第23話

 通勤・通学ラッシュともろかぶりして、暑苦しい電車に乗って俺は水族館へと向かった。

 本来なら開館前に間に合っていたはずだが、着いた頃には開館してしまっていた。

 こうなった以上、もしここにいなかった時の時間ロスが痛いが、中を探すしかない。

 入場料を払って中に入る。

 人の多さは昨日とさほど変わらない。昨日見学したルートを思い出しつつ、同様の順路で辿っていく。

 くまなく館内を探してみるも、気が付けば出口に到着してしまっていた。

 なら残るは外のエリアだが、外もいくつか思い至る場所はある。

 そこへ、館内アナウンスが入る。


『ご来場のお客様へご案内します。本日は十時よりイルカショーを行います。入場は無料ですので、ぜひお集まりくださいませ』


 どうやら昨日は昼からだったイルカショーがもうすぐ始まるらしい。これは言ってみる価値はありそうだ。

 外のエリアに出た俺は、まっすぐにイルカショーのステージに向かった。

 朝ということもあり、イルカショーに集まった人は少ないのかと思いきや、それなりに人は集まっていた。朝一に開演するだけあって、集客は見込めるのだろう。ただ、昨日同様に客のほとんどは中央から後ろの席に陣取り、前の方が空いている。

 そんなステージ内を見回すと、昨日と同じ中央の最前列に一人座る愛奈の姿があった。

「隣、いいか?」

 声をかけてみるが、反応はない。

 てっきり拒絶反応を示さされるかと思っていたばっかりに、その無反応を許可と捉え、勝手に隣に座る。すると意外にも愛奈は俺に少し場所を空けてくれた。

「大丈夫か?」

 俺の問いかけに、今度は愛奈が首を横に振る。

 それはそうだろう。どういうわけかは分からないが、記憶を失って気が付けば知らない異性の家にいるのだから怯えるのも無理はない。こうして俺と話してくれているのもすごいと思う。ただ、裏を返せばそれだけ彼女は混乱しているということだろう。記憶を失って一番戸惑っているのは愛奈自身だ。だが自分がどうすればいいかも分からないはずだ。

 だから俺は、今の赤崎愛奈に対して話しかける。

「どこまで覚えてる?」

「……私が未来に来たのは、自分の未来を変えるため。そのために私はしないといけないことがある……」

「そうか……」

 愛奈が忘れてしまっているのはどうやら俺に関する記憶だけのようだ。愛奈がなぜこの時間に来たか、これから何をしなければならないかを覚えてくれているのは不謹慎かもしれないが不幸中の幸いだ。

 そこへ、愉快な音楽とともに、イルカショーを行うスタッフが前に出てくる。そのスタッフは女性ではあるが、あかねとは別人だ。

 それでもマニュアルなのか、昨日のあかねと同じようなセリフで盛り上げ始めた。

「あなたはどうして私に構うの? これは私の事情なんだからあなたには関係ないのに」

 本当にその通りだ。巻き込まれなかったら絶対に関わっていなかっただろう。だが今の愛奈はその記憶がないし、攻めるつもりはない。

「俺も、君の未来を救うために協力してたからな」

「協力?」

「あぁ。いろいろあって、君に協力してる。信じれないか?」

「……」

「まぁ、記憶を無くしてる君にいきなり信じてくれってのも難しいと思うけど、嘘は言ってないからな」

 愛奈は椅子の上で体育座りをして、膝を体に引き寄せた。

 本当であれば落ち着くまでは様子を見たいところだが、愛奈を目の届くところに置いておくことで事故を防げる可能性がある以上、俺は愛奈を連れ戻さなければならない。

 椅子の上に持ち上げた膝に顎を乗せて、愛奈はぼんやりとショーを眺めた。

「そういえばこれ、落としてたぞ」

 俺は公園で拾ったイルカのキーホルダーを愛奈に返す。

「これ……」

「落としてたぞ。これ、結構気に入ってるんだろ?」

「うん……」

 どうやら昨日水族館に行っていたことは覚えているようだ。つまり愛奈の記憶からは完全に俺だけが抜けていることになる。それならまだ話は早い。

「君はあと三日後に事故で死ぬ。そうだろ?」

 愛奈は少し驚いたような表情で俺を見た。

「さっきも言った通り、俺は君に協力していた。だから一緒にいたわけだし、君の事情も知ってる」

「……そうね」

「これでちょっとは信じてもらえたか?」

「……分からない。私は何としても事故を防がないといけないの。だからこの時間にいる。それは覚えてる。でも、私の記憶がよくわからなくなってて、何が正しくて、何が正しくないのか、それが分からない……」

「ま、そうだよな」

 もしこれが俺だったらと考えると、どうしていたか全く想像がつかない。だから今の愛奈には時間が必要なんだと思う。

「もしよかったら、落ち着くまでうちに来るか?」

「あなたの家……?」

「あぁ、記憶を失う前の君はそうしてたから、そうすることで何か思い出すかもしれないし」

 愛奈はわずかに視線を上げてショーのイルカを見た。

「……わかったわ」

 イルカを目で追いながら愛奈はうなずいた。


「じゃあ俺は学校に行くから、赤崎はうちで休んでてくれ」

「……うん」

 水族館から愛奈を連れて帰ってくると、俺は制服に着替えて家をでた。

 今は午前の授業が終わってちょうど昼休みだろう。今ならそれほど目立たずに午後の授業には出れる。

 今から学校に行くのは億劫だが、今の愛奈には気持ちを整理する時間が必要だ。そのためには一人にしてやる方がいいだろう。俺がいたところで、愛奈が混乱するだけな気がする。だからやむを得ず学校に行くことにした。

 また呼び出しを食らうことを覚悟して登校したが、昼休みの喧騒に紛れたからか結局呼び出されることはなかった。そのまま午後の授業が始まる。

 担当教師が教壇に立ち、授業を始めたところで教科書とノートを形式上開くが、俺はずっと別のことを考えていた。

 愛奈の事故まで、残りタイムリミットは三日。事故を防ぐことを考えてきたが、結局のところ決め手になる方法は思いついていない。今のところ事故当日に愛奈を家から出さなければいい気がするが、未来の俺がそれに気づいていないとは思えない。それでもだめだったのだからこれではまだ何かが足りないのだろう。

 現状有力なのはスマホ。ただこれは未だにパスコードが分かっていない。正直、成す術がなくなっていた。

 さすがにもう時間が無くなってきた。考えれば考えるほど、俺の中にも焦燥感が募る。

「おーい、白瀬、聞いてるかー?」

「え、今呼びました?」

「話聞いてなかっただろうが。授業に集中しろ」

「はーい」

「ったく、こんな奴が成績いいんだから神の嫌がらせか?」

「神……あ、その手があったか。ありがとうございます」

「は? 何言ってるんだお前」

 あきれ顔で授業を再開する教師だが、ボヤキのおかげで一つだけ思いついた。

 俺が時間旅行者を認識できるようになったり、人の心情を読めるようになったのは、ある神との出会いがあったからだ。

 幼いころの時間旅行中の事故で時間の狭間を彷徨っているとき、謎の場所に流れ着いてそこで神と出会った。最初はただの夢だと思っていたが、やがて現実だと気づいた。もしその神に会うことができれば、何か情報を得ることができるかもしれない。

 ただ問題なのは、神のいる場所に行く方法だ。時間の狭間には行けるが、そのどこに神がいるのかまでは分かっていない。闇雲に探すしかないのだが、どれだけ時間がかかるか分かったものじゃない。今日これからはさすがに時間もないし、愛奈の様子が心配だが、明日は一日時間を見て神を探し出そう。それしか方法はないし思いつかない。

 それから、愛奈がなぜ記憶を失ってしまったのかも考えなければいけない。記憶を失う原因となる出来事がない。日記でもこのことが書かれていたことから、事故と何かしらの関係がある可能性もある。ただその場合、いよいよ事故の全貌が分からなくなってしまう。

「にしても、赤崎のやつ、大丈夫かな」

 日記の内容を考えれば事故当日には記憶が戻る。しかし精神が不安定になっているであろう彼女を放っておくこともできない。とりあえず今日は早く帰って彼女の様子を見ておこう。

「なんでこんな面倒ごとばっかり」

「白瀬」

「すいませーん」

 冷静に考えれば考えるほど馬鹿らしくなりそうだったので、それ以上は考えるのをやめた。

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