第31話
二駅くらい大丈夫だろう、と張り切ったのはよかったが、普段から運動をしない俺にはかなり厳しかった。しかも、病院に着くまでもずっと走っていたのをてっきり忘れていて、何とか公園にたどり着いたときには完全にへばっていた。ただ、涼しい気温の中を走るのは気持ちよく、定期的にランニングするのも悪くないなと思った。面倒だからやらないだろうけど。
膝に手をついて肩で息をしていると、昇りきった朝陽の影が顔に落ちた。
「どうしたの?」
心底驚いたような幼馴染の声。顔を上げれば学校の制服である黒のブレザーとスカート姿で俺を見下ろしていた。
そりゃそうだろう。普段めんどくさいの化身ともいえる俺が二駅も走ってきたんだから、昔からよく知る幼馴染ならそんな反応が普通だ。なんなら俺だって驚いてる。
「別に何でもないよ」
何となくの一言しかない理由を聞かれると無性に恥ずかしくなるのはなぜだろうか。
「それよりなんで制服なんだ?」
「え? あ、これ? あー、ちょっと学校に用があったから行こうとしてたとこなんだけど」
「土曜にか?」
「うん、まぁね。それより、病院で何があったの?」
夢亜も軽口に割く時間がないことを察してくれていて、早速本題に入った。
「赤崎は自分で病院を抜け出してた。荷物もなくなってたから誰かにさらわれたとかはないと思う。けど、赤崎は何かしようとしてる。それも、自分からいなくなるつもりで」
「え、なんで!?」
「それは分からない。だからそれを止めるために赤崎を探してるんだけど……この辺で見てないか?」
「ううん、私は見てない」
「そうか……」
肩を落としかけた俺に、夢亜は「でも」と言葉を続ける。
「翔人が来る前にちょっと聞いてたんだけど、愛奈ちゃんを見たって人がいたよ」
「ほんとか!? 赤崎はどこだ!?」
思わず顔を寄せてしまい夢亜が引き気味にうなずく。
「う、うん。あっちの方に歩いて行ったって」
夢亜が指さした先は、この公園から近くの商店街、さらには俺の自宅の方角だ。ここから俺の家までの経路を考えてみるが、愛奈が行きそうな場所と言えば俺の家以外に思い浮かばない。
「あいつ、何しようとしてるんだよ……!」
「翔人、どうするの?」
「たぶん俺の家だ。捜してくる。夢亜はここにいてほしい。もしかしたら赤崎が戻ってくるかもしれない。もし、俺より先にあいつが戻ってきたら公園に入れずに捕まえてほしい」
呼吸は乱れたままだが、一秒でもじっとしている時間が惜しい。
「待って翔人」
また走り出そうとしたところを、呼び止められる。
「愛奈ちゃんがほんとにいなくなっちゃったら、翔人はどうする?」
「なんでそんなこと聞くんだよ。赤崎は絶対に見つける。事故にも遭わせない」
「そうだよね。変なこと聞いてごめん……」
ただ不安になっただけで悪気はないんだろうが、幼馴染の問いかけに多少の憤りを感じながら家へ走り出した。
こんなにずっと走るのも、人生で初めてかもしれない。愛奈と出会ってからの一週間。今までの俺とは真逆の生活をしている。家に引きこもって極力お金を使わないようにしていたのに、この一週間はずっと家にいたこともない。未来へ行ったり水族館へ行ったりと、教室内で眩しく見えてた陽キャのような行動を俺がしている。まさか自分にもこんな日がくるとは思ってもみなかった。おかげで体力はもう限界に近いし、疲労も蓄積している。そろそろ休みたい。
それでも俺は足を止めない。今足を止めると赤崎がいなくなってしまうから。だからこの足が引きちぎれたとしても愛奈を捜し続ける。
明るくふるまう彼女だが、記憶を失ったときや出会った当初に見せていた未来を諦めかけた姿は今でも脳裏に残っている。それをどうしても過去の俺と重ねて見てしまうのだ。最初は殺されそうになって、一方的に巻き込まれただけだったのに、自分の生活スタイルを崩してまで愛奈と関わると思ってもみなかった。
「赤崎!」
家に着くなり玄関を勢いよく開けたのはよかったが、玄関に彼女の靴はなかった。一応中も探してみるが、やはり姿はない。
「どこにいったんだあいつ……」
愛奈が使っていた部屋にも戻った形跡が──
「あった」
ベッドの横に置かれた椅子の上に一枚の紙切れが置かれていた。
『私、全部思い出したわ。あなたが私のために頑張ってくれたこと、私があなたを殺そうとしたこと。私のわがままに付き合ってもらったこと。あなたを殺そうとしたこと。あのときはごめんなさい。それから、今まで手伝ってくれてありがと。私はダメみたい。でもあなたを恨んだりはしてないから。ううん。それどころか感謝してる。だから、ありがと。さよなら』
「あいつ……!」
愛奈が事故当日の今日、失った記憶を取り戻すことは知っていた。そして、携帯に残された映像から、事故の前に何かをしようとしていたことも知っている。ただそれは、愛奈がもういつも通りの生活に戻れなくなるリスクがあり、事故を回避できたとしても俺の望む結末ではない。
俺はこの手紙に憤りを覚えた。
ここまで協力したのに自分から姿を消そうとしていること、それから、自分はもうだめだと諦めていることが許せなかった。
ようやく事故を回避するためのヒントが集まって可能性が見えたところだというのに、当の本人が諦めてほしくない。
時刻は午前十時前。タイムリミットは残り二時間。それまでに愛奈を見つけ出さなくてはならない。
「もしもし夢亜!」
『どうだった!?』
少しでも時間が惜しくて画面を見ずに携帯を操作し、夢亜に電話を掛けた。
俺も我ながら冷静さを欠いているが、夢亜からも電話越しに焦りが見える。
「家にはいない。たぶんまたどこかに行ったみたい!」
『そんな……』
「悪いけど夢亜にも探しまわってほしい。あいつが行きそうな場所に心当たりがないけど。頼む!」
『うん、わかった! 十二時までは夢亜ちゃんがここに来ることはないんだよね?』
「ああ」
『じゃあ時間までには戻るね』
話中音が鳴ると同時に俺もまた家を出る。
夢亜が探してくれることで愛奈が見つかればいいが、本当に見つかるだろうか。確証があるわけではないが、嫌な予感がする。
この件に神様が絡んでいることは動画の内容からも明白だ。得体のしれない存在というのが今の正直な印象だが、俺や愛奈に与えられた能力のことを考えると、常識は通用しない相手。俺らが懸命に探している一方で何が起ころうとしているのかは検討もつかない。考えたくはないが、二人がかりで見つけられなかったときの最悪のパターンを想定しておくべきだろう。
そうならなくていいように、俺は必死に愛奈を探し回った。宛は完全になくなっていたから少しでも多くの場所を回るために足を動かし続けた。わずかな可能性を頼りに水族館にも向かって、病院にも連絡を入れた。駅の構内や時間旅行の建物など、思いつく限りの場所は探した。
だが、それでも愛奈は見つからなかった。
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