エピローグ

 耳元で鳴り響く目覚まし時計の音で俺の快眠が妨げられた。

 頭が重いながらも瞼を持ち上げて時間を見る。

 ──午前六時三十分。

 俺がいつも起きている時間。

 普段と変わらない時間のはずなのに、いつにもまして身体が重い。

 とはいえ、二度寝するにも妙に目だけは覚めてしまったので眠れそうもない。

 仕方なく俺はベッドから出てリビングに移動する。

 朝食を作る気分でもなく、やむを得ずソファの上で何もせずにぼーっと時間を潰す。

 この一週間、家には愛奈がいて騒がしい日々だった。全ての問題が落ち着き、愛奈が元いた時間に戻った今、一週間ぶりに自宅で一人で過ごす静かな時間が懐かしい。やっぱり俺はこの方が好きだ。久しぶりにこの時間を堪能しておきたいのが本心だが、無断欠席でまた呼び出しというのも面倒だ。

 しぶしぶまた自室に戻り、制服に着替えて身支度を済ます。気づけばいい時間になっていた。

「しょうがない、行くか」

 気分とは裏腹に、外の天気は心地よい快晴だった。気温もちょうどよい暖かさでついあくびが出る。時間に追われて忙しなく過ぎていった一週間のことを思うと、春の朝日を受けて自分のペースで歩く方がいい。

 休みが明けて俺同様にけだるそうに歩く生徒もいれば、友達と会えることが嬉しいのか楽しそうに何人かで話しながら歩く生徒もいる。後者の気持ちは俺にはさっぱり分からない。

 そんな日常の光景を横目に淡々と歩みを進めると、いつの間にか学校に到着していた。

 普段より早くついてしまったせいで教室内の生徒の姿もまだ少なかった。自分の一番後方窓際の席に向かおうとして、その前の席の幼馴染と目が合った。

「あっ……」

 夢亜も気づいたようだったが、彼女は気まずそうに視線を逸らした。

「おはよう」

「うん……おはよ」

 素っ気ない挨拶を交わすと会話がそこで途切れる。

 席に着いた俺は頬杖をついてすがすがしく晴れる外を見やる。

 俺とウルズの能力によって世界が復元された後、夢亜も無事に目覚めていた。代償の後遺症はないらしく、目覚めた俺を待っていたのはいつもと変わらない幼馴染だった。俺の姿を見るなり夢亜は泣きついてきて、落ち着けるのに三十分程は要したりもした。それが土曜の夜。

 ヴェルザンディによって現実に戻されると、愛奈は元いた時間に戻るということで彼女との別れを告げた。思い詰めてたものが消えた安堵感に頬を緩めつつも、愛奈は涙ながらに帰っていった。それから俺と夢亜は寂寥感に襲われ、お互いあまり言葉を交わすことなく帰宅した。だからまだ、俺と愛奈は対立した関係のまま宥和ゆうわできていない。

 俺の方から歩み寄るにも、一緒にいながらも愛奈の過去を知らなかったためになんと声をかければいいのか分からない。

 夢亜が無事だったのは何よりだが、しばらくこの状態が続くのかなと考えると先が思いやられる。

 何がともあれ、今日から平穏な日常が送れるのはありがたい。俺と夢亜の関係も時間が経てば戻るだろう。と考えていると、俺の上に影が落ちた。

「あ、あのさ、翔人」

 ちらちらと俺の方を見ては視線を逸らし、ということを繰り返す夢亜。まさか彼女の方から声を掛けてくるとは思わなかった。

「どうした?」

「その……ごめん」

 何に対する謝罪かはさすがに分かる。

「何事もなく終わったんだから、それでいいだろ?」

「でも、私のせいで翔人と愛奈ちゃんには迷惑かけちゃったから」

「それを言うならことの大元は俺の能力の代償を夢亜に払わせたことだし、俺の方こそごめん」

「別にそれは翔人が悪いわけじゃないじゃん」

「それはそうだけど」

「あとね、私たちが家族だって言ってくれたでしょ?」

「そういえばそんなことを言ったような」

「すごく嬉しかった。翔人が私にいてほしいって言ってくれたから、私なんかでもまだ生きてていいんだって思えた。だからね、ありがと」

 謝罪だけでなく礼まで言われるとは思ってもなかっただけに照れ臭くなる。同時に夢亜を助けたときのことを思い出してしまい恥ずかしくもなる。

 夢亜を助けるためとはいえ、冷静なって今思い出せばものすごく恥ずかしいことを言っていた気がする。言葉が届けばいいとその時は思っていたが、実際に聞かれてたことを持ち出されると穴があったら入りたい。

「……別に」

「せっかく翔人が言ってくれたんだから私も言っとくね。私も翔人がいてくれてよかった。これからもよろしく」

「やめろよ告白みたいに」

「はぁ? 何言ってるの……?」

 思ったことを言うと、何勘違いしてるの? キモ……というような態度で蔑みの目を向けられる。今のいい会話の流れはどこにいってしまったのか。

 困惑する俺を十分楽しんだのか、夢亜は小さく噴き出して笑みを漏らした。

「ごめんごめん。じょーだんだから。はあぁぁぁぁ、でもすっきりしたぁ! ずっと翔人に嫌われてたりしたらどうしようと不安だったんだよ?」

「そんなわけないだろ」

「ふふ、だよね」

 これで夢亜との関係も大丈夫そうだ。もう少しかかると予想していたが、夢亜から声をかけてくれたおかげで今まで通り幼馴染として、家族として過ごすことができる。あとは──

「座れー」

 チャイム同時に数学担当であり、クラスの担任でもある中年の男性教師が教室に入ってくる。友人たちとの会話に花を咲かせていたクラスメートたちが一斉に自席へと戻っていく。

「お前ら喜べ。今日は転校生を紹介する」

「転校生……?」

「この時期に珍しいね」

 宥和したばかりの夢亜が前の席から俺の机に肘をついて返してくる。

 教室内は無邪気に盛り上がっているが、今日は四月二十八日。新年度が始まってまだ一か月も経っていない。こんな時期に転校してくる事情が気になる。

「入っていいぞー」

 担任教師が教室の外へ声をかけると、ほどなくして扉が開かれる。

「まさか──」

 入ってきた転校生は暗めの茶色でふんわりとしたセミショート。見える横顔はあどけなさが残るが、表情に緊張感はなく自身に満ちていた。

 教壇の前に着くと、転校生は黒板に大きく自分の名前を書くと元気よく一礼した。

「赤崎愛奈です! よろしくお願いします!」

「赤崎……!」

「えーっと、赤崎の席は……おい」

 前に立つ愛奈と視線が会うと、転校生は俺の方へ歩いてくる。

 予想外の再開に言葉にできない感情がこみ上げてきて目頭が熱くなる。まだ別れてから二日も経っていないというのに、どこか何年も空いたように懐かしい。

 愛奈は俺と夢亜と交互に見ると右手を差し出した。

「初めまして。私は赤崎愛奈。よろしくね!」

 それはかつて夢亜が愛奈にかけた言葉だ。あのときは愛奈が夢亜の手を払いのけたが、俺と夢亜は二人で即座にその手を取った。

「よろしくな、赤崎」

「うん、よろしく!」

 屈託のない笑顔で愛奈は大きく頷いた。その首にはもう翡翠のペンダントはかけられていなかった。



「じゃあ、やっぱりあの赤崎は俺らと一緒にいた赤崎ってことでいいのか?」

「はい。間違いありません。もともと愛奈さんは過去から来た時間旅行者です。だから翔人さんたちが今日会ったという愛奈さんは、あの出来事を経験した七日後の愛奈さんということです」

「なるほどな」

 放課後、俺は公園の三女神像の前にいた。

 先日の事故の時、ウルズの泉と現実をつなぐゲートが開かれたことで、ここが二つの世界をつなぐ場所だと知った。だからここなら神様と話せると思って訪れたのだ。

「本当なら今日は愛奈さんにとって存在しない時間でした。でも、翔人さんが未来を変えたことで愛奈さんに未来が生まれました。これはその結果です」

 ヴェルザンディにそう言われると、俺が世界を救い愛奈との約束も守れたのだと実感する。

 まさか愛奈と再会を果たせるとは思っていなかっただけに、彼女が転校して無事再会できたことは素直に嬉しい。

「ところで翔人さん。初めて会ったときに、過去と現在、未来はすべてつながっているって話をしたのを覚えてますか?」

「えっと、自分が過去に何をしたかで現在が決まって、今自分がした選択で未来が決まるって話だっけ?」

 今なら当たり前だと思うが、当時の俺はまだ幼くて、話の意味をあまり理解できなかった気がする。

「はい。でもおかしいと思いませんか?」

「おかしい……?」

「私が人の運命を決めている、ということは覚えてるかと思います」

 さすがにそれは覚えてる。忘れるわけがない。

「私が人の運命を全て管理していたら、人が何かを選択するという行為はなくなるはずですよね? でも実際のところ、人は常に何かの選択をしています。進学する学校、就職する会社というように人生最大の選択をしたり、ご飯は何にするか、どのテレビを見るか、何時に寝るといったことでさえ、本当は自分の意志で選択しています。そうした選択の積み重ねで未来が構築されるわけです」

 確かに言われてみればそうだ。生きる中で大切な選択や、自分の娯楽、生活習慣など、全ては選択の積み重ねだ。無意識のうちに人間は自らの意志で何かを選択し、実行している。

「私たちが決めているのは、人のそうしたいくつもの選択の結果として与えられる未来です。人の人生全てを決めるなんてことはいくら神でもできません。つまり、自分の運命の選択をしているのはその人自身というわけです」

「だから愛奈の未来は変えられた、ってことか」

「そういうことです」

 愛奈が見た、死という未来は一つの結果に過ぎない。それを変えるために愛奈は行動することを選択した。死を回避するための条件は厳しかったものの、俺が手助けすることで未来を変える正解の選択を手に入れた。その結果として未来を変えることに成功した。

「それに、翔人さんだって体験したはずですよ」

「あ、そっか」

 能力を使って世界樹を復元した代償では、未来を失って時間の狭間に閉じ込められるはずだった。過去形なのはもちろん未来が違ったからであって、でなければ俺は今こうしていない。

 後から聞いた話では、未来を司るスクルドと契約した愛奈の想いに能力が応え、俺に未来を与えたらしい。本来なら絶対あり得ないことのようで、奇跡だと神様たちも驚いていた。

「ならさ、この先の未来を神様は知ってるのか?」

「はい」

「それを教えてくれたりは……?」

「残念ながらできません」

「そっか」

 別に落胆はしない。さすがにあんなド派手は世界の危機はさすがにもう訪れないだろう。もし仮にそんなピンチが来たとしても、また三人で力を合わせて未来を変えればいい。

「幸せな時間がいつまでも続くとは限りません。だから今を大切にしてくださいね」

「当たり前だ」

 それが俺の生き方だ。今後も変えることはないだろう。

「それじゃあ私はこれで失礼しますね。まだ向こうの片づけもしないといけないので」

「あぁ」

 それきりヴェルザンディの声は聞こえなくなった。

 一息ついて空を見上げる。

 日の沈みかけた上空は、きれいな夕焼けに染まっていた。

 たとえこの空が曇ったとしても晴らすことはできる。それが人だ。だからこそ、どんな苦難でも乗り越えられる。何があっても止まることはないだろう。

「あ、こんなところにいた」

「翔人、帰るよ」

 愛奈と夢亜の声がして振りむくと、二人は手いっぱいに近所の商店街の買い物袋を提げていた。今夜は俺の家で愛奈の歓迎会だ。

「あぁ、今行く」

 これからの日常を想像して思わず笑みを浮かべ、小走りで二人の後を追いかけた。





~完~

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君の未来は曇り空 木成 零 @kazu25

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