24時からのシンデレラ

 桃姫さんが夜中に俺の寝室に忍び込む様になった。

 男としては嬉しい話だが何せ居候の身の上、俺の寝室の隣では師匠であるお爺様とその奥さん、お婆様の寝室がある。

 しかも不運と言うのは罰当たりだが俺の部屋には桃太郎を始めとする鬼倒家の先祖代々の仏壇があるのだ。

 桃姫さんが俺の布団に潜り込んだ初日、俺は悪戯心から桃姫さんの胸に触ろうとしてご先祖様からの制裁を受けた。

 仏壇が俺の上に倒れてきたのだ。

 もう二度と手は出せない。

 それなのに桃姫さんと来たら胸の開いた服を着たり、俺の首に手を回してきたりする。

 俺も桃姫さんが好きだし思い切りあんなコトやこんなコトも色々したい。

 キクマとお兄様はもう人前でも平気で引っ付いている。

 何故キクマには罰がくだらないんだろう。

 桃姫さんが頑張って積極的になってくれてるのに何も出来ないなんて意気地なしの男だと思われる!!

 

 今日も桃姫さんは学校へ行った。

 真っ昼間から、しかもクソ暑いのにキクマはお兄様の膝の上に乗って二人で氷菓子を食べている。

 「桃太郎も食べる?」

 キクマに声を掛けられたがフンッと大きく無視してやった。

 苛々するというか、胸の中で蠢いている何かが吐き出してくれと暴れている。

 外に出歩く様になってお婆様が俺の為に色々服を買ってくださった。

 「桃鬼が小さかった頃を思い出して楽しいのよ。」

 ウフフとお婆様は微笑った。

 お婆様が微笑うと俺も幸せになる。

 (幸せで嬉しくてそれが幸せなクセに俺の馬鹿〜〜〜〜!)

 冷たい縁側にオデコをぶつけてもんどり打つ俺の尻をお爺様が叩いた。

 「桃太郎、来い!」

 お爺様は離の奥をどんどん進む。

 初夏の日差しを受けた木々の葉っぱが深い緑をより濃く見せる。

 大きな蔵が見えてきた。

 古さと臭いから歴史を感じる。

 甘やかな桃の香りが恐怖心を誘う。

 「此処は…。」

 閃吾から聞いた「桃太郎の蔵」の話を思い出す。

 「入れ!」

 南京錠を外したお爺様が振り返る。

 建物の入口が真っ暗に口を開けて俺を待っていた。

 建物の入口の床板から既に腐っていた。

 角が痛む。

 鬼を拒否している様なそんな空気。

 「わしは幼い桃姫を此処で育てたんじゃ。」

 「やはり」と思いながら、角を押さえお爺様の隣に並ぶ。

 建物の中は怨みや怒りで満ちていて、気を抜くと持っていかれそうな気がした。

 吐気を覚えながらもそれでも桃姫さんの意識を探る。

 桃姫さんの怒りも哀しみも此処には感じられない。

 「桃姫には昔から不思議な力があったのじゃ。

 人に視えぬモノが視える。

 此処には沢山の人間が疲れ切った顔で座っている、と言うのじゃ。」

 閃吾の話を又思い出す。

 辺りを見回したが無論俺には視えない。

 だけど臭いは確かに此処にある。

 幾つもの桃の香り。  

 大きさも香りもそれぞれ違うし、まとわりつく感覚もまちまちだ。

 「わしは桃姫がこの繰り返される闘いを終らせてくれると信じておった。

 御先祖様方が桃姫に力を貸すべく桃姫には視えぬモノが視えるのだとわしは考えておる。

 其処に来たのがお前じゃ。桃太郎。

 お前は偶然此処へ来たのではない。桃姫に呼ばれたのじゃ。」

 お爺様の言葉を聞き終え、又、視線を蔵の奥に向けた。

 桃姫さんに俺が呼ばれた…。

 とっぱちで思い付いた計画だった。

 行こうと思えばいつでも人間界には来られたのに、グズグズと反抗期に費やした日々もあった。

 桃姫さんが俺を「鬼との諍《いさか》い」を終息させる為に呼んだのならば俺は全力で応えなければならない。

 一歩、奥へ足を向ける。

 激しい嘔吐が襲って来て思わず口元を押さえた。

 「御先祖様は何と言うておる?」

 愉しそうにお爺様が問う。

 「俺には聞こえません。

 だけど…俺は…相当嫌われてるみたいです。」

 口元を拭いながら又一歩足を進める。

 左手に光る眼を感じて一歩後ろへ後退した。

 「それは桃太郎のお供のキジじゃ。」

 「ギャーーーーーーッ!」

 キジは鬼の両眼を抉り取ったと聞いた。

 キジから逃げる様に右端に寄ると温度の無い毛むくじゃらに触れた。

 「そいつはお供のサルじゃ。」

 「イヤ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

 サルは噛むわ引っ掻くわ兎に角狂暴だったと聞いた。

 ちなみにサルもキジも鬼ノ国には一匹も居ない。

 それだけ鬼には恐れられている生き物だ。

 「お爺様!此処は俺には怖すぎます!」

 腰を抜かして振り返った俺をお爺様は愉快そうに指を差して笑っている。

 「其処まで行けたんじゃ。

 頑張って『挨拶』してこい。」

 遅い来る吐気と俺の心の隙を狙い定める御先祖の怨念。

 歩く事も出来ない。

 這いずる様に進む俺の身体を抑え込む様に毛玉が倒れてきた。

 ソレは丁度、俺の右手に噛み付いているようにも見えた。

 俺が一番恐れていた存在だ。

「ア〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

 俺の婆ちゃんの友達の旦那さんの妹のお隣さんの従兄弟の友達が桃太郎のお供の犬に噛み殺されたと聞いた。

 それ以来、俺は犬を視るのも嫌な程犬が嫌いだ。

 買い物も散歩も犬の居ない道を通る。

 犬はマーキングっつう自分の縄張りを示す小便をするから街の至る所から犬の臭いがする。

 人間はどれだけ犬を信頼してるのやら。

 そういう鬼ノ国でも今はちらほら犬をペットとして飼う奴が出てきた。

 虎ならまだしも犬だ。

 犬なんか狂暴極まりないのに馬鹿なんじゃないだろうか。

 俺は涙だかヨダレだか汗だか顔中ベチャベチャだった。

 お爺様は腹を抱えて笑っている。

 「どうした、腰抜け!一番奥じゃ!根性で走り抜けろ!」

 お爺様の怒号に触発され、顔をお婆様に買ってもらった赤いシャツで拭うと震える膝に力を込めた。

 両腕も震えている。

 グッと肩を落として真っ直ぐ奥だけを視る。

 足の爪が床板を引っ掻いた。

 視えない力で右へ左へ圧されながらそれでも奥に向かって走った。

 角から頭から目の奥まで痛みが走った。

 けれど無我夢中で進んだ。

 奥の壁に服が飾られている。

 黄ばんだ袴に触れながら床に倒れ込んだ。

 物凄い力で押さえ込まれている。

 ふと、力が抜けて顔を上げた。

 目の前に、袴の上に桃の刺繍の羽織り物を着た「日本一」の鉢巻を締めた男の子が片膝を付いて座っている。

 「初めまして、桃太郎。

 僕も桃太郎と言います。」

 「え?」と後ろを振り返るも白い濃い霧に囲まれてお爺様は視えない。

 もう一度、桃太郎に視線を戻す。

 桃太郎は穏やかに微笑んできた。

 とても鬼をやっつけたとは思えない優しそうな目元の少年だ。

 本当に桃太郎かどうかも怪しいが、桃姫さんに目元が良く似ていると思った。

 丸くて子供らしい愛らしい眼にキリッとした太い眉、頑固そうな口元だ。

 何も言えない俺に、桃太郎は手を貸してくれてやっと立ち上がれた。

 圧してくる力も吐気もない。

 桃太郎の桃の香りは一際強く、迷いなく、汚れなく、ただ、桃の香りだった。

 俺の眼から何故か涙が溢れた。

 「ごめんなさい。」

 何に?鬼に産まれて?鬼が悪さをして?桃太郎の子孫に手を出そうとして?桃姫さんを好きになって?

 何に対してかは判らないが桃太郎を見ていると無性に切なくなった。

 「桃太郎、桃姫に笑顔を戻してくれて有難うね。」

 憎かった筈の桃太郎から礼を言われて、心底戸惑った。

 「桃姫はずっと揺れてたんだ。

 『本当に鬼を倒すしか方法は無かったのか』って僕に聞いてきた事もあった。」

 「桃姫さんと会話出来るんですか?」

 「出来るよ?桃姫には死んだ人も生きている人と変わらず視えるからね。桃輔…そこのお爺さんね、は、それを希望と見てるけど僕は不安で仕方ないよ。

 桃姫には何の違いも判らない。生きてる人と死んでいる人、善人と悪人。

 純粋と言えば聞こえは良いけど僕達は片時も眼を離せなかった。

 色々、邪魔してごめんね。」

 思い当たる節があり過ぎて、慌てて土下座した。

 床板に又、大きな傷を作ってしまった。

 「ボンヤリしている娘だから面倒を掛けるけれどもどうか桃姫を宜しくね。」 

 桃太郎が肩に手を置いてきた。

 その手は桃姫さんと同じ様に温かくて柔らかかった。

 桃太郎が明るく微笑うと周りの霧と共にその姿を消した。

 振り返ると、腕組みをしたお爺様の姿があった。

 思っていた程蔵に奥行は無かったみたいだ。お爺様は直ぐ後ろに居た。

 急いでお爺様の元へ駆け寄ると、

 「俺、桃太郎に会いました!」

 声をひっくり返しながら報告した。

 お爺様は、ハッハッハッと大声で笑うと俺の背中を何度も叩いた。

 「行き詰まったら此処に来ると良い。

 鬼倒の先祖が必ず手を貸してくれる。

 お前は鬼倒に認められた唯一の鬼じゃ。」

 お爺様の言葉に力強く「ハイ!」と頷いた。 

 

 お爺様が戻った後も俺は一人で蔵の中で胡座をかいていた。

 もう何の力も圧も感じない。

 桃太郎の優しい桃の香りだけが漂う唯の古い蔵だ。 

 此処には先祖代々の武器も眠っていた。

 刀が多い。長い銃があるがこれはきっとお爺様の物だろう。

 入口とは反対側の一番奥に机があるのが見えた。

 うっすらと桃姫さんの香りがする。

 まだ幼さの残る香りではあるが間違いなく桃姫さんだ。

 机に近寄ると、桃姫さんが此処で生活していた名残りが見えた。

 クレヨンで描かれた桃太郎と犬とキジとサルや、角と牙のある男の子と髪の長い女の子が手を繋いでいるもの、桃姫さんが桃太郎から聞いた話や自分の願望を絵に起こしたのだろう。つい笑みが溢れた。

 沢山の絵の中で最も多かったのは鬼と手を繋ぐ女の子の物だった。

 絵をまとめて、又机に戻しておいた。

 蔵を後にする前に、俺は肺一杯に息を吸い込んで「お邪魔しました!お休みなさい!」と大声で挨拶してから頭を下げて扉を閉じた。

 又、来る事があるかもしれない。 

 その時は俺も桃太郎に色んな話が出来るように言いたい事を考えておかなければ…。


 人間を食べない、硬い肉に喰い付く事は二度と無い。鬼だけれど鬼らしくある必要の無くなった俺は一つの決断を下そうとしていた。

 目の前にはペンチ。  

 洗面台の前で何度も深呼吸を繰り返し、覚悟を決めてペンチを手にする。

 俺達が「鬼歯」と呼ぶ犬歯を掴んで左右に揺すった。

 痛みで声を上げたが、手は止めない。

 血の混じった涎が洗面台に滴り落ちる。

 最後は「ギャッ」と言う声を上げてしまった。

 洗面台には俺の犬歯が一つ、転がっている。

 もう片方を迷う事なくペンチで挟む。

 同じ様に左右に振りながら抜いていく。

 犬歯が無くなって不便なのはなんだろう。

 歯の一本一本には意味があって、一本失っただけでバランスが悪くなる、と言うのは迷信だろうか。

 左右から二本取ったんだ。バランスだって崩れはしないだろう、そんな事を考えながら二本目を引き抜いた。

 暫くは痛くてその日は夕飯を抜いた。


 夜、桃姫さんが忍び込んで来るのが判っていたので起きて待っていた。

 座って待っていると、眠ってしまいそうになって何度も船を漕いだ。

 隣の部屋からお爺様とお婆様の起きている気配が消えてどれ位経っただろう。

 何もせず起きているのも苦痛になって腹筋でもしようと横になり掛けたところで玄関の扉が開く音がした。

 桃姫さんが近付いてくる。

 胸を押さえながら膝を抱える。

 暗い部屋に影が差す。  

 桃姫さんは俺が視えて居ない様で両手を広げて距離を測りながら布団に近付いてきた。

 俺が桃姫さんの手を取ったから桃姫さんは小さな悲鳴を上げた。

 「待ってました。」

 声を潜めてそう言うと桃姫さんが俺を見詰めた。

 偶然、視線が合った。

 「今日、俺、桃姫さんの先祖の桃太郎と話をしました。」

 信じないだろうと思いながら迷う事なくそう言葉にした。

 桃姫さんは小さく微笑うと

 「心配症でしょう?」

 まるで全てを知っている様な口ぶりでそう言った。

 「桃姫さんが大切なんですよ。」

 漸く目が慣れてきたのか桃姫さんの眼差しが迷う事なく俺をしっかりと捉えている。

 「俺も、桃姫さんが大切です。

 俺にはもう人に噛み付く歯は必要ありません。

 俺は出会ったその日に桃姫さんに心を奪われ完全敗北しました。

 だからこれは戦利品です。」

 俺は小さな木箱を差し出した。

 其処には俺の犬歯が二つ、入っていた。

 「俺の首飾りは、俺が初めて一人で仕留めた猪の牙を使って、陽溜に造ってもらったんです。

 陽溜がここに居たらソレも絶対アクセサリーに加工してもらうのに…。」

 桃姫さんは俺の布団に入り込みながら木箱を受け取った。

 「でも、桃太郎くん?貴男は私に勝ってない。

 私だって桃太郎くんに初めて逢った時に既に魅入られたのよ?

 私だって敗けたんだから一方的には貰えない。

 私だって桃太郎くんに戦利品を渡さなきゃフェアじゃないわ。」

 だからと言って桃姫さんから歯を貰う訳にはいかない。

 俺は、仏壇をチラチラ気にしながら桃姫さんの手を握った。

 「じゃあ、桃姫さんをください。

 いつかきっと桃太郎や御先祖様達に認めて貰える、強くて立派な男になりますから!

 それまで待って貰えると嬉しいです。」

 桃姫さんの頬がどんどん紅くなるのが判って、俺にも伝染した。

 桃姫さんに手を取られ、二人で布団に横になった。

 「もうすぐ夏休みになる。

 そうしたらずっと一緒に居られるようになる。」

 桃姫さんが照れながら微笑う。

 桃姫さんとずっと一緒に居られるのが嬉しくて俺もつられて笑い返した。

 「楽しみだ!」

 そう呟くと、桃姫さんが俺の手をギュッと握ってくれたから俺も握り返した。

 いつかきっと、ご先祖様達に認められるそんな男になれるよう…兎に角我武者羅に頑張ろう!心に誓った。

 

 

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