第36話
「もしかして、もう代償が!?」
愛奈が能力を使ってから記憶を失うまで丸一日は猶予があった。しかし、夢亜まだ能力を使い始めたばかりだ。あまりにも早すぎる。
「きっとこれまでにも能力を使っていたのでしょう。その代償が出てきたんだと思います」
そうか、夢亜は今日以前にも最終調整として事故を起こしている。それに、愛奈と出会って間もないころに予言された不運。あれも夢亜が噛んでいてもおかしくない。その方が納得がいく。
「どうすればいい? 何か方法はあるんだろ?」
「はい……でもそれは」
「いいから言ってくれ。なんで渋るかは知らないけど、そうも言ってられない状況だろ」
それでもヴェルザンディはすぐに答えなかった。
苦しむ夢亜と黒い光に包まれた世界樹、それからどこかをちらちら盗み見るように視線を移動させる。状況を考えれば出し惜しみなどしている余裕はないが、葛藤しているということはそれと同様の不安要素があるということか。
時間をかけて、ようやくヴェルザンディは重い口を開く。
「──分かりました。翔人さん、夢亜さんをここに連れて来られますか?」
「それくらいなら構わないけど、どうするつもりだ?」
「ウルズの能力は、対象を過去の状態まで戻すことです。これを使って夢亜さんを代償に苛まれる前の状態に戻します」
話を聞いていたウルズが「やっぱりね」と言いたげにため息をついた。
「それしかないわね。でもそれでいいの? わたしたちは能力は誰かの個人的な都合で使っていいものじゃないわ。わたしたちは禁忌を犯すことになるわよ?」
静かに神様はうなずく。
「でもそれしか方法はありません。それに、夢亜さんが能力に侵されることになった元の原因は私です。なら、その責任はとらないといけません」
「分かったわ。ならわたしは準備に入るわ。だからその間に夢亜さんを連れてきてもらえる?」
「やってみます」
それだけ答えて夢亜に歩み寄る。
「ああ、あああぁぁぁぁ」
現在進行形で苦しそうにする幼馴染の悲痛な姿はとても見ていられない。こんな夢亜は俺の知っている夢亜じゃない。面倒見がよくて、世話焼きで、それでいて学校をさぼっても怒らないで俺を信じてくれる姿こそ、俺の昔から知る幼馴染だ。
「待ってろ夢亜、今助けるから」
俺は夢亜に救われて生きてきた。だから、今度は俺が夢亜を助ける番。
夢亜が代償にどれだけ耐えられるか分からない以上、一秒でも無駄にしたくない。
幼馴染に駆け寄り、手を伸ばす。
「夢亜──っ!」
その手が何かに弾かれた。その衝撃で身体ごと後方へ飛ばされる。
「くっ!」
背中をさすりながら立ち上がり、何が起こったか確認すると、夢亜の前に黒い障壁が展開していた。ビリビリと電気のようなものを迸らせながら点滅する光は世界樹を覆っているものと同一のもの。さすがに俺でも代償が関係しているのは分かる。
「代償が夢亜さんを取り込もうとしています! 完全に取り込まれると夢亜さんはもう戻れなくなってしまいます!」
「そんな!」
「そうなる前に急いでください!」
それは分かってる。でもどうしたらいいんだ。
今も世界樹は腐敗が進み、黒くなった葉がボロボロと地面に落ち始める。とりまく光は
夢亜も、世界も、もう猶予はほとんどない。
けどどうすればいい。あの障壁が消えない限り俺は夢亜に近づけない。外側からどうにかすることはできそうにない。
「何か障壁をなくす方法はないのか!?」
「分かりません……今起こっていること自体、私たちでも初めての出来事なんです」
ぎゅっと手に力を込める様子が、彼女たちの困惑を物語っていた。
「ですが、一つだけ可能性があるとしたら、夢亜さんが代償に打ち勝つことだと思います」
「代償に、打ち勝つ?」
「はい。代償が夢亜さんを取り込むのにかかっている時間が本来よりも長いんです。これはきっと夢亜さんが抵抗しているんだと思います」
「そんなことができるのか?」
「できないはず、です。けど夢亜さんはすでに、翔人さんが受けるべき代償を自分の能力にするというイレギュラーを起こしています。もう何が起こってもおかしくはありません」
俺から言わせれば、神様とこうして言葉を交わし、時間の狭間という現実離れした空間にいて、さらには能力まで使っていること自体イレギュラーだ。そしてそのイレギュラーを、受け入れている自分に苦笑する。
「もし夢亜さんの意志で代償に打ち勝てれば、あの障壁も消えると思います」
「──分かった。やってみる」
深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
「夢亜、聞こえるか!」
障壁が夢亜を覆っている以上、俺が夢亜に対して物理的なことはなにもしてやれない。
「俺はずっと夢亜に助けてもらってた。いや、今だって夢亜には助けられてる。感謝してるんだ」
けど声なら届けられる。俺の想いをぶつければ夢亜は応えてくれるはずだ。頑固な部分もあるけど、根は人想いで世話焼きな幼馴染のことを信じてる。
「だからこそ、夢亜の苦しみに気づいてあげられなかったことを後悔してる。本当にごめん。俺が気づいてたら俺だって夢亜の力になれたかもしれない。俺が一方的に元気づけられるだけじゃなくて、夢亜の苦労も分かち合えたかもしれない。もし過去に戻れるなら、やり直したい」
過去はどうあがいても変えられない。だからこそ過去は過去だし、今がある。それは分かってる。あくまで過去に戻れるならという話であって、実際に戻りたいとは思わない。
「でも俺は今が好きだ。学校へ行って、あんまりまともに授業を聞いたことはないけど、休み時間に夢亜と話したり、帰りは一緒に帰る。帰っそのあとはなんとなく時間を過ごして、寝て、また起きて。ごく普通の生活だけど、それが気に入ってる。だから世界が終わればいいとか、世界を終わらせるとか言わないでくれ」
夢亜は自分の能力をどうにかしたいと願っていた。が、それが叶わないと知って絶望に染まった。だから自分もろとも何もかも終わってしまえばいい。その気持ちは分からなくもない。でもそんなの、悲しすぎる。
「過去はダメだったかもしれない。その過去があるからこそ、今がある。けど、未来はまだ決まっていない!」
運命が神様に決められていることが許せない、と夢亜は言っていた。それは本当にそうだろうか。もとより、運命は人が決めるものではない。生を受けた時点で死は約束されていて、死に至る過程を決めるのが、人。だから自分の納得のいかない結末を、仕方ないと済ませる選択もあれば、自分が納得し、楽しいと感じる選択を取ることもできる。
「未来は変えられるんだ。現に俺は赤崎の未来を変えた。だから夢亜の未来も変えられる! 諦めなければ可能性はあるんだ!」
どれだけ言葉を投げかけても、変化は起こらない。
──これじゃだめか。まあ、そうだろうな。
俺は自分で選んだセリフに苦笑する。
夢亜はずっと一人だった。夢亜の両親や幼馴染である俺、学校の友達もいる。けど、誰にも自分の能力のことを打ち明けることはできなかった。誰かに打ち明けたとして、それを信じてもらえるような内容ではないのだから当たり前だ。そうして夢亜は、十年間も一人で抱え続けた。
なら、夢亜がほしい言葉は何か。俺が両親を失って孤独を感じていた時に、かけてほしかった言葉は何か。
「俺は夢亜にいてほしいんだ。だって俺らは家族だろ?」
夢亜の悲痛な叫びが止まった。その反応に確かな手ごたえを感じる。
「もう夢亜はその能力に苦しまなくていい。神様たちが、その力を消してくれる元の生活に戻れるんだ。能力だけじゃない。辛いことがあったら俺が相談に乗る。だからもう、夢亜は一人じゃないんだ」
彼女の瞳から、一筋の光が零れた。それは闇のような黒いものではなく、純白で希望を込めた光。
「戻ってこい夢亜。まだ今ならやり直せる。今度こそ、心から楽しめる生き方をしよう」
「ぁ、ぁぁ」
残された力を振り絞って伸ばそうとした夢亜の手は、明らかに最後の一押しを待っていた。
しかし、その手が伸ばしきる手前で止まった。
「うっ、ぁぁぁぁああああ!」
「夢亜!? しっかりしろ!」
あと少しのところで、また苦しげな悲鳴をあげ始めた。
「くそっ!」
夢亜だった代償と戦っている。ということは、彼女はこっちに戻ってきたがっているんだ。だからなんとか連れ戻したい。
ただ、俺の言葉はあと少し届かなった。これ以上言葉をぶつけても、効果があるのか不安になる。
「どうしたら……ん?」
考えこもうとしたところを、背後から左の袖を軽く引っ張られた。
振り返るといつの間に目を覚ましたのか、愛奈が立っていた。
「もう大丈夫なのか?」
頷いて肯定して見せると、おぼつかない足取りで夢亜に歩み寄った。歩き方を見れば、大丈夫というのが単なる強がりで全然大丈夫には見えない。それでもその歩みには力強い意志があった。
「大丈夫」
小さく呟いた言葉は夢亜にかけたものか、あるいは自分自身の体調に対して言ったのか。
「大丈夫だから」
首から下げる翡翠ペンダントを右手で握り締めてもう一度反芻すると、愛奈は左手を夢亜に向けて伸ばす。
「あ、ちょっと」
止めようとしたが、それよりも先に愛奈の手が障壁に弾かれる。
俺とは違って身体ごと吹き飛ばされることはなかったが、衝撃に耐えるように表情を歪めた。
それでもまた障壁に手を伸ばすと、今度は弾かれまいと力を込めて押し込む。障壁を破ることはないが、弾かれることなく障壁に手を乗せた。
火花が散るような音を立て、障壁がその手を退けようとするが、愛奈はそれに屈しない。
「私も力になりたい。もう一人で苦しまなくていいの」
愛奈がそんな言葉をかけるのが意外だった。
ついさっき殺されかけたばかりの相手に手を差し伸べることは容易じゃない。自分を殺そうとした憎悪。今度こそ殺されるかもしれないという恐怖。向けられているものと同様の敵意。 そんな感情が相まって夢亜に近づきたくないのが普通だろう。
「私も、一人で未来を変えるって決めてた。最初は翔人が犯人だと思い込んでたから、自分はどうなってもいいから翔人を殺して未来を変えようと思ってたわ」
今となっては懐かしく思える愛奈との出会い。第一印象は最悪だった。夢亜といい愛奈と言い、なんで俺がそんなに狙われるのか。
「未来を変えるといっても何をしたらいいか分からなくて、時間がないって焦りと命のリミットが来る怖さで動けなくなった。でも、翔人が助けてくれたから。一人でずっと抱え込んでたことを、翔人に聞いてもらって、協力してもらってすごく楽になったのよ。それからは自分が死ぬことだとか、一人でやらないといけないとかって焦りがなくなったわ。私にかかってた雲が晴れたの。今度は私が雲を晴らす番。私もあなたの力になりたい。ならせてほしい」
まるで夢亜に刺されたことが夢の出来事だったかのように、愛奈の口調は穏やかだった。
呼応するがごとく夢亜の叫びが止まり、彼女を包む黒い光が弱くなった。
「だからね、一緒にがんばろ! 私たちならきっと大丈夫! 何があっても絶対乗り越えられるから! だからさ、友達になろうよ!」
黒い光を振り払うように、中心から白い光が見え始めていた。
夢亜も代償との戦いに今度こそケリをつけようとしている。代償に抵抗してから一度飲み込まれそうになっても、戻ってこようと懸命に手を伸ばしている。なら、俺はその手を取って迎え入れるまで。
俺も愛奈の隣に並んで立ち、障壁に手を伸ばす。
「夢亜がいなくなったら、俺はまた一人ぼっちだ。きっと昔みたいに何もできなくなる。だからちゃんと面倒を見てくれる人が必要なんだよ。だから死ぬな。こっちに戻ってこい」
ガラスが割れるような乾いた音を立て、邪魔だった障壁は砕け散った。夢亜の内側から白い光が大きくなって一帯を覆う。
「ほんと、しょうがないなぁ」
まばゆい光の中、夢亜の笑う声が聞こえた気がした。目を開くと、幼馴染は床に倒れていた。
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