第37話

 纏っていた黒い光も消え、肩の上下で息をしているのも確認できる。

 俺は急いで夢亜を抱え、ウルズのもとへ運んだ。

「まさか、ほんとにやってのけるとはな」

 スクルドが目を丸くして感嘆すると、隣で何かを呟いていたウルズは柔らかい笑みを浮かべる。。

「あら、スクルドは信じてなかったの?」

「別にそういうワケじゃねーけどさ、こんなワケ分からねぇ状況をどうにかできるとか思わねーだろフツー」

「それはそうですね。やっぱり翔人さんにして正解でした」

「本当に翔人には感謝してる」

 ヴェルザンディと愛奈から面と向かって言われると恥ずかしさがこみ上げてくる。それでようやく、愛奈も夢亜も助けられたんだという実感が湧いてきた。愛奈と出会ってから奔走した時間が報われたことに胸をなでおろす。

「そういうのは、夢亜さんが目覚めてからね」

 ウルズが柏手を打ち、浮かれかけた空気を引き締めた。

 三女神の長女である彼女だけはまだ緊迫した雰囲気を保っていた。釣られるようにして、場の全員が気を引き締めなおす。

「準備はできたんですか?」

 ヴェルザンディの問いかけに、スクルドは首肯する。

「時間がないから、すぐに始めるわね」

 片膝をついて夢亜の腹部に触れる。スクルドのその動作を見て全員が一歩後退してスペースを開けた。

運命ときことわりなんじの示すは世の記憶」

 穏やかな風が吹き抜け、ウルズの水色の髪をふわりと舞い上げる。

 夢亜の身体が宙に浮かび、鮮やかな水色の光の粒子が二人を包み込む。緊張感が走り、思わず俺は息をのんだ。

 光の粒子は生きているかのように二人の周りを舞い、幻想的な光景を作り出す。

「今の力をって我の願いを叶えたまえ」

 祝詞のりとを終えると、光の粒子たちは夢亜の身体に引き込まれ、一つの大きな光となった。

 光は空間一帯を包むほどに広がっていき、強く発光し始める。

 だが、その光は突如として力なく消えた。

 同時に、これまでにない揺れが空間を襲った。

「きゃっ!」

 よろめきかけた愛奈を支え、俺も足に力を入れて踏みとどまる。

 揺れによってウルズの能力がキャンセルされ、夢亜の周りを浮遊していた光の粒子が消滅する。

「何が起こってるんだ……」

「──っ、あれです!」

 ヴェルザンディが指し示す先では、まだ黒い光が世界樹の覆ったままだった。むしろ夢亜を覆っていた分がすべて世界樹の方に流れたかのように光は規模を増していた。

「でもなんで!?」

 夢亜はもう能力を使っていない以上、彼女の能力によって引き起こされた世界樹の腐敗は収まらないとおかしい。それがまだ腐敗が進んだままだというのはどういうことなのか。

「あれはもう、夢亜さんの意志から乖離しているのだと思います。おそらく、夢亜さんが能力を使った時点で効果を発揮しているのでしょう。夢亜さんだけでなく、世界樹を夢亜さんの能力から解放しなければいけないようです」

「そんな! じゃあ早くウルズの能力で世界樹と夢亜を元に戻さないと!」

「残念ながら、それはできないわね」

 唯一の希望だったウルズ本人が、首を横に振った。

「もう世界樹の腐敗が進み、世界に影響が出てしまっています」

 俺の前に小さな画面が出現した。映し出されているのは俺がさっきまでいた公園の入り口のはずだが、本当にそれでいいのか確信が持てなかった。

 大地震の後かと思うほど荒れ果てた大地。出入りしていたはずの車の姿はなく、シンボルだった三女神の像も大きな亀裂が入っている。建造物も倒壊し、植えられていた草木は世界樹と同様に枯死してしまっていた。世界の終末というものを嫌でも思い知らされる惨状だ。

「嘘だろ……」

「もうここまで世界の崩壊が進行してしまっては、わたし一人の能力ではどうにもできないわね──そこで」

 もったいぶってウルズはいたずらな笑みを見せる。

「わたしと契約しない?」

「契約……」

「わたし一人の能力じゃどうしようもないけれど、翔人さんがわたしと契約して能力を合わせればまだギリギリ間に合うわ」

「それは、俺じゃないとダメなのか?」

「そうね、愛奈さんも今目覚めたところの病み上がりだし、夢亜さんはそもそもこの状況じゃ不可能でしょう。今契約して能力を使えるのはあなただけ、ってことになるわね」

「分かった。やるしかない」

「でもその前に。翔人さんと契約して世界樹の腐敗を止めたとしても、これまで通り生活できない可能性が高いわ」

「どういうことだ?」

「私と翔人さんの能力を合わせても、全力を尽くさないと世界樹の腐敗は止められない状況にまで来てしまっている。その全力に、翔人さんの身体が保たない可能性が一つ。それから、成功したとしても、大きな能力を使った代償として、何かしらの形で『未来』を失う可能性が高いわね」

 そりゃそうだろうな、と苦笑を浮かべる。

 ここまで深刻になった事態を復旧するのに、無償でできるなんて易しい話はない。それに代償だって夢亜に負わせるのではなく、今度こそ自分で受けなければならない。『未来』を失うことがどういうことなのか想像もつかないが、夢亜や愛奈の前例を見るからにかなり重度の代償を差し出さなければならないはずだ。

 それでも、俺にしかできないのならやるしかない。やりたいかやりたくないかと言われれば本音は後者だが、どのみち世界が滅ぶことになるのならそうも言ってられない。

「分かった。契約しよう」

「待って!」

 俺の返答を聞いた愛奈がすかさず待ったをかけた。

「契約するってことは、死んじゃうかもしれないのよ!? それは嫌!」

「赤崎だって、自分を犠牲にしても世界樹を守ろうとしただろ? 同じだよ」

「それは……」

「これは俺にしかできないんだ。だから悪いな」

 今になってようやく愛奈がどんな思いで自らを犠牲にしようとしていたのかを理解した。これなら、俺に何も告げずにいなくなろうとしたことに対する苛立ちや困惑が分かるんじゃないかと思う。もし未来が続くとしたら、今後はそんな勝手なことはしないだろう。

「なら私も手伝うわ! 私にだって何か力になれることはあるはず!」

「大丈夫。気持ちだけもらっとくよ」

 社交辞令とかではなく素直に嬉しい。愛奈がそう言ってくれてるのだから力を借りたい。それが今のような状況でなければ、だが。

 今は誰が何と言おうが俺がやるしかない。愛奈と夢亜の二人には悪いとは思うけど、一刻を争う以上迷ってもいられない。

「ウルズ、早くしてくれ」

「分かったわ。じゃあ、手を出してもらえるかしら?」

「手を?」

 よくわからないが言われた通りに右手を差し出す。その手をウルズは両手で優しく包み込んだ。

「我、ウルズの名において汝、白瀬翔人と契りちぎりを結ぶ。今ここに新たなる希望が誕生せよ」

「え、ちょっと!?」

 ウルズが俺の右手に口づけをすると青白い光が輝いた。手に感じた柔らかな感触に心臓を脈打たせながら、自分の身体が不思議な温かさに包まれる。

 契約って、こういうことか。

 前回はまだ俺が幼かったことに加え、いつの間にか契約されていて、いつの間にか力が使えるようになった。こうして目の前で神様と契約するのは初めてだ。

 自分の体内から新たな力がみなぎってくるような、そんな奇妙な感覚に襲われながら青白い光が収束した。

「これで契約は完了よ」

ウルズが手を放すと、俺はふぅ、と一息つく。

「さ、準備はいいわね?」

「あぁ」

 今ならなんでもできそうな気がする。世界樹の腐敗だって止められる気がする。

「もう一度確認するけれど、わたしたちなら未来を守れるわ。けれど、翔人さんはどうなるか分からない。それでも、本当に大丈夫?」

「大丈夫だ」

 俺が即答すると、隣の愛奈が悲しむような悔しがるような、複雑な表情を見せた。そんな彼女に罪悪感を感じ、内心で謝罪を入れておく。

 そのまま視線を眠ったままの夢亜に移す。今は穏やかに眠っているが、またいつ苦しみだすか分からない。

 もうこれが夢亜の顔を見る最後の機会かもしれないと思うと、とても感慨深くなる。同時に十年以上の時間を過ごしてきた思い出がフラッシュバックして寂寞せきばくに支配される。

 ──まだ終わってないんだ。

 私情を振り払い、覚悟を決めて世界樹に向き直る。 

「じゃあ、やるわよ」

 頷いて俺とウルズは世界樹の前まで移動する。

 悪魔に憑かれたのような姿になった大樹はとても痛々しくて見ていられない。

 二人で世界樹に手を伸ばすと、大きく息を吸って吐き出した。

 俺が何をすればいいのかは不思議と分かった。

「「運命(とき)の理(ことわり)、汝(なんじ)の示すは世の記憶」」

 自分が今見ている光景を脳に焼き付ける。

 これまで過ごしてきた世界に特段思い入れはないが、今見ているものが最後の後継かもしれないと思うととても感慨深い。最後に見るのがこんな荒廃した世界なのはちょっと残念だが、こればかりはどうしようもない。

 夢亜には迷惑をかけたし、世話にもなった。他にも──と、いろんな人を思い浮かべようとしたが、俺にはそこまでの人付き合いがなかったことに苦笑する。自分で言うのもなんだが、それが俺らしい。

 そんな俺でも、なんだかんだ自分の過去を振り返れば楽しく生きれたと思う。だから本当にこれで俺が終わりだとしても、悔いはない。

 一言一句、噛みしめるように続きを口にする。

「「今其の力を以て我の願いを叶えたまえ」」

 唱え終えると、ウルズが夢亜にしていたように光の粒子が無数に浮かび上がる。それらはゆっくりとした速さで樹に向かって流れていく。

 世界樹にまとわりついた黒い光を振り払うように光の粒子が集束すると徐々に大きさを増していく。

 腐敗した幹はまた力を取り戻し、しなった枝もまた元気を取り戻して力強く上を向いた。落ちていた枯れ葉は時を遡るように枝へと還り、新緑を取り戻す。

 すぐに世界樹は初めて見たときの姿に戻った。そのまま光がこの空間を覆う。

 ふっと、めまいがして力が抜ける。崩れ落ちそうになるのをなんとかこらえる。

 そうか。これが力を使うってことか。

 少しずつ意識が薄れるのを感じながらも光の中心である世界樹を見据える。

「見てください! 世界が、世界が戻っています!」

 ヴェルザンディの浮かれた声に反応すると、彼女は現実世界を映しだした画面を眺めていた。

 横目で覗き込んでみると、荒れた大地が元の姿に修復され始めていた。

 荒れてヒビの入った大地が接合し、崩れ落ちた建物が積みあがっていく。とても現実のものとは思えない光景に感嘆する。

 俺らとウルズの能力は成功したようだ。これで世界は何事もなかったかのように時間を刻んでいく。生を受けている人々は、いずれ与えられる死までの人生を自分たちの意志で歩んでいく。

 これでいい。

 愛奈の未来がつながれ、夢亜の苦しかった過去に幕が下りる。これからは彼女たちもなんの気兼ねなく生きていけるだろう。

 俺の視線に気づいた愛奈と目が合うと、彼女はもの言いたげな目を向けてくる。気まずさに耐えかねた俺は思わず視線を外した。

 世界が元に戻るのはいいが、俺はどうなるんだとでも言いたいのだろう。

 今も俺の視界はぼやけて意識が遠のいている。立っていられるのもあと僅かと言ったとこか。俺だって今さら後には退けない。

 足を踏ん張り直し意識を保つ。自分の生命力を絞り出し、世界樹に移すように集中する。それに反応して光の粒子がさらに出現すると、世界樹を中心に輝く光と結合しその一部と化す。

 ウルズも同様に集中しているが、彼女でさえも険しい顔つきになっている。ウルズ一人の能力では何もできないというのは本当だったらしい。それでもウルズからは強大な力を感じる。現に光の粒子の数も多い。

 まだだ、まだ終わってない。

 俺も最後の力を振り絞る。

「これで──!」

 また、地面が揺れた。さっきのような破壊の振動ではなく、何かがカチリとはまるようなもの。

 気づけば、冷たくておぞましい光が完全に消え、穏やかな光が空間一体を支配した。不思議とその光は温かく居心地のいいものだ。何もかもを許容して包み込んでくれるような穏やかさがあった。

「やりました! これで世界は元通りです!」

 後方でヴェルザンディの歓喜の声がした。

 徐々に光が晴れ、画面に映る現実世界が姿を見せる。それは俺のよく知る世界だった。立ち並ぶ家並み、整備された道、生ある植物に生物。すべてが完全修復されていた。

「やった……俺は、やり遂げたんだ……」

 初めて見たとき同様に力強く地に根付き、優しい新緑に彩られた世界樹を見て自分の成し遂げたことを実感した。

 同時に、限界を迎えた俺の意識は暗闇へと落ちていった。

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