第24話

「今までどこ行ってたの?」

 放課後になって俺に話しかけてきたのは付き合いの長い幼馴染だ。夢亜とは朝にばったりと出くわしてしまっていて、顔を合わせるのが気まずかった。

「えーっと、まぁ、二度寝を……」

 俺の言い分を聞き終える前に夢亜は大きなため息をついた。そしていつもの呆れ顔になって、

「朝から散歩して、せっかくまともな生活を始めたと思ったのになぁ。なんでそうやって翔人は堕落した生活になるんだろねぇ?」

 含みを持たせたことを隠そうとしない物言いが痛い。何もこんな生活がしたくてしているわけじゃない。自分一人で生計を立てていくには仕方のないことだ。それに、この件については愛奈の運命がかかっている。ここまで深く愛奈と関わってしまった以上、今さら引くわけにいかない。

 それを夢亜には説明できないのがもどかしいところで、嘘をついてごまかすことに罪悪感を抱く。

「そういや夢亜は朝から何してたんだ?」

「私? 私は普段から朝散歩してるから」

「へぇ」

 よくそんなことができるものだ。俺には到底信じられない。そんな時間があるのなら、もう少し家でゆっくり過ごす方が有意義だろう。

「ほら、そろそろ帰ろ。翔人だって帰りたいでしょ?」

「まぁな」

 すぐに荷物をまとめて教室を出て、昇降口で靴を履き替える。

 部活を開始した運動部たちの掛け声を聞きながら学校の敷地をでた。

「そういえばさ、翔人は神様っていると思う?」

「急にどうした?」

 唐突な質問の意味が分からず聞き返してみる。

「深い意味はないんだけどさ、前に運命の三女神の話を授業でやったでしょ?」

「そういやそんなことも言ってたような」

「その話を思い出してなんとなく気になっただけなんだけどさ、どう思う?」

「どう思うって言われてもなぁ……」

 実際に俺は神と名乗る人物に出会ったことがある。だからその質問に対して俺の答えは『間違いなくいる』だ。ただそれを言っても変な目で見られかねない。

 どう答えるのが悩んだ挙句、俺は少しぼかして答えることにした。

「いてもいい、とは思ってる。俺は占いとかオカルトとかあんまり信じないけど、未来に行ったりもできるし、いてもおかしくはないかなって」

「なるほどねぇ」

「夢亜はどうなんだ?」

「私?」

 小さく唸って夢亜は考える素振りを見せる。

「うーん、私はいてほしくない、かなぁ?」

「いてほしくない?」

「うん。だって嫌じゃん? 私たちの運命とか人生とか、お金に恋愛、安全とか全部を私たちの知らないところで勝手に決めているなんて許せないよ」

 その返事に、俺は真実を知っているのかと疑った。しかしすぐ冷静になって考えると、そんなことはありえない。俺がその真実を知っているのは、時間の狭間を彷徨っているときに出会った神様から聞いたからだ。その場にいたのは俺だけで、夢亜はいなかった。だから知るはずがないのだ。

「私はさ、自分の意志で自分の人生を選びたい。だから、人に私のことを決められたないの」

 俺が神に返した答えとは異なるが、少し分かる思った。

 自分が誰かの敷かれたレールの上でしか生きられないのなら、そこでいかに楽しめるかを考えたい。しかしそれは、どうすれば自分の意志が介入できるかという抵抗でもある。俺はそれが絶対に嫌だとは思わないが、根本的な考えは似ているのかもしれない。

「でもそんなこと考えてたら疲れるだけだろ?」

「それはそうなんだけど……っ! 危ない!」

 突然夢亜が俺の腕を引き、大声を上げた。

 それとほぼ同時に、夢亜の声さえもかき消すほど大音量のクラクションが鳴り響いた。そして爆発音にも似た衝撃が地を揺らした。

 顔を伏せるようにして強く目を閉じていた俺は、衝撃から数秒遅れでようやく目をゆっくり開く。

 さっきまで俺らが立っていた場所には二台の車が正面から衝突しており、運転席がぺちゃんこに潰れていた。鳴りやまないクラクションが非常事態を告げており、何が起こったのか分からず頭が真っ白だった。

「きゃぁぁぁあああああ!」

 夢亜ではない、たまたま通りかかったのであろう若い女性の悲鳴を聞いて、ようやく我を取り戻し始める。しかし、冷静になればなるほど、また別の焦燥に駆られる。

 このような事故を俺は見たことがある。数日前、愛奈が公園ではねられた事故の瞬間に立ち合わせた。単独事故かそうでないかの違いこそあれど、事故の激しさは変わらない。

「うそだろ……」

 変な汗が額から落ちる。

 頭が真っ白になりながら、俺は愛奈の姿を探す。

 まだ事故の日までは三日残っているはずだ。俺が愛奈に手を貸したことで、猶予が短くなってしまったのだろうか。だとしたら、俺の責任だ。俺が愛奈を殺したのと同じだ。

 悲鳴と鳴りやまないクラクションが生み出す混沌の中、ぺちゃんこに潰れた車に近寄る。

「赤崎……?」

 二台の車の間に彼女の姿はない。四日前の事故を思い出して、愛奈の身体が飛ばされている可能性も考え、五メートルほど先に視線を向けるも、どこにも愛奈の姿はない。

 それでようやく愛奈が巻き込まれる事故ではないことを確信し、息をついた。すると今度こそ冷静さが戻ってくる。

「翔人、大丈夫……?」

 そこへ俺の腕を引いて助けてくれた夢亜が声をかけてくれる。

「ああ、夢亜のおかげで大丈夫だけど、夢亜は……思ったより平気そうだな?」

「もちろんびっくりしたけど、大丈夫だよ」

 びっくりしたとは言うものの、佇まいからしてそんな様子は微塵もない。それが気になったが、考える時間を入れずに夢亜は会話を続ける。

「なら早く帰ろ? あんまりここにいないほうがいいと思う」

 直にここには救急隊とパトカーが駆け付ける。この惨状であればマスコミだって黙ってないかもしれない。さらに野次馬にきた近隣住民も集まり、一気に混乱が生じるだろう。そうなればここに俺らの居場所はない。

「……そうだな」

 だからすぐにこの場を離れることを決めた。


「ただいま」

 帰宅するとリビングのドアをわずかに開け、隙間から顔を出して中の様子を見る。

 なにやら声が聞こえてはいたが、どうやら愛奈がテレビを見ていたらしい。ソファの上で体育座りをして、膝の上にちょこんと顎を乗せる体勢を取っている。ただその姿は力なく、意識ここにあらずといった遠い目をしているように見えた。

 それでちゃんと愛奈が生きていることを視認したことで、本当にあの事故に愛奈が巻き込まれていなかったことを実感する。

「ただいま」

 リビングに入って再度愛奈に声をかけると、顔だけで俺の方を向けてくれた。目が合ったときに目に怯えが浮かんだ気もするが、俺を認識したことでそれは消える。

「気持ちの整理はついたか?」

「……少し」

「そっか。ご飯作るからそのまま待ってろ」

「ありがと」

 一度自室に戻り、部屋着に着替えてから冷蔵庫の中を漁って調理を開始する。

 冷蔵庫の中身から、今日の夕飯はカレーだ。玉ねぎと人参、ジャガイモを切って炒める間にちらりと愛奈の様子を見やる。

 またソファの上で体育座りをする体勢にもどっている愛奈は愁然しゅうぜんとしていて、空気は暗く重たい。

 気持ちは十分わかるし、状況が状況だから沈むなという方が無理がある。ただ俺の家で思い空気を漂わせられると居心地が悪い。

 鍋に入れた水を沸騰させてルウを溶かす。

 気分が沈んだときこそ、食べるのが一番だ。お腹が満たされてしまえば自然と気分も明るくなるだろう。

 キッチンから流れる夕方の情報番組を眺めながらカレーの完成を待ち、適度に時間が経過したところで火を止めて皿に盛りつける。

「ほら、できたぞ」

 俺の声に反応して顔を上げると、素直に愛奈は食卓についた。

 いつもよりかなり早い食事で、正直俺はまだ空腹を感じていなかったが、愛奈はスプーンを手にしてカレーを食べ始めた。

「おいしい」

「これくらい誰でも作れる。君が作る料理の方が全然すごいだろ」

 謙遜ではなく事実を言ったまでだが、カレーを次から次へと口へ運ぶ愛奈を見ていると、作った側としてはやっぱり嬉しい。

 愛奈が食べるのに集中しているのを見て、俺も少量のカレーを食べる。普段から自分で作っている料理を食べているので、自分で作ったカレーの味は特段おいしいと感じず普通だ。

「明日からどうするんだ?」

 俺が切り出すと、愛奈はカレーを食べる手を止めてスプーンを置いた。

 顔を上げた彼女の顔に陰りはなく、俺が学校に行っている間に何か決心がついているようだった。

「あなたは手伝ってくれるの?」

「そのつもりだけど」

「なら、あなたを手伝う」

 愛奈の未来を救うために俺が協力し、その愛奈が協力する俺を手伝う。矛盾したようにも思えるが、一人でどうしたらいいか分からない愛奈にしてみれば、俺が唯一の希望なのだろう。だから今後の方針を俺に任せ、愛奈もできることをする。これまでと何も変わらない。記憶を失っても根本の人格が同じである以上こうなるのも必然だろう。俺としてもすることは変わらないしその方がありがたい。

 気が付けば愛奈はカレーを食べるのに夢中になっていた。頬張る姿がやはり小動物に見えてしまい、見ているだけで和んでしまう。カレーをすくったスプーンを口に運び、満足そうに頬を緩め、今度は何かを考えこむように真剣になり、そして表情が消え──

「う、うぅぅぅぅぅ!」

 突然愛奈が頭を抱えて苦痛のうめきを上げた。

 手にしていたスプーンが床に落ちて弾む。

「赤崎!?」

「うぁぁぁ! あ、あたまが……いたい……!」

 不測の異常事態に俺も戸惑いを隠しきれないまま、愛奈の傍に駆け寄る。

「赤崎、大丈夫か!?」

「痛い……痛いの……助けて……」

 俺にすがるようにして腕を掴もうとした愛奈の手は空を掴み、彼女の身体が傾いた。

 何とか床に落ちる前に受け止めることに成功したが、意識を失っていることは明確だ。しかも信じられないほど身体が厚くなっていた。

「これ、やばくないか……」

 ちょっとだけごめん。

 一言断ってから愛奈を抱え上げ、俺は彼女を部屋へと連れて行った。

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