやっと顔を上げてくれた。
欲情している眼ではない。拗ねてる顔だ。
迷わずパンツに手を掛けると、桃姫さんが手を伸ばしてくれた。
「ダメ!そういう事じゃないの!こんな形で見たってしょうがない!
私がいけなかったの!
拗ねたりしてごめんなさい。」
桃姫さんへの愛しさが最高潮に達した。
桃姫さんのオデコに唇を付けた。
「大好き、桃太郎くん。
大好きよ。」
桃姫さんが胸にすがりついてきた。
俺も自分の一部にしてしまいそうな勢いで桃姫さんを抱き寄せた。
海から帰る準備をする頃、閃吾はすっかり肌が焼けたサカタンを連れて帰ってきた。
閃吾は変わらず白い。
(ホントに同じ場所を歩いてたのかよ…。)
二人共俯いたままで上手くいったかどうか俺には判らなかったが飛び跳ねる様にキクマがやって来て俺の耳元で
「二人共照れてる。」
嬉しそうに教えてくれた。
凄いな…ほぼダメだと思ってたのに閃吾は頑張ったんだ。
今夜は最後まで付き合ってやるか!
閃吾に視線を向け、微笑って見せた。
閃吾も嬉しそうに、照れくさそうに微笑っていた。
帰りの電車の中では泥の様に眠った。
別に全力で泳いだ訳じゃない。
桃姫さんのウキワを引っ張ってちょっと沖まで出た程度。
キクマと氷菓子の取り合いで少し殴り合った程度。
後は座って閃吾の話を聴いて、桃姫さんと話して、サカタンと話して…その程度。
でもずっと笑っていた。
愉しかった。
全力で笑った。
俺は皆と打ち解けた気がしていたが、幸結さんという人間にもっと注意を向けておくべきだったと後悔する事になる。
家に帰るとお婆様が大量の素麺を茹でてくれていた。
幸結さんと閃吾は幼い頃から桃姫さんと付き合いがあるらしく家族みたいにすんなり輪に溶け込んだ。
居間ではこの人数は狭過ぎるので俺が初めて通された座敷に大きな机を置いた。
「一枚板」ってやつで作ったという机は大きくてズッシリしていた。
普段は重たくて出せないと言う机を俺が難なく運んだので、やはり鬼は凄い!と拍手された。
素麺と天ぷらと昆布の佃煮と俺の為の塩むすびが机を飾った。
キクマは二人分だけ盆に載せて持ち運ぼうとしたので俺はキクマの手を取った。
「お兄様を呼んで来い!」
「はぁ?ヤだよ!」
キクマの顔が喧嘩をする時の顔に一変する。
「お婆様が作ってくれた食事だぞ!
お婆様に食べる姿を見せるのが礼儀だ!」
「それはそっちの事情だろ?
桃オニィは爺様が大ッキライで出来れば部屋から出たくないんだ!
アタシは桃オニィの傍にいてやりたい。
桃太郎は桃太郎で好きにすれば良いじゃん。」
「好きにすれば良い」キクマの言葉が何度も繰り返された。
キクマの背中が消えていく。
お婆様が「気にしてくれて有難うねぇ、桃ちゃん。でも大丈夫だよ。もう慣れっこだから。」優しく、優しく語りかけてくれる。
その優しさが胸に痛かった。
「出過ぎた真似してスミマセン。」
人間は複雑怪奇だ。
愉しい事が皆共通じゃなくて、バラバラに生きてるのにひ弱だから仲間を欲しがる。
それでも心はバラバラだ。
家族は、皆で喰う飯は、こんなに美味しいのに。
桃姫さんやサカタンがこよりの先に火を点ける。
パチパチと火の花が咲く。
閃吾が打上花火に火を点けようとするが腰が引けてなかなか点かない。
「桃太郎くん〜!やってよう!」
ホラ来た。
机から立ち上がって漸く気付いた。
皆花火の所に集まっているのに幸結さんだけ俺と一緒に机に付いたままだった。
一瞬、迷ったが閃吾の元へ行き、閃吾からライターを受取る。
代替、こんな物で火を点けようとするから失敗するんだ。
俺は縁側に人差し指を擦り付けた。
指の先に火が点く。
ソレをそのままこよりの先に持って行く。
背中で、閃吾が「凄い!凄い!」と騒いでいるのが聞こえた。
「カッコイイ!」
微笑うサカタンに迂闊に照れてしまった。
桃姫さんが笑顔を見せてくれるのは嬉しい様に閃吾もサカタンの笑顔を見られる事が嬉しいんだと思った。
サカタンの隣にはいつもより甘く微笑う閃吾。
面倒な奴だけどこいつが嬉しいと俺も幸せだ。
締めの線香花火に火を灯す。
閃吾は俺の「指から炎」が気に入ったらしく、「ライターより楽」だと火を要求してきた。
しつこいので閃吾の前髪を焼いてやった。
ずっと机に頬杖をついたままの幸結さんを手招きした。
それでやっと桃姫さんも気付いたみたいだ。
「幸結?疲れちゃった?」
幸結さんは余り乗り気では無さそうにゆっくりと此方へ近付いてきた。
桃姫さんから線香花火を受取ると俺達と共にその場に屈んだ。
縁側に人差し指を立て、又火を点ける。
「上手くいかないと思ってたのに…。」
ボソリと幸結さんが零した。
発火の音と周りの歓声で聞き逃す所だった。
「絶対、駄目になる…。」
花火の事だと思った、がその言葉に注視したのは幸結さんの背後を彷徨く影を視たからだった。
影の中の影。
眼では視えないナニカ。
だが判る。邪悪で臭う。
立ち上がってキクマに相談しようと一瞬視線を逸した。
視線を幸結さんに戻すと影は消えていた。
(クソッ!!)
眼の奥に力を込める。
しかし、もう存在は確認出来なかった。
見間違いではない。勘違いでもない。
アレは間違いなく…鬼。
愉しんで居る人間の隙を狙って来たのか…。
皆が帰っていった門へ眼を向ける。
居間も、縁側も、庭の隅々まで…。
しかし何処にも視えない、何も匂いもしなかった。
自分の青さと愚かさが恨めしかった。
拳を強く握ってひたすら悔やんだ。
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