雲もいつかは晴れていく

第34話

 まばゆい光が晴れると、次元の狭間にある空間にいた。

「お久しぶりですね、というのは違いますか」

 穏やかな声に振り向けば、見覚えのある神様が立っていた。

 その両隣には初顔の少女が二人並んでいた。右側には水色のロングヘアで、身長は165センチほどあるだろうか。目じりが下がった穏やかな目つきで白のワンピースを身にまとっている。起伏のある体つきと余裕のある佇まいは大人のお姉さんという印象だ。反対側の少女は、対照的に赤髪のショートヘアで小柄の少女。吊り目がちで肩幅に足を開き、腕を組んで立っている。Tシャツにショートパンツという服装も相まって、殊勝な少女という第一印象を受けた。そして中央には何度か見たことのある神様。

「そういえば何度かお話しているのに、自己紹介をしてませんでしたね。私はヴェルザンディと言います」

 聞いたことのある名前に思わず耳を疑った。

「ヴェルザンディって……あの三女神の!?」

「はい。現在を司る神様です」

「ってことはその二人は……」

「そうです。紹介しますね。こっち姉のウルズ」

 水色の髪の少女が一歩前にでて上品にお辞儀をする。

「はじめまして。わたしは過去を司る神、ウルズよ。よろしくね」

 物腰柔らかい口調で挨拶をすると、優しい笑顔を見せた。彼女の美貌もあってついつい見惚れそうになる。

「それで、こっちがスクルド。妹です」

「スクルドだ」

 そっぽを向いてぶっきらぼうにそれだけを告げた。つくづくウルズとは対照的だ。

「改めて、白瀬翔人さん。ようこそウルズの泉へ」

「ウルズの泉……」

 見渡せばやはり不思議な場所だ。周囲は黒く塗りつぶされてしまったかのように無が広がっているのに、地面も同様にどこまでも広がっているのではないかと錯覚するほどの広さがある。そしてその中心部には巨大な樹が根強く生えている。

「これが世界樹か」

「はい。この木が世界樹ユグドラシルです。私たちが守っている一番大切なものです。ですがよく見てください」

 言われて俺は目を凝らしてみる。よく見ると、幹にある異変を見つけた。

「ちょっと腐りかけてる?」

「はい。本当ならこの木の根元には水がありました。その水には普通の水と違って神聖なもので、世界樹が枯れないように念入りに手入れしていたんです。ですが──」

 ヴェルザンディは悲しそうに世界樹に視線を向けた。

「三年ほど前から、なぜかこの水が減っていったのです」

「水……?」

 世界樹の根元を見るが、水なんてどこにも存在しない。一応それらしき跡は残っているが、干上がってしまっている。

「今となってはその水も枯れてしまっています。何千年、何万年と泉を見続けてきましたが、こんなことは初めてなんです。このままだと世界樹が朽ちてしまいます」

「そんな!」

「だから私たちは人間と契約し、人間からエネルギーを供給してもらい、世界樹の養分にすることにしました。その契約相手が赤崎愛奈さんです」

「赤崎が……そうだ、赤崎は!?」

「大丈夫よ。ほら」

 ウルズに指さされた背後を振り返ると、意識を失って倒れたままの愛奈が光に包まれて空中に浮いていた。

「愛奈さんもこちらに移動させたわ。今は非常用にとっておいた泉の水で治療してるのよ。傷は深いけど、しばらくすれば目を覚ますでしょう」

「よかった……」

 愛奈が無事だと知って俺は胸をなでおろした。なんとか愛奈を助けるという約束は守れていたみたいだ。とはいえ、夢亜を止めるまでは何も終わってはくれない。もし愛奈が生きていると知れば、夢亜はまた愛奈を殺しに来るだろう。愛奈を止めなければ未来は来ない。

「けど、なんで愛奈だったんだ?」

「それはわたしから説明するわね」

 名乗り出たウルズが愛奈に歩み寄り、彼女に手をかざした。すると愛奈を覆っていた光が消滅し、身体がふわりと着地する。

「わたしたちが人間と契約するには条件があるのよ」

「条件?」

「まず、翔人さんがヴェルザンディと契約したように、愛奈さんと契約したのは未来を司るスクルドです」

 スクルドを見やると、彼女は「なんだよ?」とでも言いたげな目を向けてきた。

「私たちはそれぞれ、過去、現在、未来を司っています。人間と契約するには、それぞれの領域に希望を持つ人でないといけないわ。つまり、私なら過去、ヴェルザンディなら現在、スクルドなら未来」

「つまり、赤崎は未来に希望を持っていたってことか」

 思えば愛奈は事故の起こる最後の最後まで諦めることはしなかった。弱気になっていたことは何度もあったが、それでも未来を変えるという強い意志を持っていた。自分の能力だけでは未来を変えられないとわかってからも、俺を信じて未来に希望を持ち続けていた。冷静に考えれば自分の死が迫っているのに平常心でいられるのは愛奈だからこそだろう。

「ちょっと待った、それなら俺が現在に希望を持ってるって話にならないか?」

「そうですよ?」

 不思議そうにヴェルザンディは首を傾げてくる。

「俺は別に希望なんて大層なものはもってないぞ? なんで俺と契約したんだ?」

「あれ、もしかして自覚ないんですか? あなたと初めて会ったとき、『もしも、人を幸せにしたり、あるいは不幸にしたり、ということを誰かが決めているとしたら、あなたはどうしますか?』って質問しました。そのときにあなたがなんて答えたか覚えてますか?」

それなら当然覚えてる。今だってその質問の答えは変わらないし、それが俺の生き様だ。

「あぁ。『それが変えられないんだったら、自分がやりたいことをして楽しむ』」

「はい。それはつまり、何があっても周囲の状況に囚われず、自分の意志を貫くってことですよね?」

「まあそうなる、かな」

「それで充分です。周囲に惑わされず、今の自分を信じるってことは簡単じゃないんです。今に希望をもっていないとできることじゃありません」

「そう、かな」

 そんなふうに言われると照れ臭い。周囲とあまり関わりを持たないようにし、自分の世界に閉じこもっているだけの人間だと思っていた。だけどヴェルザンディが言ってくれたような考え方もあると言われて素直に嬉しかった。

 とりあえず今の説明で条件は理解できた。だがどうしても腑に落ちないことが一つある。

「でも、なんで俺なんだ? 同じように考えてる人は探せば俺以外にいるだろ」

「それはですね、探すのが面倒だったからです」

「おい」

「ふふふ、冗談です。相変わらずあなたはからかうと面白いですね」

 本心から楽しそうに笑われると何も言えなくなってしまうのがまた釈然としない。

 ジト目でヴェルザンディに真実を告げるように要求する。

「けれど、本当の理由もそんなに大げさな理由じゃないですよ?」

「いいから」

「からかったことは謝りますからそんなに怒らないでください。私があなたを選んだのは、純粋にあなたのことが気に入ったからですよ。これじゃ納得いきませんか?」

「は?」

 本当に大した理由じゃなくてつい拍子抜けした。

 契約という、人生に大きな影響を及ぼす重要な決断理由があまりにも個人的すぎやしないだろうか。神様という概念に対して人が抱いている、気まぐれというイメージが正しかった事実を垣間見た気がする。

「でもそんなものよ。スクルドだってそうでしょう?」

 長女のウルズに振られたスクルドは面倒くさそうに舌打ちした。

「んなモン、別にいいだろーが」

「こーら、そんな言い方しないの」

 妹を叱る姉の姿は人間と同じで、兄弟のいない俺には微笑ましく映った。

「ごめんなさい、話を続けるわね。私たちと契約することで、人間には使えない能力が使えるようになるの。愛奈さんの場合だと、未来を視ること。翔人さんの場合は現在、特に人の感情や本心が視える」

「なるほどな、それで赤崎は未来を知ったのか」

「そうだと思うわ。でも、いくら私たちと契約したと言っても、本来人間ができることじゃない。だから当然体に負荷がかかる。その負荷というのは人によって違ってくるけれど、愛奈さんの場合は『記憶』だったのよ」

 かちり、と俺の中で何かの歯車が噛み合った。少しずつ、これまでの不思議な現象に合点がいきはじめる。

「記憶って……じゃあ赤崎が急に記憶喪失になったのって代償が関係してるのか!?」

「そう。能力を使った代償ね。記憶を失う前、愛奈さんはどこかで未来を視たんじゃないかしら」

「あっ……」

 未来の愛奈が残した携帯のパスコードを調べるため、愛奈に能力を使って未来を見てもらった。そして記憶を失ったのはその翌日。タイミングを考えれば確実に原因はそれだ。

 俺が提案しなければ愛奈が苦しむことはなかったのに、愛奈の能力を頼ってしまったがゆえに彼女を苦しませてしまった。

 罪悪感に苛まれて俺は唇を噛みしめた。

「翔人さんのせいってわけではないわ。愛奈さんも以前にも何度か力を使っているから代償が自分の記憶だと知っていたはずよ」

 そういえば、未来を見ることを提案したとき、愛奈は一瞬浮かない表情を見せていた。今思えばあれは代償として自分の記憶を失ってしまうことへの戸惑いだったのだろう。だが自分の記憶を代償にしても、俺が未来を変えることを信じて愛奈は能力を使用した。代償を知らなかったとは言え、愛奈にはつらい思いをさせてしまった。

「それにしても代償が記憶ってのは重すぎるんじゃないか?」

「わたしだって愛奈さんには申し訳ないことをしているとは思ってる。でも、こればっかりはわたしにもどうすることもできないわ」

 無責任な話だが、人の範疇を超えた能力を自由に使える方が都合のいい話だろう。

「それとは別に、私たちは愛奈さんから生気を少しずつ分けてもらい、それを世界樹の養分にしていた。これについては契約とは関係なく、お互いの同意の上ね」

「そういえば夢亜もそんなこと言ってたな」

 だからこそ愛奈が夢亜の障害となり、狙われる理由にもなった。同意とはいえ、夢亜からしてみればいい迷惑だ。

「けれど、それだけじゃ足りなかったのよ。泉の水はすぐに干上がってしまった。このままだと長くて一週間。早くて数日中に世界が崩壊を始める」

「そんな! 止める方法はないのか!?」

「あるにはあるの。でも……」

 ウルズはちらりと愛奈を見た。

「愛奈さんの生命力を直接世界樹のエネルギーとして供給できれば世界樹の枯朽こきゅうは止められる」

「生命力って、それじゃあ赤崎はどうなるんだよ!」

「生命力を失った人間は、もうこれまで通り生きていくことはできないわ。そのまま死を迎えるか、心臓が動いていても植物人間となるか。その二択しか存在しない」

「そんな……」

 これでようやく未来の愛奈が残した動画で、彼女がしようとしていたことが分かった。事故を防げないなら、自ら世界樹のエネルギーと化する。どうせ死ぬならその方がいいとでも考えていたのだろう。

 しかし、それじゃあ意味がない。事故を防いだとしても結局愛奈はいなくなってしまう。なら俺が奮闘してきた一週間は何だったんだ。ここまでしておいて無駄だったなんて思いたくない。

「でも安心していいわよ。今の愛奈さんの状態なら枯朽を止めるだけのエネルギーが供給できないのよ」

「つまり、赤崎はもう大丈夫ってことなのか?」

「少なくとも今は、ってとこかしら。愛奈さんを狙うのが夢亜さんだったと分かった以上、彼女はもう堂々と仕掛けてくる可能性があるわね」

 そうか。夢亜は自分のことを悟られないように警戒しながら愛奈を狙っていた。行動を起こして、愛奈を狙う存在が自分だと気づかれた夢亜は、もう何も恐れず大胆に打って出てくることが考えられる。

「じゃあやっぱり夢亜を止めないと……」

「私のこと、呼んだ?」

「!!」

 ちょうど噂をしていた人物の声を探せば、神様の少し後方に夢亜が立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る