第33話
「おい、何やってるんだよ……」
完全に思考が停止した。愛奈の身体から溢れる血液を見ても動けない。それは刺された愛奈本人も同じで、茫然と自分に刺さったナイフを見下ろしていた。
「翔人が悪いんだからね? ほんとは私が直接手を下すつもりはなかったのに愛奈ちゃんを助けちゃうから」
夢亜がナイフを引き抜くと愛奈はふっと気が抜けたように倒れた。
返り血を浴び、手には赤く染まったナイフを持つ幼馴染は狂気に染まっていた。倒れた愛奈を不気味な笑みで見下ろす姿はまさに殺人鬼そのもの。幼馴染として俺が彼女を止めなければならないのに、身体は言うことを聞いてくれない。せいぜい言葉を返すのが今の俺には限界だった。
「なんで赤崎を刺したんだ!?」
「なんでって、そんなの愛奈ちゃんの存在が邪魔だからに決まってるでしょ?」
「邪魔ってなんだよ!?」
「ねぇ、翔人は世界樹を知ってる?」
「世界樹……?」
童話か神話の話だろうか。
「時間の狭間にある空間の、神様たちが守ってる大きな樹。翔人なら見たことあるでしょ?」
言われてようやく、神様と会った謎の空間に一本の巨大樹と泉があったことを思い出した。だがなぜ夢亜があの空間のことを知ってるのか。あそこは普通の人間が入れる場所ではない。
「その世界樹が世界にエネルギーを供給してるから、私たちの住む世界がこうして成り立ってるの」
「どういうことだ?」
「いきなり言われても理解するのは難しいよね。簡単に言えば世界樹があるから世界は保たれてて、世界樹がなくなったら世界は滅びるってこと」
「は……?」
思っていたより話が壮大すぎて現実味が湧かない。世界樹を確かにこの目でみたことはあるが、現実の空間ではなく、時間の狭間にあるものがそこまで重要な役割を担っているとは思えない。それに、所詮ただの木が世界のエネルギー源になるわけがない。
「もし仮にそうだとして、それがどうしたんだよ」
「私はね、その世界樹を壊したいの」
それはすなわち、世界を滅亡させたいという宣言。愛奈を刺した愉悦に浸ったまま弾んだ声で言ってのけた。夢亜はもう俺の知っている幼馴染ではない。狂気に満ちた悪そのもの。
「そんなこと、していいわけがないだろ!」
気づけば俺は激昂していた。
「夢亜一人の都合で、何十億って人の運命を壊していいわけがない!」
「その運命に、価値はあるのかなぁ?」
「なんだって?」
「人の運命を神様が勝手に決めて、私たちは敷かれたレールの上でしか生きられないんだよ? そんなのに価値なんてあると思えない」
「そんなの……お前が決めることじゃない! 自分の価値を決めるのは自分だけだ! それこそ人が決めていいものじゃない!」
「それは神様から特別な力を与えてもらった翔人だから言えることでしょ? いいよね翔人は。人の考えてることが分かったり、時間旅行者が見えたり、時間の狭間にも自由に行けるんだから。大切な人を不幸にする私の力とは大違いだもんね」
「私の力……? どういうことだ」
「翔人の両親は、時間旅行中の事故で亡くなった。そうだよね?」
「? なんで今その話が出るんだ?」
何の脈絡もなく変化する話題について行けず、俺はぽかんとした。
夢亜が言った通り、俺の両親は十年前の時間旅行の事故で他界した。その場には夢亜もいて今さら確認をする必要は事実だ。なぜここでその話が出てくるのか謎だ。
「もし、真実は違ってて、翔人の両親を私が殺したんだとしたら、どうする?」
「は……? 夢亜が俺の親を殺した……? そんなわけない。俺の両親は事故で死んだんだ。夢亜だってそこにいたんだから知ってるはずだろ」
「そうだよ。私は二人が息を引き取ったその場にいた。翔人よりも先にね」
「!!」
心臓が強く跳ねたのを自覚した。
事故に遭い、時間の狭間から奇跡的に戻ってきた俺は、両親や夢亜を探して施設内を彷徨った。時間旅行を運営する『ネオ・クリエーション』の一人の職員に連れられた場所には、両親の遺体と嗚咽を漏らす夢亜がいたのだ。つまり、俺の知らない空白の時間がそこに存在する。
「私が出発する前の時間に戻ってきたとき、翔人の両親はまだ息をしていたの。意識こそ失ってたけど、絶対助からないって程の重症でもなかったから普通なら助かってたと思う。でもね、幼い私は死ななないでって強く祈って二人に触れっちゃったの。そしたら急に二人が苦しみだして今度こそ心臓が止まったの。だから、二人を殺したのは私」
「は……?」
それでどうして夢亜が殺したことになるのか理解ができない。それを聞いた誰もがただの偶然だと思うだろう。
「もちろん私は殺そうとしたわけじゃないし、その時は私が殺したなんて思ってなかった。けど、そこから立て続けにおかしなことが起こった。たまたま見つけたきれいな花を見ようとしたら急に花が枯れたり、友達のおいしそうなお弁当を見たらなぜかそれが全部腐ったりしてた。だから友達からは気味悪がられてたんだよ?」
初めて聞く事実に衝撃を隠せなかった。だから夢亜のことは物心つくころから知っている。学校でもずっとクラスは一緒だったが、夢亜が気味悪がられているとか、おかしな現象を俺は知らない。
「そんなの初めて聞いたけど」
「そりゃそうだよ。だって翔人にはずっと隠してたんだからさ」
「なんで……言ってくれたら相談くらい乗ってたのに」
「翔人だって両親を失って自分のことで精一杯だったのに相談できる状況じゃなかったでしょ?」
「それは……」
夢亜の言う通りだ。小学校に通ってはいたが、事故以来俺は心を閉ざしてしまっていた。誰とも関わりを持たず、周囲とは壁を作っていた。唯一心を開いていたのは家族同然の夢亜だけだが、それでも当時の俺の心境を思い出せば確かに夢亜のことを気にかけている余裕はなかったと思う。
「それに、私だって翔人のことは家族だと思ってたし、翔人にまで嫌われたくなかったの。なぜか翔人にだけは気味悪い現象が起こらなかったし、友達が離れていった私には翔人しかいなかったの。そりゃ翔人には何があっても知られたくないと思うのが普通でしょ」
夢亜は遠い目で雲に覆われた空を見上げて過去を想起していた。その顔に笑みはなく、暗く曇っていた。かと思うと、血に汚れた自分の手を見下ろした。
「さすがにここまで来ると、私には奇妙な力があるんだって自覚した。そしてこの力が私の思ったことと相反する現象が起こるってことも気づいた。それも、負の出来事ばっかりね。ちょうどその頃だったかな。夢を見たの」
「夢……?」
「そう、夢。自分のことを神様だって言う人と翔人が話してるの夢。そこで聞いちゃったの。人の運命はその神様に操作されてること。人を幸福にするのも、不幸にするのも神様次第だってことをね」
「っ!?」
その話をしたのは事故に遭った日のこと。なぜ時間が経ってからそんなものを見たのか不明だが、夢亜が見たのは夢ではなく現実に起こった過去だ。
「私は神様に不幸にされたの。だからこんなに気味の悪い力を与えられて、友達とみんな離れていった。翔人だけは離れずにいてくれたけど、時間が経てば経つほど私は自分の力が怖くなった。私の意図に反して何もかもを失って、そのうち翔人もいなくなっちゃうんじゃないかって」
「そんなわけないだろ!」
「そうかもしれないけど、それはそのときになってみないと分からないでしょ? それに、私に与えられたこの力が消えるわけじゃない。私にはどうすることもできないの。私がどんな気持ちを秘めて生きてきたか、翔人に分かるわけないよね?」
「それは……」
「私だってこの呪われた力をどうにかしたくて、ずっと一人で調べてたの。そして、見つけた。時間の狭間にあった一本の樹、世界樹を破壊してしまえばこの力に苦しまなくて済むし、誰も不幸にしなくていい」
「でもそれは……!」
さっきの夢亜の言葉が真実なら、世界樹が世界を支えている。その世界の根源である世界樹を破壊するとなると、世界そのものも滅んでしまう。そんなこと考えたこともなく、ぱっとは想像がつかない。
「でもそれは、世界と一緒に人類を滅ぼすことと一緒なんだぞ!? 許されるわけがない!」
「別にいいじゃん。私も、翔人も、みんないなくなって終わらせてしまえばいい。未練なんてあるわけないし、私は死んだって構わないんだから」
──狂ってる。
俺は想像以上に狂気に満ちた幼馴染に戦慄した。言葉にハッタリや脅しの気配はなく本当に世界を犠牲にしても自分の野望をやり遂げてしまいそうな気がした。
「だからね、私は自分の呪いを制御できないか試行錯誤した。自分が決めた対象に、想像した現象が起こせるように頑張ったの。その末に私は今度こそ自分の力として呪いを手に入れた。あとはこれで世界樹さえ壊してしまえば全部終わるはずだった」
嬉々として語る夢亜の視線が、一瞬だけ倒れたままの愛奈に向けられた。そして僅かに頬が引きつる。
「けど、他にも問題があった。それはどうやって愛奈ちゃんを殺すかってこと。私が夢亜ちゃん直接を殺そうとしたら、神様に気づかれる。そうしたら世界樹の破壊が困難になっちゃうんだよね。普通は時間旅行中の人を見ることができないから、それだけでも私が犯人なのは分かっちゃうし。だから、愛奈ちゃんが過去からこの時間に来るのが分かったとき、10年前に私たちが巻き込まれたみたいに時間旅行の事故を装って時間の狭間に閉じ込めたんだよね。それも翔人に妨害されちゃったけど」
許せなかった。夢亜だって俺と一緒に事故に巻き込まれ、死を本気で覚悟した恐怖を味わっているはずだ。それなのにそれを今度は自分で引き起こすという行為が許せない。
「ふざけるな! そんなことしていいと思ってるのか!?」
「さっき言ったでしょ? 私はどうなっても愛奈ちゃんさえ殺して世界樹を破壊できればどうなったっていいの。だから次の手段として私の力で車を暴走させて事故に巻き込まれたってことにすれば自然に愛奈ちゃんを殺せるって思ったの」
「車の、暴走……」
何かが引っかかり、言葉を反芻するとそれが何なのかにすぐに気づけた。
「もしかして俺と夢亜が学校帰りに巻き込まれたかけたあの事故……!」
「そ。あれは私が愛奈ちゃんを殺す前にちゃんと力を使えるかの最終テストだったの。それであとは愛奈ちゃんを殺すだけだった。でも、誰かが私の邪魔をしようとしてたのに気づいて、行動を監視して探ってみた」
それには俺も心当たりがあった。
愛奈と初めて水族館に行った帰り際、夢亜のような人物を見かけた。ただそのときは平日の午後で、夢亜は学校にいるはずだから見間違いだと結論付けた。けどそれが見間違いじゃなかったのなら、その頃にはすでに監視されていたということだ。
「すぐには信じられなかったけど、翔人は普通じゃないってすぐに気づいた。けど、確証が持てなかったから私は愛奈ちゃんに近づこうとしたんだ。まぁ、愛奈ちゃんにはそれが本能的にバレてたのか拒否されちゃったけど」
これも心当たりしかない。
愛奈が記憶を失った次の日、夢亜は初めて俺のついてきた嘘を言及して愛奈に会わせろと言ってきた。夢亜のことは信じてたし、あのときは協力者が多い方がいいと思ってたから許可したが、それも全部俺の犯した過ちだ。
「でも愛奈ちゃんの能力のことを聞いて今度こそ確信したよ。翔人が私の邪魔をしようとしてるって。だから、協力的に見せておいて翔人を信じさせ、愛奈ちゃんを殺すことにしたの。結局、翔人に邪魔されちゃったけどね」
怒りがこみ上げると同時に悲しくもあった。ずっと信頼していた幼馴染が、自身の野望のために俺を騙したこと。一緒に過ごしてきた十年間を否定されたような気がして許せなかった。
夢亜の過去の苦しみは、他の人よりは理解できるつもりだ。だからこそ夢亜の気持ちには同情できる。同時に、愛奈にも救われてほしいという願いもある。一週間という短い期間だが、必死に未来を変えようとしている姿を見ていたからこそ、愛奈にも報われてほしい。どうにか二人ともが報われる方法はなかったのか。どちらかを見捨てて、どちらかだけが救われるような選択を俺はしたくない。
「ま、でももう終わりだけどね。それよりも長々話しちゃったけど、いいのかなぁ? 愛奈ちゃん、早くどうにかしないとほんとに死んじゃうよ?」
言われて気づいて俺は現状を思い出した。
うつ伏せに倒れる愛奈からは鮮紅色の血だまりができており、かろうじて続いている呼吸もどんどん浅くなっている。完全に呼吸が止まるまで時間はない。
『そっちは私に任せてください』
脳内に直接神様の声が響き、俺は思わず周囲を見回した。夢亜は不思議そうに俺を見つめており、どうやら声は俺にしか聞こえていないらしい。
『今からゲートに開きます。そこを通ってこちら側に来てください』
声を信じて待機していると、すぐ隣にぶわん、と何かが出現した。見ればそこには楕円型のブラックホールのようなものが浮いていた。
絶望的なこの現状を打開することはできるのだろうか。少なくとも俺にはもう手立てがない。だから神様が最後の砦だ。夢亜を止めて、なおかつ愛奈との約束も果たす。
もう一度愛奈と夢亜に視線を向けてから、意を決してゲートに飛び込んだ。
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