第30話

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 早朝、というには少し遅く、朝早い時間という表現がちょうどいい午前六時。携帯の着信音が大音量で鳴り響き目を覚ました。

 なんだよこんな時間に、と内心で愚痴りつつも寝ぼけ眼で携帯を手にして応答ボタンを押す。

「はい……」

『もしもし! 白瀬さんですか!?』

 食い気味に話しかけてきた相手の声の大きさに、俺は顔をしかめて携帯を耳元から離す。

「そうですけど……」

「赤崎さんが、赤崎さんが病室からいなくなったんです! すぐに来てください!」

 その言葉を聞いて俺の眠気は吹き飛んだ。

「分かりました! すぐに行きます!」

 未来の愛奈の携帯に録画されていた時間は事故の直前。事故が起こるのが正午だからまだまだ時間はある。それまでに何か起こることはないと思うが、一人で病院を抜け出したとなると心配だ。

 幸いにも事故直前の愛奈の行動は把握できている。最悪の場合、公園の手前で待ち構えればいいだろう。とはいえ、早めに見つけるに越したことはない。

 携帯の電話帳を起動して、登録してある数少ない連絡先から『夢亜』を選択する。

『んん……もしもし?』

 俺同様、声を聞くからに寝起きのところを申し訳なく思いつつも、今は時間が最優先のため要件だけを簡潔に告げる。

「赤崎が病院からいなくなったらしい。捜すのを手伝ってくれ」

『え、それほんと!? 分かった。どこ捜せばいい!?』

「とりあえず俺は病院に行くから夢亜はこの辺りを探してほしい」

『うん、いいよ』

「じゃあ頼む。何かあったら連絡してくれ」

 忙しなく電話を切ると、五分で身支度を整えて家を出た。

 空には分厚い雲が広がっており、これから起こることの不吉さを予感させるかのようだ。嵐の前の静けさという言葉を具現化しているかの如く無風で、湿度も高め。

 その中を、俺は胸のざわつきを落ち着かせながら駅に走った。

 愛奈の入院していた病院は、家から水族館までの中間点にあり、電車で二駅の距離だ。時間にしてはすぐなのだが、駅まで走って、電車に乗って、そこから数分走るという動作があるだけでその時間は永遠も感じるほど長い。気温が低いにも関わらず、病院に着いたときには汗を浮かべていた。

 まだ受付は始まっていないため、息を切らしながら裏口の緊急外来の受付に駆け込む。

「あの、白瀬です……!」

 それだけで伝わったようで、受付の男性は内線を手にした。

 会話の内容までは聞こえてこなかったが、緊張感のある面持ちで何度かうなずいた。

 受話器を置くと、受付の男性は小走りに戻ってきた。

「病室に案内します。こちらへどうぞ」

 エレベーターに入り、押されたボタンは七階。病院自体がボタンの数からして十五階建てだからちょうど真ん中。

「ここです。どうぞ」

 案内された病室は角部屋。見晴らしもよく、普通ならそれだけで入院生活もマシになるような場所だ。

 入る前に一度深呼吸を挟んで逸る気持ちを落ち着け、意を決して扉を開けた。

 電話で告げられていた通り、中はもぬけの殻だった。特段荒らされた形跡もなく、ベッドの布団もきれいに敷かれたまま。まるで最初から愛奈がいなかったかのような錯覚にとらわれる。床頭台に置かれていたピンクのポーチもなくなっている。

 その部屋の中には一人の看護師がいた。

「すみません……まさかこんなことになるなんて」

 声からして、俺に電話を掛けてきた人だろう。看護師の女性は困惑と焦燥が混じった表情であたふたしていた。

「何があったんですか?」

「分かりません。いきなり警告音が鳴って駆け付けてみたらこの有様でした」

 となると、愛奈自身の意図でここから脱出したことになる。

 それはそれで問題だ。愛奈は事故のことを把握しているし、不用意に事故に近づいたりしないはずだ。それでも俺に何も告げず、どこかへ行こうとするのは間違いなく神様が関係している。

 このままだと、未来の愛奈と同じ結末を辿ることになってします。

 ──いや、まて。俺は大きな勘違いをしていた気がする。

 愛奈の事故を回避するため、この一週間ずっと未来を変えようとしてきた。そのために未来の愛奈が残してくれたヒントを元に行動することですこしは違う未来が見えてきたと思っていた。

 けどそれは大きな思い違いだ。

 俺は何も未来を変えられていない。それどころか、死んでしまった未来の愛奈がしてきたことをただ繰り返していただけにすぎなかった。じゃなければ未来の愛奈が残してくれたヒントは存在しない。

 未来の愛奈も水族館に行った事実は、ポーチに残されていたイルカのキーホルダーと日記から確認できる。それがあったからこそ、俺は残されたヒントを探しに水族館に行った。けれどこの行動自体、未来の愛奈が行ったことをなぞっているに過ぎないのだ。

 今思えば日記の内容だってそうだ。愛奈が記憶を失うことは書かれていたし、同じように記憶を失った。

 俺は慌てて持ち歩いていた愛奈の日記を開いて昨日と今日の部分を見る。



四月二十六日

声が強くなる。頭が痛い。

直接頭の中に響くような声。

分からないけど私は知ってる。

けど、この声を聴いてると気分が悪くなる。

お願いだからやめて!

私に話しかけないで!

放っておいて!


四月二十七日

……思い出した。

私は、未来を変えるために来たんだ。私ひとりじゃ何もできないから、翔人に手伝ってもらって私の運命を変えようとしてた。どうしてそんな大事なことを忘れてたんだろ。

でも、ずっと聞こえてる声が誰なのかは思い出せないまま。

事故が起こるのはもう今日だ。私は自分を救えなかった。失敗した。

せっかく手伝ってもらっていたのに、ごめんなさい。

関係なかったあなたを巻き込んでしまってごめんなさい。

私はもうすぐ死ぬんだ。

自業自得だよね。

こんなだから失敗するんだ。

でも、まだ私にできることはある。

私が死んだとしても、せめて過去の私が救われるように。

もしこれが見れれば、過去の私は助かるかもしれない。

だから、ごめんなさい。

ありがとう。

もうこれ以上は迷惑かけないから。



 昨日の日付でも書き込みはある。ということは愛奈は目覚めていた。そして、この頭に響く声だが、考えられるのは神様の声。さすがに神様が現実に出てきて、なんてことはないだろう。となると、残されていた映像で聞こえた神様の声は、何らかの方法で愛奈の頭に直接響いていた声だと推測できる。

 なら、今日の部分は──

「っ!!」

 俺は病室を飛び出した。

 日記越しに俺への別れを告げている。

 全てが手遅れだと悟って、せめて少しでも俺に迷惑をかけないように、一人で何かをしようとしている。

 そんなこと、俺は望んでいない。

 病院を出て駅へと走りながら夢亜へと電話を掛ける。

「今すぐ公園に来てくれ!」

『え、どういうこと? 何か分かったの!? 愛奈ちゃんは!?』

「赤崎は見つからなかった! けど説明してる時間がないから頼む!」

『え、あ、うん! わかった!』

「それから、もし赤崎を見かけたら引き留めてほしい。よろしく!」

 電話を切り一息つく。

「とりあえずこれで最悪の事態は防げるな」

 俺の知らないところでいつの間にか消えるなんてことは絶対に阻止する。俺一人だけでは大変だったが、夢亜が協力してくれたことで少し楽になった。これが全部終わったらちゃんと礼を言っておこう。

「よし、あとは電車で……いや、どうせだし走るか」

 途中で愛奈を見つける可能性だってあるかもしれない。もし電車でもう帰っていたとしても、事故の起こる公園には夢亜がいるから安心できる。

「赤崎は死なせない」

 自分に言い聞かせて決意を固め、また俺は走り出した。

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