第29話

 病院に搬送されて愛奈が治療を受けている間、俺は待合室で一人待っていた。

 どれだけ待っていたのか分からないが、病院の診察時間が終わると、俺の待っている救急外来の方は少し薄暗くなっていた。

 さっきまで普通に俺と話していて、体調が悪いような素振りは見れなかった。明日は動物園に行くって約束したばかりなのに、これじゃそれどころではない。

 やがて看護師さんに呼ばれて診察室に入ると、そこで愛奈の容態を医師から告げられた。

 検査の結果、特に目立った外傷はなく、身体に異常はないらしい。おそらく疲労によるものだろうとのことだった。今は熱も引いて容態は安定している。一応様子見のため、今晩は入院することとなった。

 すぐに愛奈は入院病棟に移され、俺も病室に付き添う。彼女のベッドの隣の椅子に腰かけ、眠る愛奈を眺めた。

 ひとまず愛奈が無事だったことに心から安堵した。だが同時に不安も訪れる。

 愛奈が倒れた原因だが、俺の知らないところで愛奈を狙う犯人の襲撃を受けた可能性も考えた。しかし検査の結果が異状なしならその線は大丈夫だろう。つまり、タイムリミットが関係しているのだと予想がつく。

 記憶を失ってしまったときもそうだが、事故のタイムリミットが近づくにつれて原因不明の異常が増えている。今日がタイムリミットの二日前だと考えると、もうこのまま目覚めないかもしれないという不安に駆られる。

 ──お願いだから起きてくれ。

 大丈夫だとわかっていながらそう祈っていると、ポケットに入れていた携帯が振動した。

 携帯を取り出すと、電気の消えた病室が明るく照らされる。発信者の名前は『夢亜』。

 念のため愛奈を起こさないように注意を払いながら、静かに病室を出る。

「もしもし翔人!? 大丈夫なの!?」

 電話に出ると食い気味に問い詰める夢亜の声。協力を申し出てくれた夢亜には、愛奈が倒れたことを伝えておいたのだ。

「とりあえず異常はないらしい。たぶん疲労だって」

「そっかぁ。よかったぁ……」

「だから今日は病院に泊っていく」

「それがいいと思う。あ、それなら今からお見舞いでも持っていこうか?」

「いや、もう遅いし大丈夫」

「そぅ? 分かった。じゃあ翔人も無理しないでね?」

「あぁ」

 通話が切れ、スマホを仕舞おうとして不意にイルカのキーホルダーが視界に入る。

 ほんの数時間前に愛奈からもらったばかりのキーホルダー。水族館のマスコットであるイルカは愛奈のお気に入りだ。最初に水族館に行ったときに見せた愛奈の無邪気な姿を思い出すだけで頬が緩む。

 もう一度あの笑顔は見れるのかな。見れたら、いいな。

 今度こそ携帯を懐に入れて病室に戻った。

 愛奈の眠る病室に入ると、電気をつけた。

 明るさに一瞬目がくらむも、すぐにそれは順応する。

 穏やかに眠る愛奈の横には床頭台しょうとうだいがあり、時間旅行者の証明である翡翠のペンダントと、愛奈が持っていたピンクのポーチが置かれている。ポーチには俺がもらったものと同じキーホルダーがついていた。

「ほんとにイルカが好きだな」

 確かにイルカはかわいいが、ここまで執着する人も珍しい気がする。けど愛奈らしいといえば愛奈らしい。

 同じものを今日俺にくれたばかりだが、愛奈は自分用のものを最初に水族館に行ったときに買っていた。あの日はイルカの誕生日というめでたい日で、その日限定グッズもあったのだが、その中でも愛奈は誕生日仕様のグッズよりもキーホルダーを選んだのだ。

 ……ん? 待てよ……携帯、誕生日……

「あ、そういうことか!」

 今までずっと謎だったものがようやく解けた。これで愛奈を事故から回避させることができる!

「ごめん赤崎。ちょっと待っててくれ」

 俺は病室を飛び出し、病院内にも関わらず走って自宅に戻った。


「あったあった、これだ」

 俺の部屋に保管していた、未来の愛奈のピンクのポーチの中から携帯を取り出した。

 電源をつけ、問題のPINコード入力画面を表示させる。画面の背景も薄暗く、ひびが入っているのが気味の悪さを醸し出している。

 最初からあるヒントでありながら、ずっと特定できずにいた4桁の数字。俺の中で浮かんだ一つの答えが正しいかを照らし合わせるため、もう一つポーチの中からアイテムを取り出す。

「さすがに答えはないよな」

 今日愛奈が買ったばかりのものと同じイルカのキーホルダー。愛奈のお気に入りぐらいにしか考えていなかったが、これも立派なヒントだったのだ。日記にも水族館に行くように書かれてあり、今思えばこれら全てを関連付けると答えは導ける。

 この携帯の中には何があるのか。覚悟を決めて俺は数字を入力する。

 ──0、4、2、3。

 すると薄暗かったコード入力画面からホーム画面へと遷移した。

「来た、予想通り」

 水族館のイルカは愛奈のお気に入りだ。初めて行ったときも、その日がイルカの誕生日だと知って人一倍はしゃいでいた。初めて水族館に行って初めて大好きなイルカを見た愛奈にとって、思い出の番号だ。

 特にひねりもない番号のつけ方だが、水族館に行っていなければ絶対に分からない番号。逆に言えば、水族館に行きさえすれば思いつく番号でもある。

 だからこそ未来の愛奈は俺に水族館へ行かせた。

 この携帯の中にある何かを知ることで、ようやく愛奈を救える可能性を切り開ける。

 息をのみ、俺は携帯の操作を始める。

 ホーム画面の背景もやはりというべきか、一面イルカの壁紙になっていた。ただ不自然なことにホーム画面には何のアイコンもない。本来入っているはずの初期機能すらない。画面を横にスクロールして何かないか探すと、最後のページに一つだけファイルが入っていた。

「動画ファイル……?」

 撮影された日付は4月27日。愛奈が事故に遭う日。時刻も事故発生の直前だ。つまり未来で保存されたファイル。俺は慎重にそのファイルを開いた。

「…………?」

 聞こえてきたのは車の走行音。それから遠くに聞こえる人の喧騒。動画なのになぜか画面が真っ暗でなにも見えないが、環境音からして外で撮影しているものなのは間違いない。

 愛奈の声は一切聞こえず、歩くときの振動で携帯が何かに擦れる音が等間隔で刻まれる。

 どこへ向かっているのか、淡々と歩いていくと、遠くに聞こえていた喧騒が聞こえなくなった。

 けれどなぜ外で……?

 疑問を抱いていると、ようやく愛奈の声が聞こえてきた。

『これで、いいの?』

 記憶を失ったり、急に倒れたりして、未来の愛奈がどうなっているのか心配だったが、案外平気そうな声。誰かに話しかけているようだが、一体誰と話しているのだろう。

『はい。迷惑をかけてすみません』

「っ!?」

 愛奈に続いて聞こえてきた声は、俺も聞いたことのある声だった。

『恥ずかしながら、これしか方法がないんです』

 やはり聞き間違いではない。この声は神様の声だ。

 絶対に関わることのない二人が会話している事実に驚きを隠しえない。この二人が会話をしているということは、愛奈も俺同様に力を持っている可能性があるということに──

「あ、そういうことか」

 未来を見ることのできる能力。愛奈が未来の自分が事故に遭うことを知ったきっかけ。俺も一度その能力を目の当たりにしている。彼女も俺同様に力を与えられているのであればそれも納得がいく。

『そのまま石像の前まで来てください。そこまで来れば私があなたをご招待します』

 石像? 招待? なんの話をしてるのかさっぱりだ。

『それからはどうすればいいの?』

『世界樹の修復を行います。そのためにあなたの力を貸して下さい』

 世界樹……?

 謎の単語のせいで理解が全く追いつかない。

『うん。わかった』

 少し無言の時間。また車の走行音だけがノイズのように聞こえてくる。

『私が言うのも変な話ですが、あなたはこれでよかったんですか? もうこの世界には戻れないかもしれませんよ?』

 この世界に戻れない? どういうことだ。なんでそんな話になっている。この二人は何をしようとしているんだ。

 話について行けていないが、このままだと、起こりうる結末がよくないものだということだけは分かる。俺はそんなの望んでいない。悲しい結末のために愛奈に協力したんじゃない。

『うん。それでも死ぬよりはいいから。それに、誰かの役に立てるんでしょ?』

『はい。それは間違いありません』

『ならいいわ』

『ありがとうございます』

 カメラの振動が止まったかと思うと、真っ暗だった映像に三体の女神の像が映される。見覚えのあるこの場所は公園の入り口であり、事故現場だ。俺にとってトラウマになりつつある場所。

『着いたわ』

『ありがとうございます。では、こちらとのゲートを作りますが、その前に。本当にいいんですね?』

『うん。大丈夫』

『分かりました。十秒後にゲートを開けます。そこから飛び込んでください』

 そう言って神様はカウントダウンを開始する。

 淡々と数を刻む神様の声。数字がゼロになったとき、愛奈はどうなってしまうのか。ゲートの先──会話の流れからしておそらく時間の狭間──に行けばもうこの世界にはいられないと言っていた。それは死を意味するのか、存在自体の消去を意味するのか。どちらにせよ俺は認めたくない。

 だが、俺の意に反して数字が刻まれていく。

 ──5。

 固唾を呑んで映像を見守る。

 ──4。

 風が吹き抜け、石像の後ろの木の葉が揺れる。

 ──3。

 道から聞こえる車の走行音が少し大きくなる。

 ──2。

 車の音が離れていくどころかどんどん近づいてくる。ここにきてようやくその異常さに気づいた。

 ──1。

 愛奈もことの異常さに気づいたようで背後を振り返った。同時にカメラも後方に向けられると、黒のミニバンが急接近していた。

「ん?」

 一瞬、見たことのあるような人物が移った気がした。あまりにも一瞬過ぎて顔までは見えなかったが、黒い服を着ていたのはしっかり見えた。残念ながらそれが誰なのかを考える時間は与えてもらえなかった。

『っ!!』

 神様の声にならない悲鳴と同時に大音量のクラクションが鳴り響き、大きな衝撃がカメラを襲う。カメラは今にも雨の降り始めそうな曇天を映すと、すぐに何かとぶつかる音がして映像にノイズが入る。

 そこで動画ファイルは終わっていた。

 最後が衝撃的すぎてしばらく動くことができなかった。事故を防ぐことができなかった未来の愛奈が最後に残してくれたヒント。事故の瞬間と直前を撮影することで、愛奈が何をしていたかを教えてくれた。気になったのは黒い服の人物。再度動画を再生し、その人物が見えた個所で停止するが、ブレで不鮮明にしか映らない。

 何か違和感がある。

 事故が起こるのは土曜日。休日ともなれば公園に人は集まるし、誰がいたっておかしくない。ただ、一瞬移ったこの人物は、まるでこれから事故が起こることを予見しているかのようにじっと愛奈を見つめているように見える。どこかへ行こうでもなく悠然と佇んで。

「つまり、こいつが犯人か」

 事故当日、その場で愛奈を止めるだけじゃ足りない。先週の俺はそれで失敗した。今度はこの人物に接触し、事故を食い止める。それで誰も悲しまない結末を迎えることができる。

 事故まで残り二日。もう愛奈には未来を気にせず今を楽しんでもらおうと心に誓って愛奈のいる病院に戻った。



 ──だが翌日、愛奈は一日中目覚めることはなかった。

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