第28話
朝食が完成すると、匂いでも嗅ぎつけたのか愛奈が部屋から出てきた。
「赤崎、今日どこか行きたいとこあるか?」
「行きたいとこ?」
甘めに作った玉子焼きを食べる手を止め、愛奈は首を傾げた。
「ずっと家にいても気分が暗くなるだけだし、どうせならしたいことをした方がいいかなって」
というのも嘘ではないが、本当の狙いは別だ。愛奈を狙ってくる敵がいるのなら、愛奈の行動を監視してくる可能性が高い。逆にそれを逆手にとって愛奈を狙う人物を特定できないか、というのが俺の考えだ。
「でも、そんなことしてる余裕ないわ」
「それは大丈夫だ。俺に任せとけ」
「じゃあ水族館に行きたい」
「水族館? またか? 今週すでに二回行ってることは覚えてるよな?」
「えぇ。でも私、あと二日で死ぬかもしれないから」
悲観した様子はなく、もう割り切ったような力強さがあった。だがそれはどこか儚く無理をしているようにも見えなくはない。
「分かった。じゃあ今日も水族館に行くか」
ぶっちゃけると少し行き飽きた感はあるが、愛奈のためならしょうがない。
朝食を食べ終えて片づけをすると、俺たちは今週三度目の水族館に出発した。
前回のこと思い出し、早めに到着した俺らは一番に入場した。
大きな水槽を泳ぐ様々な魚を眺めながら、奥へと進んでいく。
だが二回目の俺はそちらには興味が向かず、ずっと愛奈の様子を眺めていた。
水槽の前に張り付いてのんびり泳ぐ魚を目で追うも、最初来た時のような笑顔はない。記憶を失う前ならきっと二回目でも関係なくはしゃいでいただろう。記憶を失ってから、彼女の人格が少し変わってしまったような気がしてならない。
「楽しいか?」
つい、そんな質問が口から出た。
「うん、楽しいよ」
「ならいいんだけどさ」
「ここのお魚さんって、この中でしか生きられないのに満足なの……?」
愛奈とは思いない問いかけに、すぐに答えることができなかった。
「ここにいれば餌もらえるし、天敵だっていないから安全だろ。だから満足なんじゃないか?」
「でも自由なんてないし、決められた生き方しかできない」
なんでそんなことを言い出すのかと思ったが、愛奈は自分のことを言っているのだと気づいた。死を定められた運命の中から抜け出せない彼女の境遇を、水槽の中でしか生きられない魚と重ねていたのだ。
「それは考え方次第じゃないか? この水槽の中で一生を過ごすしかなくても、この中で魚たちは自由に生きてるだろ。もし結末が決められてたとしても、その過程をどうするかは自由に決められるんじゃないか? 限られた条件の中で限られた生き方をするのも一つだし、そんな状況でもどう楽しむかを考えるのも手だと思うぞ?」
初めて神様に会ったときも同じようなことを答えた気がする。
もし、人の運命を誰かが決めていて、それが変えられないものだとしたら、俺はその中で自分が楽しむことを考える。あの時の言葉は今でも覚えてるし、今の俺の生き方だ。
要は考え方次第なのだ。決められた中で生かされていると考えるか、あるいは生きていると考えるか。それだけの違いで感じ方も大きく違う。
「そう……。うん」
愛奈は一度うなずいて俺の言葉を落とし込むと、腑に落ちたように表情を緩めた。
「だから水族館を楽しんでくれ。そのために来たんだからな」
「……うん!」
明るい声で首を大きく縦に振った彼女の姿は、ようやく記憶を失う前に戻ったように思えた。
その声に安堵していると、横から聞いたことのある声がした。
「あれ、あなたたちは……」
立っていたのはウェットスーツ姿の女性スタッフ。記憶を失う前の愛奈と来た時に話しかけられ、イルカショーの際も愛奈が指示の出し方を教わっていた人物だ。
「また会いましたね。水族館好きなんですか?」
「うん!」
「そうなんですね。嬉しいです」
いつもの愛奈に戻り、話しかけてきたあかねと楽しそうに話しているのを見ていると、つい、ずっとこのままであってほしいと思ってしまった。
愛奈はやっぱり無邪気に笑っている方が似合ってる。笑ってる愛奈を見てると、こっちまで気分が明るくなる。だからいつまでも愛奈には笑っていてほしい。
けれどそれが実現するか否かは俺次第だ。それは分かってる。だから少しでも可能性を信じて行動を起こしているのだ。
もし、何も成果なく事故の日を迎えてしまうとどうなってしまうのだろうか。
ふとそんな最悪のことを考えてしまった。
一週間前と同じように今度はこの愛奈を失ってしまうのだろうか。あるいは、神様がなんとかしてくれるのだろうか。
分からない。だからこそ俺がこの二日で成果を出さなければならないのだ。
「難しい顔してますね」
いつの間にか、あかねが俺の顔を覗き込んでいた。気づけば愛奈との話は終わっていて、愛奈はというとまた水槽の前に張り付いていた。
「考え事ですか?」
「あ、はい、ちょっと……」
「その考え事って、愛奈さんの未来のこと、ですか?」
一瞬、心臓が止まったかと思った。
俺の考えたことを言い当てた上に、まるで愛奈の事情を知っているかのような口ぶりだ。
なんで、愛奈のことが分かるんだ。よく考えたら、どうして時間旅行者である愛奈のことが分かるんだ。
今この世界で時間旅行者のことが見えるのは、俺と夢亜だけのはず。それ以外に愛奈の存在を認識できるということはつまり──
「ごめんなさい、冗談ですよ」
柔らかな笑顔を浮かべたまま謝罪を入れると、「ただ」と前置きして続けた。
「愛奈さん、前に見たときよりも少し悲しそうな表情だったのが気になりまして……すみません。部外者の私が口出しすることではないですよね……ハハハ」
苦笑でごまかしたかと思うと、今度は顔を近づけてきて、
「彼女さんのこと、しっかり守ってあげてくださいね」
彼女ではない、と訂正を入れられるほどの余裕は残っていなかった。
愛奈を狙う犯人は、あかねなのか……? 愛奈が認識できるというだけでもその証拠は十分足りる。思い返せば、初めて愛奈と来たときも、あかねは愛奈を認識しているような素振りだった。そして、愛奈の行動を近くで監視しているはずという俺の予測が正しければ、あかねはその条件に当てはまる。
もし本当にあかねが犯人だとしたら、愛奈が危ない。
焦燥し始めた俺の前に、今度は別の顔が入り込む。
「大丈夫?」
愛奈の声を聴いて我を取り戻すと、すでにあかねの姿はなくなっていた。かわりに愛奈が心配そうに俺を見つめていた。
「あなたらしくないほど怯えてたけど、どうしたのよ?」
「……大丈夫だ」
「そう? それならいいんだけど」
もちろん大丈夫なわけない。愛奈を狙っているかもしれない人物がすぐそこにいたのだ。脅威となる存在がいることは聞いてはいたが、実際に目の前に現れると何もできなかった。幸い今は愛奈が無事だったからよかったが、次会ったときに愛奈を守ることができるのか。俺の身体は動いてくれるのか。
そんな恐怖が俺から離れることはなかった。
あたりはてっきり夕焼け空。傾いた夕日が波打つ海面に反射して二つに分裂している。海上を飛ぶ海鳥たちも夕日の影となり、穏やかな時間が過ぎていた。
俺たちは、水族館からでてすぐの位置にある展望台に上り、そこのベンチからオレンジ一面の景色を眺めていた。
「今日も楽しめたか?」
「うん。楽しかった」
「そっか、よかった」
いつもの調子を取り戻した愛奈に連れまわされ、気づけば一日中水族館にいたが、あれからあかねが接触してくることはなかった。
もしかすると、俺の見当違いなのだろうか。だがそれだと愛奈を認識できることの説明がつかない。事故の予定である明後日までは行動を起こさないつもりだろうか。あるいは
どちらにせよ今日襲撃されなかったことに安堵の息をついた。
「そうだ、これあげる」
思い出したようにピンクのポーチからイルカのキーホルダーを取り出すと、それを俺に差し出してきた。
「これは?」
「お礼。ここに連れてきたことと、それから私のことを手伝ってくれてるから」
「やめろよ、そんなこれで終わりみたいな言い方。それに、俺が勝手に首突っ込んでることだし、赤崎が気にすることじゃない」
「いいからもらって」
強引に押し付けられたキーホルダーは未来の愛奈が持っていたものと同一のものだった。
少し複雑な思いになるも、くれた愛奈の気持ちが嬉しくて自分の携帯にそのキーホルダーを付ける。
「ありがとな」
「うん。私も同じの買ったんだ。これ、いいでしょ!」
「そんな見せびらかさなくても同じのくれたんだからわかるって」
「あ、そっか」
今日一日水族館にいる間に、愛奈は本来の愛奈に少しずつ戻っていった。けどそれは、自分の不安を隠すために取り繕っただけにも見えて素直に喜んでいいのか分からない。
「大丈夫」
俺の心境を読まれ、愛奈がきっぱりと言い切った。
「だってあなたが守ってくれるんだよね? だから私は信じてる」
「そうか」
記憶を失ってしまう前にも同じやり取りをした気がする。少し愛奈が変わってしまった気がしていたが、やっぱり愛奈は愛奈らしい。塞ぎこんでしまっている愛奈より、やっぱりこの方がいい。
「そうだ! 私、今度動物園に行ってみたい!」
「動物園?」
「うん! おサルさんとかゾウさん、ゴリラにキリン、それからパンダ! 他にもいろんな動物たちを見てみたい」
「動物園も行ったことないのか?」
「ううん、動物園は小さいころに一回だけある。けどまた見てみたい」
「特に好きな動物がいたりするのか?」
「うーん、レッサーパンダかな? かわいいし!」
「レッサーパンダか、いいな。大丈夫、いつでも見られる。なんなら明日にでも見に行くか?」
動物園は水族館と違って少し遠い。電車で移動することを考えれば少し早い時間に出れば楽しむ時間は十分にあるだろう。
「ほんとに!? 行きたい!」
「じゃあ決まりだな。明日も朝は早くなるし、今日はもう帰るか」
ベンチを立ち上がり、もう一度だけ夕焼けを映した海を見た。
たまにしか見れない光景をしっかり目に焼き付けておき、帰路につこうとした。
「ん? どうした?」
しかし、愛奈が動こうとせず、踏み出しかけた足をその場にとどめる。
様子が気になって振り返ろうとした直後、重みのあるものが寄りかかり、反射的にそれを受け止める。
「おい、赤崎?」
俺に体重を預けている愛奈は目を閉じて汗を浮かべ、浅い呼吸を繰り返している。呼びかけにも応じない。
額に手を当ててみる。
「すごい熱……!」
今まで感じたことのないほどの熱に、俺は一瞬で冷静さを欠いた。
「どうしよう……そうだ、救急車!」
慌てて俺は携帯を取り出す。焦るあまり110か119か分からなくなったが、直感で119を入力した。
オペレーターとのやり取りで俺が何を言ったのか覚えていない。うまくコミュニケーションが取れていたのかも分からない。
しばらくして到着した救急車によって愛奈は搬送された。俺も同伴者として付き添ったが、鳴り響くサイレンの音がずっと耳から離れなかった。
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