最終話
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──ここは……時間の狭間?
気づけば俺の意識は暗闇の中でぷかぷかと宙に浮いていた。五感を研ぎ澄ませても何も感じない。時間の流れすらなくなってしまったかのように辺り一面を虚無が支配していた。
俺はさっきまでウルズの泉にいたはずだ。それが時間の狭間にいるのか。
ひょっとすると俺は世界樹の復旧に失敗したのか? そんなはずはない。世界樹が元通りになるのをこの目で確認したし、荒れてしまった現実世界も復元されるのをヴェルザンディの画面越しに見た。そこには俺だけじゃなく、愛奈や神様たちも──
──そういや赤崎と夢亜たちは!?
周囲を探そうとして、そこで初めて身体が動かせないことに気づく。それだけじゃない。さっきから声を出そうとしているのに言葉を発することができない。口でさえも動いてくれないようだ。
どうやら目でさえも動かせないようで、やむを得ず視界の端に意識を集中させる。微かに見える肩口に焦点を合わせると、自分の肉体ではない異質な物体を捉えた。
これは石、だろうか。硬質で灰色の材質としか分からないが、それでようやく俺の置かれた現状を把握する。
──なるほど、これが能力を使った代償ってわけか。
ウルズの能力は何かを過去の状態に戻すもの。代償はその反対を失うのだから、この場合は未来。俺は何もない時間の狭間で石化することで時間という概念が消失したのだろう。そうなれば当然俺の未来は失ったことになる。今意識があるのは、あくまで未来を失っただけで過去や現在は残っているからといったところか。
試しにここ一週間でのできごとを思い返してみる。
時間の狭間の事故がきっかけで出会った愛奈。助けたのにいきなり殺そうとしてきたことは忘れられるわけがない。
一度目の愛奈の事故はかなりショッキングなものだった。被害を受けて死んでしまったのは俺と同じ時間を生きる赤崎愛奈。俺が関わっていたのは過去から来た赤崎愛奈であって彼女とは面識がない。とはいえ、同じ容姿の少女が死ぬ瞬間をもう二度と経験したくない。
そこからは無我夢中だった。過去から来た愛奈の事故を防ぐヒントを探して未来へ行った。決定的な手がかりを得ることはできず、愛奈に今を楽しんでもらおうと水族館にも行った。俺のお金で勝手にステーキを買ってきたこともあった。普段から活動的ではない俺にすれば本当に目まぐるしい一週間だった。何も成果のないまま時間が過ぎ、焦りや不安に駆られることもあった。でも今思い返すと充実した時間だった。
俺の時間はもうここまで。短い人生で苦しい過去もあったが、充実していたと思う。悔いはない。
──これからどうなるんだろうな。
無重力の空間で浮かぶ身体を流れに任せ、俺はそこはかとなく考えてみる。
もう何の気力もない。なるようになるんだろうと楽観的に考えることしかできない。すべてがどうでもよくなっていた。
そうしてどれだけ経ったのだろう。と考えてから何も変わっていないことを思い出す。そもそもこの空間では時間という概念が存在しない。いくら時間が経ったように思えても、実際は常に同じ時間の中にいる。これからも現実世界で何年何百年、あるいはそれ以上の時間をここで過ごさないといけない。これほどまでに生き殺しという言葉が適切な状況もないだろう。
──思ったよりつらいな、これ。
クリアになった頭で自分の状況を客観視した俺は内心苦笑した。
それなりに充実した人生を過ごし、これで終わるのならと思っていたが、これでは永遠に終わりはやってこない。これが俺の決められた運命というやつなのだろうか。だとしたら決められた運命を嫌う夢亜の気持ちが分かった気がする。
──夢亜、無事なのかな。
俺が意識を失う前、夢亜はまだ眠ったままだった。俺が代償を受けてから夢亜は目を覚ましたのだろうか。そもそも、夢亜は自身の代償から解放されたのだろうか。それすらも分からない。
強いて言うなら、夢亜にちゃんと感謝を伝えたかった。それだけが心残りだ。今となっては叶わない願いだと理解しているが、夢亜と、それから愛奈の二人を思い浮かべると胸にぽっかりと穴が空いたような気分になる。
代償がなければ、またこれまで通りの生活が送れてたのかな。愛奈とももっと仲良くなれていたかもしれない。
そんな可能性を考えるとなおさら寂しくなってきた。
けど、やっぱりifはifだ。能力を使うからには代償は避けられないし、能力を使わなければそもそも可能性の話すらできないことになっていた。つまるところ、俺がこうなることは運命だったのだ。諦めるしかない。
そう割り切った途端に二人との思い出がフラッシュバックする。
後悔はないつもりだったのに、どうして今さら心残りしているのだろうか。
もっと生きていたかった。もっと中身のないやりとりをしていたかった。
なんで俺の運命はこんな終わり方なのだろう。
どうすることもできないのが悔しかった。これが運命だからって諦めたくなかった。
胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。なのに一向に涙は出てくれない。
こんなところで終わりたくない。もっと生きていたい。もっと話していたい……!
『翔人』
俺の想いが通じたのか、愛奈の声が聞こえた気がした。どうせ俺の幻聴だろう。ここに愛奈がいるはずないし声も聞こえるはずがない。
「翔人!」
今度ははっきり聞こえた。同時に時間の概念が焼失した暗闇に一筋の光が差し込む。
俺にとって唯一の希望。
その光に手を伸ばそうとする、が簡単には動いてくれない。それでも手に力を込める。
石にひびが入るような音がした。心なしか身体が軽くなった気がする。この機を逃さず俺はありったけの力を込めて腕を持ち上げる。
瓦礫が崩れるような音を伴って俺の身体を覆っていた石が剥がれていく。ようやく言うこと聞くようになった右手を伸ばす。
あとちょっと。あとちょっとで。
限界まで腕を伸ばし、その手が光に届いた。途端に眩く暗闇を照らす。
──やっと届いた。
この一週間ずっと聞いてきた声が、不思議と懐かしく心地よいものに聞こえた。
腕を引き上げられる感覚に身を任せ、俺は静かに目を閉じた。
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