助けた為に連れられて

 人間界に梅雨が来た。

 雨の日が続いて、色とりどりの傘が行き交う。

 俺は雨は嫌いじゃない。

 雨が落ちる物に応じて色んな音色に変化する。色んな命の声がする。

 鬼ノ国では、雨の日は傘も持たずに外に飛び出していた。

 俺の体も水を欲しがっている気がして全身で喜んだ。

 人間界に来て、覚えた事の一つに「買い物」がある。

 人間は雨の日が嫌いなのか、お婆様が雨の日が嫌いなのか買い物に出るのを億劫がる。

 そう言う時は俺が手を挙げた。

 お兄様は今迄はもっと外に出ない人だったそうだがキクマが来てから(これでも)出掛ける事が増えたとお爺様もお婆様も言っていた。

 桃姫さんは雨の日でも関係なくガッコウへ行く。

 俺はその時だけ庭先から顔を出して「いってらっしゃい」を言う事を許された。

 桃姫さんの家にはお父様とお母様が居ない。

 今更なので聞けないがお婆様が腰を曲げて食事を作るのを見ていて辛くなる時がある。

 俺の食事を作っていたのも婆ちゃんだ。

 その日も、朝からずっと雨が降っていた。

 夕方から雷が鳴り始めた。

 お婆様が「砂糖を買い忘れた」と言い始めた。

 桃姫さんはキクマと風呂に入っていた。

 酷い雨だし、雷も鳴っている。

 いつものように「俺、行きますよ。」と立ち上がるとお婆様は俺の頭を撫でながら

 「桃ちゃんは本当に良い子ね。」

 と言ってくれた。

 「桃ちゃん」って言われるのは嫌な俺だけどお婆様は別だ。

 お婆様にそう言われるとなんか胸がくすぐったくなる。

 「お釣で好きな物を買って良いからね。」

 そう言って紙のオカネを渡された。

 俺はお婆様の手前、傘を持って出掛けたがいつものように濡れて走った。

 お兄様のニットキャップがグショグショになった事を後で思い出したが、まぁ良いか、で済ました。

 行きなれた店の顔馴染みの店員さん達に「お疲れ様です!」と声を掛ける。

 店員さんへの挨拶は朝は「おはようございます。」昼は「こんにちは。」夕方は「お疲れ様です。」お婆様と一緒に買物に来た時にお婆様が使っていて覚えた。

 いつもの様に、「お疲れ様です!」と声を掛けると、「桃太郎くん、今日は雨酷いのに偉いなぁ!」と返された。

 無事砂糖を手に取って、「好きな物」を物色してみる。

 お兄様が大好きでキクマも最近よく食べる「スナック菓子」があった。

 鬼ノ国には揚げた芋や炒った豆や種は有ったがこんなしっかりした袋には入ってない。

 大抵、目の前で揚げてくれる。

 桃姫さんが好きな「グミ」も有った。

 ゴム噛ってる気分になるヤツだ。

 桃姫さんと言えば…あの柔らかそうな胸はどんな感触なんだろう。(そこに繋げる俺も俺だけど…。)

 桃姫さん自身の体重でもあんなに潰れるんだ。絶対柔らかいんだろうなぁ。

 ふぅとため息をきながらパンを袋の上から突く。

 (違う。多分似てるけど違うだろうなぁ〜。)

 饅頭を突く。

 (コレっぽい…?)

 持って軽く握ってみた。

 (あ…良いかもしんないっ!)

 隣の大福を掴むとその柔らかさに圧倒された。

 (コレが桃姫さんのお、お、お、お、お…なら…いや…この柔らかさは犯罪級だろ?!)

 俺は黙って無心で大福を揉み続けた。

 「何をそんなに夢中でニギニギしてるの?」

 「ちょっと待って。

 今、検証中だから。」

 (…?)

 目を開けて声の方を向く。

 其処には甘ったるい笑顔のセンゴが居た。

 「!?」

 俺は急いで大福を元に戻した。

 コイツと同じ思考だなんて死んでも思われたくない!

 「桃太郎くん、あんなに弄り倒した物を棚に戻しちゃダメだよ?買わなきゃ。」

 (そうなのか…。人間界の「店」のルールはそうなのか!)

 急いでもう一度大福を手にする。

 「桃太郎くんも買物に来たんだね!

 偶然だね!オラも夕飯前にお腹空いてさぁ、カップ麺食べたくなっちゃったんだけど、コンビニって高いでしょ?

 だからわざわざここまで買物に来たんだよ。」

 (オラ?こいつ一人称「僕」じゃなかったっけか?)

 俺は頭の中でコイツについて色々考えあぐねたが、しかし、センゴを無視する様に急いでレジに持って行った。

 「お願いします!」

 レジのおばちゃんは

 「桃太郎くんはいつも礼儀正しいわねぇ。」

 と褒めてくれた。

 嬉しくて頬が熱くなった。

 「え?何?何?

 桃太郎くん!お知り合い?

 なんで?つい最近来たばかりなのに?」

 お釣を受け取り、そのまま外に出ようとする俺の背中にセンゴが語り掛けてくる。

 「桃太郎くんは鬼倒さんのお婆ちゃんとよくお買い物に来てくれてたのよぅ。

 でも最近は一人でお婆ちゃんのお使いに来てくれるの。

 本当に優しい良い子なのよ。」

 「ヘ〜ェ、来たばかりでもう覚えられる程お使いしてるなんて桃太郎くん偉いなぁ。」

 センゴに褒められても嬉しくないけど顔がニヤけてしまう…。

 外は相変わらず酷い雨だった。

 一歩踏み出そうとした所、センゴの「あ〜〜〜〜〜!!!」という声で踏み止まった。

 「傘、盗まれた!!

 ある?

 あり得る?

 この雨の中、傘持たずに買物に来た人でも居るって?

 いや!無いでしょ??

 何を思ってワタクシメの傘を奪う??」

 (五月蝿うるさいなぁ、コイツ…。)

 お婆様から借りた傘をセンゴに差し出した。

 「え?良いのかい?」

 俺はニ、三度頷いて空を仰いだ。  

 雨はまだまだ止む様子も無く羽振り良く降り注いでくる。

 「ねぇ、雷って鬼の子供って本当?」

 雨の中飛び出した俺の後をセンゴが追ってくる。

 「鬼の子供は鬼だよ!」

 雨に掻き消されないように大声で返す。

 一っ跳びしようと踏み込んだ俺の腕をセンゴが掴んだ。

 「置いてかないでぇ〜〜〜〜〜〜!

 一緒に帰ろうよぅ!

 ホラ!折角知り合えたんだし、お喋りとかしようよ!」

 「お喋りしねぇよ!

 お婆様が待ってるんだから早く帰んねぇと!」

 そう言ってもセンゴはその場に踏ん張って動こうとしない。

 こんな奴、張り飛ばして跳んで帰ったって良い。

 だけどこんなにすがりつかれたら無下に扱えないじゃないか…。

 「昨日のテレビ観た?」

 センゴが楽しそうに話し掛けてくる。

 「俺が観たのは夕飯が終った後のトーク番組を10分くらい。」

 「え?10分?なんで?」

 「俺が寝起きしてるのは離だから。」

 離にはテレビが無い。

 台所と6畳二間。一間は仏壇が置いてあり、俺はその部屋を借りている。

 「あぁ、むかし桃姫が使ってた家だね。」

 センゴの言葉に思わず振り返る。

 そうか、コイツは桃姫さんの幼馴染みだった。

 コイツは小さい頃からの桃姫さんを知っているんだ。

 それを考えると苛々もしたが冷静に、桃姫さんをもう少し知るきっかけとしよう、と思い直した。

 「母屋があんなに大きいのに桃姫さんはなんで離に住んでたんだ?」

 センゴは少し哀しそうな色を滲ませて

 「お母さんが出てっちゃったから母屋で寝起きしたくないって言ったんだ…。」

 そう呟いた。

 「桃姫さんのお母様も出てった人なのか?

 俺の母ちゃんも俺を産んで出てった。」

 もしかしたら母親ってのは子供を産んだら出て行くのが普通なのかも…と思おうともしたが、キクマには普通に母ちゃんが居るし、他の友達にもやっぱり母ちゃんが居た。

 「そうか、桃太郎くんも辛かったね。

 桃姫には11歳年の離れた妹が居たんだ。

 桃実もものみちゃんっていう可愛い娘だった。

 桃姫は鬼倒の、桃太郎の子孫として剣武を徹底的にお爺さんから叩き込まれてた。

 いつか来るかもしれない仇討ちに敗けないようにってね。

 オイラは信じて無かったよ。

 そういう言い訳で桃姫に剣道や柔道を習わせたいだけなんだろうって。

 家に遊びに行って、数々の桃太郎の物を見ても、それでもピンとは来なかったんだ。

 桃姫への剣武の英才教育は幼いオイラにも厳しく見えたよ。オイラ達と遊んで良いのは追いかけっこかチャンバラだったもん。幸結ゆゆのお人形やぬいぐるみを桃姫は欲しがってたけどお爺さんは絶対に与えなかった。

 桃姫のお父さんとお母さんが桃姫をもっと自由に育てたいって言ったみたいでそういうのが原因で、桃姫は親と離されて暫く『桃太郎の蔵』で生活していたんだ。

 知ってる?『桃太郎の蔵』。」

 俺は首を横に振った。そんな物があの家の敷地にある事も知らない。

 「そうかぁ…まぁ、オラ達は鬼倒家にとって其処がどんなに神聖な場所か判らなかったから何度も忍び込んではお爺さんに叱られたっけ。」

 センゴが明るく笑い声を立てた。

 俺の知らない桃姫さんがどんどん出て来る。

 桃姫さんはいつか自分の元に来るであろう鬼に恐怖していなかったのだろうか。

 初めて、俺を見た桃姫さんは俺が「鬼」である事を知りながら家に案内してくれた。

 穏やかに微笑みながら。

 やはり、強い人なのだと痛感した。

 「桃姫のお母さんは桃実ちゃんを桃姫みたいにさせたくなかったんだ。

 そもそも、最初に剣武を叩き込まれていたのは桃姫のお兄さんだから。

 でも、桃姫のお兄さんには才能が無かった。すこぶる頭の良い人だったけど身体を動かす事が嫌いで私立の中学に行ってお爺さんからとことん逃げたんだ。」  

 お兄様が未だにお爺様と口をきかない理由がなんとなく理解出来た。

 

 雨が益々酷く、痛いくらい落ちてきている。

 「雨宿り…しない?そこのコンビニで、温かい物でも買ってさぁ…。」

 オマエとチンタラ歩いてるからだ、とか、コンビニなんか寄ったら益々遅くなる、とか、言いたい事は沢山あったがそれより桃姫さんの話が聞きたかった。

 あの家では絶対に教えてくれない話だから。

 音のする自動ドアをくぐる。

 グショグショの俺を店員さんが訝しんだ眼差しを向けた。

 「買って来いよ。俺は店内には入らないから。」

 店員さんの顔色を伺う。

 「桃太郎くんは要らないの?」

 「良い。」

 そう言うと、センゴが店内のホットコーナーに向かって行った。

 桃姫さんは俺にいつも微笑んでくれる。

 でも、たまにその笑顔が甘えるようなモノになる。

 お姉さんみたいな存在なのに愛し過ぎる程に危うく純真無垢。  

 俺は時々扱い方に困る。

 実年齢は俺の方が遥かに歳上なのにどう扱えば良いのか判らなくなる。

 「えぇぇぇぇぇ!?

 マジでぇ?」

 センゴのわざとらし過ぎる程の大声に視線を向けると案の定、此方に助けを求めるような視線を向けていた。

 「お金が足りないよう。」

 「も〜!オマエホント面倒くさい!!」

 ポケットの中から冷たくなった500円硬貨を取り出し、投げ渡す。

 「返すねぇ〜!

 絶対に返すからぁ!」

 (当たり前だ!)

 「返すならお婆様に返してくれよ!」  

 念を押した。

 店の外に出るとセンゴが袋から缶を手渡してきた。

 「良いって言ったのに…。」

 「オゴリだよ。」

 「…いや、結局お婆様のお金だからオマエのオゴリでは無いな…。」

 「気持ちの!

 気持ちの問題!!

 気持ちはオイラからだから!」

 軒下に立ち、プルタブを上げる。

 一口啜って口内を支配しようとするその苦味に顔をしかめた。

 座って何かを喉に流し込んでいたセンゴと目と目が合う。

 「あ、ブラック、ダメなヒトだった?」

 (ブラックが何か知らないけどちゃんと確認してから買えよ!せめて!)

 ソイツを飲み込む事も出来ず俺は唯顔を左右に振った。

 センゴが「アハハ」と軽く笑う。

 「鬼の苦手な物、見付けちゃった!

 オッケー、じゃあ取り替えよう。

 本来はオラっちも紅茶派なんだけどしょうがないからね。」

 センゴがペットボトルを差出してくる。

 センゴが口にした物なんか受け取りたくない。

 それでもこの苦い汁を啜り続ける事を考えれば不本意だが仕方がない。センゴの手からペットボトルを取って、缶を手渡した。

 白茶のソイツは甘くて生き返った。

 「なぁ、センゴ、桃姫さんは俺を本当に仇討ちに来たんじゃないって信じてくれてるかなぁ。」

 「さぁね。

 桃姫の理想は闘う事じゃなくて、『友達になる事』だったから。

 闘え!闘え!倒せ!倒せ!って言われ続けてきてたけど、桃姫は『人間が善くて、鬼が悪いなんて誰が決めたの?』って昔から聞いてきてた。

 オラは『そう決まってるから』って応えてた。

 でも桃姫は納得したようになかったんだよね。」

 「鬼が悪いなんて誰が決めたのか…」胸が熱くなった。

 やっぱり俺は桃姫さんが大好きだ。

 「桃姫のお父さんは原因不明で桃姫が高校一年の時に急死したんだ。

 そのタイミングで大学を辞めたお兄さんがこっちに帰ってきた。

 桃姫はお兄さんの面倒を見る為に母屋へ移ったんだ。

 それがオイの知る桃姫。」

 俺は桃姫さんの為なら何でも出来る。

 桃姫さんの為ならなんでもしたい。

 「一つ、怖い事言っても良い?

 桃姫には死んだ人が視えるらしいんだ。

 桃太郎とも話した事あるとか言うんだよ!

 絶対夢だって!って言ったんだけどさぁ、この先に幽霊アパートって呼ばれてる廃アパートがあるんだよ。

 其処の前を通っても桃姫は『二階から見てる人が居る』とか『呼ばれるから話を聞いてこないと』とか言い出すんだよ!

 ね?怖くない?」

 一気に廃アパートに興味を持った。

 「それ、何処?」

 「え?まさか桃太郎くん行かないよね?

 ぼっくんが一緒なのに…まさか行こうとしてないよね?」

 店外のごみ捨て場にペットボトルを放り込み、首を回す。パキパキと骨の音がした。

 「センゴは先に帰ってろ!

 そんでコレ、お婆様に届けておいてくれ。」

 「え!?ヤダよぉ!一緒に帰ろうよ!

 彼処の前を一人で通るとか無理だって!

 怖いから一緒に帰ってよ!」

 既に歩き始めた俺の腕をセンゴが掴む。

 「もうすぐ!もうすぐ!

 あの緩やかなカーブを超えた右手にヌッと現れるんだって!」

 センゴは一人で喚いている。

 俺は鼻と耳を研ぎ澄ませた。

 緩やかな右カーブを超えた先にソレは在った。

 センゴに言われなくても判っただろう。

 店に向かっていた時は雨に打たれて、はしゃいで居たので気付かなかった。

 俺の右腕にヌルリとすがる意識を察した。

 顔を上げると死んだような建物から禍々しい重たい空気を感じた。

 鬼…にしては「力」が弱いが禍々しさは似ている。

 気にしない奴には視えない。気にする奴には障る、そう言う類だろう。

 「飲むモン飲んだらトイレ行きたくなった…。」

 隣でセンゴが呟いた。

 「さっきのコンビニまで戻るか家まで急ぐかしろ!」

 俺は今、センゴどころじゃない。

 しかし、センゴは俺の手を取って、哀しそうな眼で俺を見詰めた。

 「止めてくれる?そんな眼で見詰められても俺、戻らないよ?」

 「一緒にって言ったじゃん!

 オレっち怖いって言ったよね?」

 「オマエさぁ!一人称統一しろよっ!

 唯でさえオマエ苛つくのに苛つき増す種蒔くな!!」  

 思わず叫んだ。

 「それもこれも菊美ちゃんが僕の事貶したからじゃん!ずっとチヤホヤされて来たのに今じゃすっかり『残念なイケメン』って呼ばれてるんだよ!もうオラどんなキャラで行けば良いのか判んないんだよっ!助けてよ!」 

 「知らねぇよ!

 アンタが桃姫さんで助平な妄想するから悪いんだろ?」

 俺達にお構いなしに雨は勢い良く、奮発した様に降り続ける。

 「して悪い?男なんだからしょーがないじゃん!

 じゃあ、桃太郎くんは妄想しないの?桃姫のエロいところ。」

 言葉が出なかった。

 袋の中には桃姫さんのお、おーーぱ…を意識した大福がある。

 「ちょっと手ェ出せよ。」

 センゴに片手を差し出させて、その上に大福を乗せる。

 「お、お、お、お…ぱいってそんなカンジ?」

 真赤になりながらなんとか頑張ってセンゴに聞く。

 センゴはニヤリと笑ってから大福をモミモミし始めた。

 「これが桃姫の胸かぁ…。ふぅん?ふぅ〜ん?ナルホドねぇ?

 なかなか桃太郎くんもゲスい事を考えるよね?」

 「五月蝿うるさいなぁ!

 恥を偲んで聞いてるんだから答えろよ!」

 俺は耳まで真赤だ。

 「僕ちん、桃姫の胸に触った事無いから知らないよ?」

 アッサリした回答だった。

 「じゃあお前になんか用はない!帰れ!!

 砂糖宜しく!」

 センゴの手から大福を奪い取り俺は廃アパートに向き直った。

 「何言ってんの!!一人で帰りたくないから桃太郎くんと帰ってるのに!」

 「今から俺は中に入る。

 付いて来るかサッサと帰るか自分で選べ。」

 玄関の扉は何処の部屋も朽ちて曲がっていた。

 木製の建物だ。そうなって仕方ないんだろう。

 それでもそのままにしておく事が良いとは思わない。

 一番端の一軒目の扉を押す。

 「イヤ〜〜〜!馬鹿!!何開けてんの!?何で入るの?もぅやだぁ!ヤダァァァァ!!」

 隣でセンゴが俺の手を握って悲鳴を上げ続けている。

 「だからおとなしく帰ってれば良かったのに…。」

 俺は土足で建物の中に足を踏み入れた。 

 「おしっこ〜!漏れる!!」

 「どうぞお使いください!」  

 入って直ぐ左手にある小さなドアを開いてやった。

 センゴは俺の優しさに絶叫で応えた。


 中は一間。直ぐに一望出来た。

 「桃太郎くん、居る?そこに居るよね?ちゃんと居てね?オラのおしっこ終わるまでなんか歌ってよ。鬼の国で流行ってるヤツとか!あ、人が死ぬ系はNGね、今は場所的に。明るいの!

 おに〜のパンツは良いパンツ〜、みたいの!」

 センゴは放尿の音を響かせながら一人でやかましく喋り続けていた。

 部屋の中は真っ暗だ。

 雨のせいでもあるが全体的にどんよりと重い。

 眼を凝らして周りを良く見廻す。 

 玄関入って直ぐが台所、そこにトイレがあって仕切りも何もなく和室がある。 

 トトトトトトトト、と小さな足音がした。

 天井に眼をやると、二つの目玉と視線が合った。

 「オマエ、ナニモンだ?」

 後ろを向いたように目玉が消えた。

 「え?何か言った?桃太郎くん。」

 振り返ったらしきセンゴの前でドアを閉めた。

 ドアの向こうでセンゴの悲鳴が聴こえる。

 「センゴ!オマエはそこで歌ってろ!

 お兄様のパンツがなんだって?」

 金棒を持って来なかったのが悔やまれる。

 右手から爪を剥き出した。

 「お兄のパンツじゃなくてオニのパンツだよ!桃太郎くん!ここ開けてよぉ!

 新手のイジメかな?」

 二つだった目玉が複数になって還ってきた。

 「おいおい、6畳一間に何人で住むつもりだよ。

 定員オーバーだっつの!」

 俺は跳び上がって天井を引っ掻いた。

 落ちてくる木屑と二階の闇の中から無数の人間が視える。

 「桃太郎くん!酷いよ!」

 ドアが開いてセンゴが飛び出してきた。

 俺を見詰めていた無数の眼がセンゴに向けられた。

 (ヤバイ!!)

 センゴには視えてない。

 ヤツラは真っ直ぐセンゴを目指す。

 左足で踏み込んで渾身の力で跳び上がった。

 (間に合え!間に合え!間に合え!)

 その思いだけで手を伸ばしセンゴを抱えて入口のドアを蹴破った。

 硝子と木の、飛び散る派手な音が鳴り響いた。

 外の雨はだいぶ落ち着き始めていた。

 俺はそのままセンゴを敷地の外に放り出すと、又、廃アパートに向き直った。

 闇と同化する程の暗く重い、人々の想い。

 「オマエ等!センゴに手ェ出したら地獄に引き摺り落とすからな!!」

 操作を誤った。

 力を開放してしまった。

 地面が揺れ、アパートの全ての部屋の窓硝子が割れて飛ばされて行った。

 頭上の雨も止み、俺は馬鹿みたいに口を開けたまま空を見上げた。

 アパートは何事も無かったかの様に静かに佇んでいる。

 重く暗い影は消えた。

 「今の何?」

 地面に尻餅を付いているセンゴが尋ねてくる。

 「『怒り』を『露わ』にしたダケだ。」

 あんなつまらないモノに本気で怒りを露わにするなんて…。

 「俺の導火線は短過ぎる。反省しねぇと。」

 お爺様がこの場に居たらきっとそう言って「金属バット」で尻を殴られただろう。

 感激した様な顔色でセンゴが飛び付いてきたので跳び上がって頭をしばいた。

 「そもそもが、人間の『怖い』という意識がその場所を悪くするんだ!

 気にしなければ人間には干渉しない。

 オマエみたいな怖がりが居るからああ言うのを呼び寄せるんだ!ちったぁ反省しろ!」

 アパートの敷地から外に出ると壁にもたれかかったルームウェアの上に簡単なパーカーを羽織った桃姫さんが立っていた。

 「『鬼が来た』って、中の人が騒いでたから…。」

 桃姫さんが微笑んだ。

 俺もつられて歯を見せて笑った。 


 センゴには重々、「なんでもかんでも怖がるな!」と念押しして砂糖を持たせて先に帰らせた。  

 「桃姫さん、俺、桃姫さんを連れて行きたい所があるんですが付き合ってもらえますか?」

 そう言うと、桃姫さんは首を傾げながらもニッコリと微笑んでくれた。

 意識を遠くまで澄まして鼻を鳴らす。桃太郎の子孫の香りはちゃんと嗅ぎ分けられる。

 眼を閉じて香りにだけ集中する。

 高い山、広い高原、大きな湖、段差のある田んぼ、沢山実の成った果樹園、綺麗な海、真っ赤なデッカイ鳥居…彼方此方視えた。

 体の向きを変える。

 桃姫さんの腰を抱き寄せ、首に手を回させる。

 「しっかり離さないで!」  

 確信は無いが間違えてはいないと思う。

 誰にも邪魔されないように高く高く飛び上がる。

 「絶叫マシーンより断然スリリング!」

 そう言いつつ桃姫さんは嬉しそうだ。

 どれ位走っただろうか。

 一軒の家に到着した頃、俺はすっかり体力を消耗していた。

 その家の前に立ち、桃姫さんは暫く動かなかった。

 女性は大きな声で「桃実!リビングを片付けなさい!もうすぐパパが帰ってくるんだから!」小さな子供を叱責している声が家の中から聴こえた。

 幼い子供は「ハァ〜イ」と気のない返事をしただけだった。

 俺は間違えた事をしたんだろうか。

 幼い桃実ちゃんからは桃姫さんと同じ桃の香りがした。唯、まだまだ未熟な青い桃の実の香りだ。

 家は桃姫さんの家とは違い、とても小さかった。同じ形の家が三軒並んでいる。家を囲む塀も門もない。玄関の前には大きな自転車と小さい補助輪の付いた自転車が並んでいた。

 手作りらしき郵便ポストは斜めになっていた。ポストには「YAMAGAMI♡」とあった。

 暖かく幸せな空気が漂ってきた。

 桃姫さんは閉じられたカーテンの奥の部屋をジッと立って見詰めていた。

 俺にキクマみたいに人の思考が嗅ぎ分けられたら桃姫さんの気持ちが伝わるのに…。

 自分を焦れったく思いながら少し離れた所でその様子を伺った。

 やがて家と同じ臭いを放つ一台の車が入ってきて、俺は桃姫さんの手を引いて走った。

 あの家の人間だ。桃実ちゃんの新しいお父様なんだろう。

 暫く手を取ったまま並んで歩いた。

 桃姫さんが余りに落ち込んで見えたから抱きかかえて跳び上がる勇気が出なかった。

 「桃実ちゃんからは桃姫さんと同じ、桃の香りがしました!

 まだまだ青かったけどでもきっと桃実ちゃんは桃姫さんみたいな芳しい良い香りを放つようになりますよ!」

 幼さの残るあの香りを思い出しながら桃姫さんの手を握る。

 桃姫さんは俯いたままだ。

 「桃姫さん…?」

 勝手な事をして怒らせただろうか。

 そもそも俺がどうして桃姫さんの家庭の事情を知っているか、知らない筈なのに、何処で知ったかを考えているんだろうか。

 (どうしよう!めちゃくちゃ怒らせたかもしれない!!)

 桃姫さんの手から手を離そうとしたら桃姫さんに力一杯握られた。

 「イテテテテテテテテ!

 イテーです!桃姫さんっ!」

 桃姫さんは暫く黙っていたけど辺りをキョロキョロと見渡して「ちょっと待ってて!」とコンビニに向かって走って行った。

 桃姫さんが頭を振る度にキクマと同じ液体石鹸の良い香りがした。

 俺はその残り香を残す事なく吸い続けて待った。

 「お待たせ、桃太郎くん。

 ねぇ、お月さまが一番綺麗に見える所まで連れて行って!」

 桃姫さんは大きなビニール袋を下げたまま俺の首に両手を回した。

 俺は両脚に力を込めて、高く高く跳び上がった。

 雨の後の空は綺麗だ。

 汚い空気を一掃してくれたみたいに澄んでいる。

 俺はお兄様から借りた、濡れたニットキャップを被ったままだった事を思い出してキャップを取った。髪に、角に、風が心地良い。

 目当ての場所に辿り着いても桃姫さんは俺から離れなかった。

 此処では気に入らなかったのだろうか。

 「桃姫さん、もう大丈夫ですよ?」

 顔を見ようとしても桃姫さんは俯いたまま顔を見せない。

 俺の首っ玉にしがみついたままだ。

 俺も桃姫さんの背中に手を回してポンポンと叩いた。

 「桃太郎くんは私を離さないでね?」

 桃姫さんの声は弱々しかった。

 「離しませんよ。落としたら大変だし。」

 苦笑を零すと、「そういう意味じゃなくて!」と桃姫さんが顔を上げた。

 涙の跡は見られない。良かった。

 「私を死ぬまで離さないと誓えますか?」

 真剣な桃姫さんの眼差し。

 俺は初めて会った時から桃姫さんをずっと傍で護るって決めたんだ。

 「誓えますよ。

 だって言ったでしょ?俺、桃姫さんの事ずっと傍で護るって…」

 桃姫さんの唇が俺の唇に被さってきた。

 俺は焦りながら身の回りに桃太郎の遺品を探した、が幸いそれらき物は見つからなかった。

 俺達二人を月が照らし続けている。

 桃姫さんの柔らかな唇の下で俺は小さく唇を痙攣させていたように思う。こう言う時、どんな顔をすれば良いのか判らない。だけど桃姫さんを深く感じたくて俺は瞼を閉じて、桃姫さんをしっかりと抱きしめた。

 俺は今日一日雨に打たれていた。

 きっと俺は冷たいだろう。

 桃姫さんの体から体温を奪っているかもしれない。

 そう考えると離れるのが賢明だけどそうするのが正解だとは思えなかった。

 いつまでそうしていただろうか。

 唇を離すと離れ難い気分に襲われてもう一度桃姫さんを抱き寄せた。

 このままずっとこうしていたい。強く想った。

 「桃太郎くん、お腹空かない?」

 俺の気分を変えたのは桃姫さんのこの一言だった。

 今日一日どれだけ力を開放しただろう。

 センゴに気を使って化物に挑んで飛んで跳ねて走って…考えただけで腹が減る。

 「めちゃ腹減ってます。」

 眉尻を下げると桃姫さんはアハハと声を上げて笑った。

 「沢山買ってきたの!食べましょう!」

 桃姫さんがその場に色んな物を広げてくれた。

 俺達が天辺を拝借したこの建物の彼方此方にも灯りが灯っている。

 下を覗けば下にも灯りの華が咲き散っている。

 俺の住んでいる街だって都会だがこれ程明るくはない。

 月を見るより下の方が遥かに綺麗だと思った。

 桃姫さんは色んな料理を俺の前に並べてくれた。

 沢山のオニギリの山から俺は一つを摘み上げた。

 真っ白な「塩むすび」俺には一番馴染み深く世の中で一番美味しいと思っていた食べ物。

 「桃太郎くん、初めて会った時も海苔の巻いてないオニギリ持ってたよね?」

 俺は包を開けながら頷いた。

 「婆ちゃんが握る塩むすびがめちゃくちゃ美味くて。」

 一口、おむすびに噛り付く。

 桃姫さんが温かいお茶を差し出してくれたので頭を下げた。

 「でもこれも旨い。」

 婆ちゃんには負けるけど。

 「私も食べてみたいな、桃太郎くんのお婆さんのおむすび!」

 「いつか食べさせたいです。本当にそうなると良いなぁ…。」

 ペットボトルキャップを回し開けて一口飲みながらそう答える。

 桃姫さんの真正面からの眼差しに気付く。

 「鬼ノ国って殆ど人間世界と変わらないのよね。」

 「そうスね。」

 軽く答えてからじっくり考えてみる。

 俺達は人間を喰うのを止めて豚や牛や猪を喰うようになった。勿論、羊も鶏も喰う。魚も取るし、野菜を作って育てている。

 米を喰うのは当たり前だけどパンが作れる鬼もいる。

 仕事や学校は無いが携帯はある。

 国会中継(そもそも鬼ノ国にはそんな偉い鬼は居ない。地獄は別だが…。)やお笑い番組は無いがテレビもある。

 俺達世代は字も読み書き出来る。

 「人間の暮らしを拡めてる鬼がいるのかな…。」

 それならば一番に浮かぶのは陽溜だ。

 風来坊でいつも何処かへ行っている。

 「じゃあ、その鬼は人間と鬼が身近になるようにしてくれてるのね。」

 桃姫さんが明るく微笑うので俺も良い事だと思う事にした。

 行きは良い良い帰りは…と言うが帰りの事まで頭に無いまま思い付きで行動を起こした事を後悔した。

 家が見えた途端、身体から力が抜けた。

 フラフラになりながらいつもの様に井戸の水で体を清めてそのまま倒れるように布団に横になった。

 お爺様が何か仰ったが聞こえない。

 まぁ良い、明日朝改めて聞こう。

 夜中に身体が温かくて目が醒めた。

 右を向くとモジャモジャに鼻がぶつかった。良い香りがした。

 眼を開けると、俺の腕にしがみついて眠る桃姫さんの姿があった。

 余りの事に声を上げそうになって左手で慌てて口を塞いだ。

 こんな所お爺様に視られたら俺は又、木に吊し上げられるかもしれない。

 純真無垢な寝顔の桃姫さんを起こさないように、枕に頭を戻し、桃姫さんの身体にしっかりと布団を掛ける。

 髪に触れてみる。艷やかでしっかりと芯の通った上質な絹糸の様だ。 

 頬に触れてみた。白くて滑らかで、きめの細かい瑞々しい肌だ。

 唇はしっとりと湿っていて薄い朱が入って、白い肌にはとても栄えた。

 細くて弱々しい肩に細いがしっかりと筋肉の付いた腕、細くて可愛らしい指と、それに添えられた爪。

 俺の腕に押さえつけられた柔らかな桃…のような胸に手を伸ばす。

 どれだけ柔らかいかやっぱり知りたい。

 きっと柔らかいんだろうな…絶対柔らかいに違いない。唇が絹ごし豆腐みたいなんだから胸はもっと…?

 胸の高鳴りは最高潮を向かえ、頭は今日一日で一番冴えていた。

 その時、俺の後頭部に何か重たい物が突撃してきて俺はそのまま朝まで意識を失った。

 俺の頭に突撃したのは先祖代々の仏壇だと翌朝知った。

 今日の教訓、「欲」と「念」は持つな。

 俺はこのままだと仏道に入れそうな気がする。

 

 

 

  


 

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