第25話

▼△


 気が付けば、俺の意識は謎の空間にあった。

 左右を見回せば真っ黒の空間の中にある浮島に俺は立っている。

 特徴的なのは浮島の中央にある巨大な一本の樹と、その根元にある泉だ。

 この現実離れした空間に、俺は一度だけ来たことがある。

 事故で時間の狭間を彷徨っているときにいた空間。あの時は神様を名乗る幼い少女がいたのだが……

「わっ」

「うわっ!?」

 耳元で大きな声がして俺はその場を飛び退いた。

「ふふふ、やっぱりあなたは面白い人間ですね」

 そこに立っていたのは中学生ほどの年齢の少女。前回会ったのは十年も前なのに、少女の容姿は何一つ変わっていない。その幼い顔立ちの少女は楽しそうに笑みを浮かべていた。

「君は……」

「お久しぶりですね。私からすれば毎日見てるんですけど。私のこと、覚えてくれてますか?」

「もちろん。俺からもちょうど君に聞きたいことがあったしな」

「そうなんですか? それは楽しみです」

 手を後ろに組んで神様は期待の眼差しを向け、俺が言葉を紡ぐのを待っている。

「君は以前、人の運命を自由にできるって言ってたよな?」

「よく覚えてますね。その通りです」

「それは事故を無くすとか、その人を救うとかも?」

「はい、できますよ」

「なら運命を変えてほしい人がいるんだ」

「運命を変えてほしい、ですか。残念ですが、私の力は誰かのわがままで使えるようなものではないんです。いくら私が神様でも、人の命を好き勝手してはいけない決まりなんです。だからそのお願いは聞けません」

 普通に考えて当然だが、これしか方法がないと思っていた俺はその返答に肩を落とした。

「と、言いたいところですが、あなたのお願いは特別です。何せあなたは、私が認めた人間ですから」

「ほんとか!?」

「はい。それで、誰の運命を変えたいんですか?」

「今過去から来てるやつなんだけど、赤崎愛奈ってやつを救ってほしいんだ」

 その名前を出すと、笑みを浮かべ続けていた神様の表情が一変し視線をそらした。

「それは、あなたと一緒にいる人、ですか?」

「そう、だけど?」

「……ごめんなさい。その人はできないんです」

「なんで!?」

「それは……言えません」

 申し訳なさそうに謝罪されるが、一度可能だと聞いた以上、簡単には納得できない。

 俺の頼みなら何でも聞くという態度だったのに、愛奈の名前を出した瞬間に神様の態度が急に変わった。やはり神様は確実に何かを知っている。

 確信を得た俺は、この機会を逃すまいとさらに問いかける。

「その反応、何か知ってるんだろ? なんでもいいから教えてほしい!」

「……ごめんなさい」

「なんでだよ!? このままだと赤崎が死ぬんだ! だから教えてくれ!」

 神様は俺から視線を外したまま黙り込んだ。

 現状、愛奈の事故を防ぐ術は行き詰ってしまっている。だからこうして神様に会えたこの機会が最後の希望なのだ。ここで情報を得ておかなければこのまま事故を迎えてしまうことになる。そうなれば俺と愛奈の努力と苦労はすべて無駄になってしまう。そして何より、愛奈の命が失われてしまう。俺もここで簡単に引くことはできない。

 長期戦になることも覚悟したその時、神様がようやく口を開いた。

「……運命が変えられないということは、それが必要だということです」

「必要? 赤崎が死ぬことがか?」

「今私から言えることは一つだけです。あと二日間、愛奈さんを守ってあげてください。誰かが愛奈さんを狙ってくるかもしれません」

「赤崎が狙われる……? 誰に!?」

 神様は静かに首を横に振る。

「それが分からないんです」

「分からない? 神なのに?」

 人の運命を自由にできる神であるにも関わらず、悪意を持つ人が分からないというのもおかしな話だ。

「私だってこう見えて焦ってるんですよ。なんだって、こんなこと初めてなんですから」

 初対面のときに話したように神様は飄々ひょうひょうとしていて、とてもそんな風には見えない。一応俺の力で神様の感情を読み取ろうとしてみるが、さすがにこの力の主には効かないようだ。

「私から言えるのはこれだけです。ごめんなさい」

「そんな……」

「また近いうちに会う日が来ると思います。その時までどうか気を付けてくださいね……」

 そう一方的に告げると、周囲の空間が暗転し始めた。

 俺はこの空間にはもういれないことを悟る。

「あ、待って──」

 まだ話を聞こうと抵抗するも、視界は暗く染まった。



「ん、んん……」

 目を開くと俺は地面に座り、ベッドの上で肘を枕にしていた。

 正面にはベッドの上に静かに眠る愛奈の姿がある。

 ──そっか、いつの間にか寝てたのか。

 部屋に置かれたデジタル時計はAM7:00と表示されており、朝の陽ざしがカーテンの隙間から覗いていた。

「そろそろ支度しないとな……」

 ベッドで眠る愛奈は安らかな寝息を立てており、表情も穏やかなことに胸をなでおろす。

 昨日の激しい頭痛は一体何だったのだろうか。持病か何かかと考えたが、それはあまりにも現実逃避が過ぎるだろう。

 愛奈の置かれている状況。彼女の身に起きている異常。どう考えても今回の件も一連のものだろう。

 そういえば、夢の中で神様が言ってたな。


『あと二日間、愛奈さんを守ってあげてください。誰かが愛奈さんを狙ってくるかもしれません』


 誰かから狙われる、か。

 神様と会ったのが現実なのか、あるいは俺が偶然見た夢に過ぎないのか。感覚的にはそれは定かではないが、会話の内容にリアルさがあったことから現実だと思う。

 だとしたら、愛奈は一体誰に狙われるというのだろう。俺は当然心当たりがないし、愛奈自身だって分からないはずだ。

「なら警戒するに越したことはないよな」

 いつもの習慣で学校へ行こうとしたが、いくら俺の家とは言え一人にするのは危険かもしれない。

 事故までは残り二日。

 この間は学校には行かず、愛奈の様子を見ておこう。俺も学校に行かなくて済むし一石二鳥だ。

「とりあえず朝食でも作るか……ん?」

 ポケットに入れていた携帯が振動した。

 何かのメールマガジンでも届いたかと思ったが、振動は止む気配がない。

 仕方なく携帯を取り出してみると、夢亜からの着信だった。

「夢亜?」

 こんな時間からどうしたんだろう。学校に行く前に電話を掛けてくることなんてこれまで一度もなかった。それに、この時間なら散歩をしていると言ってたはずだが。

 不審に思いながらも応答のボタンを押してみる。

「あー、もしもし?」

『もしもし翔人? ちょっと話あるんだけどさ、今から会えない?』

「は? 今から? 学校あるんだし学校でいいだろ」

 俺は行く気ないけど。

「いいから来て。商店街の奥の公園ね」

「おい、ちょっと──」

 強い語気で一方的に言いつけると通話は切れた。

「はぁ」

 こんな時間に一体何だろうか。学校じゃなくてわざわざ呼び出すほどの用事ともなるとそれだけ重要な話だろう。

──もしかして、告白?

 は、そんなわけあるかよ。

 けど、ともなると本当に用件が分からない。

 ちらりと眠ったままの愛奈を見やると、彼女はまだ気持ちよさそうに眠ったままだ。この調子ならまだしばらくは眠っているだろう。

「面倒だけど、しょうがないな……」

 気は乗らなかったが、俺は身支度だけ整えて公園へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る