第21話

「へへ、えへへへへ」

「笑い方が気持ち悪いぞ」

 イルカショーが終わってから、愛奈はずっと自分の手を眺めては頬をとろけさせている。知らない人から見れば完全に不審者の絵面だ。

「だってしょうがないでしょ!? イルカに触れたんだから嬉しいに決まってるでしょ! ──えへへ」

 これはだめだ、と諦める。何を言おうが浮かれている愛奈には聞こえない。不審者に見えるだけであって不審人物というわけではないから、このまま放置していても問題はないのだが。

「あ、お土産屋さんだ!」

 店の前にあるイルカのボードに惹かれて愛奈は店の中に入っていった。

「……はぁ、ちょっとは落ち着けよな」

 苦笑を浮かべつつ俺も中に入った。

 店内には水族館限定グッズやお菓子がずらりと並んでいている。店の天井からは0423という今日の日付が入ったイルカのパネルがぶら下がっていた。他にも、壁やレジの前などには双子のイルカの写真が飾られており、店員もイルカの被り物をしている。店全体でイルカの誕生日を祝っていた。

合わせて店内のグッズも0424と数字の入った、特別仕様のもののエリアが設けられていて、そこに多くの客が集まっている。

「イルカがいっぱい!」

「そうだな」

 人の集まっているところには向かわず、まずは近場のグッズエリアに足を運んだ。ぬいぐるみやキーホルダー、文房具など、イルカがプリントされたものが多く並ぶ。その中で俺は未来の愛奈が持っていたキーホルダーを探すと、すぐに見つかった。

「これか……」

 何となくそのキーホルダーを手に取ってみる。

 重さ、形、質感、全てが未来の愛奈のものと一致する。

「あ、それいいな」

 俺の持っているものに気づいた愛奈が同じキーホルダーを手にした。

 未来の愛奈がこのキーホルダーを持っていたことは愛奈に伝えていない。同じ人物が同じものに惹かれるのは必然なわけで、このままいくとこのキーホルダーを買うことになるのだが、愛奈を救えなかった未来と同じ過程をたどって大丈夫なのかと不安になってしまう。

「これでいいのか?」

「うん、これすごく気に入ったし、欲しい!」

「でもまだ全部見てないし、せめて全部見てから決めてもいいんじゃないか? ほら、こっちのアクアドームとかのきれいでいいと思うけど」

「ほんとだ、これもきれい! じゃあとりあえず保留にするわ」

 そう言って彼女は店の奥へと入っていった。

 思いとどまってくれたことになぜか俺はほっとしながらも、店の商品を片っ端から手に取る愛奈を眺める。

 イルカ以外のグッズもある中からイルカの商品を見つけては、愛奈は目を輝かせている。そんな彼女を面白がりながら見ていると、しばらくして浮かない表情で戻ってきた。

「どうした?」

「うーん、いいのがありすぎてどれにしようか決めれない……」

「一つだけにする必要はないんだぞ?」

「それはダメ! 一つに選ぶから楽しいの!」

「そんなものかねぇ」

 俺には分からない感覚だ。金銭的な問題で渋ることは毎度のことだが、それが楽しいとは思ったことがない。

 けど愛奈がそう言うのなら、と俺は大人しく彼女の決断を待つ。

 唸りながら悩んでいた愛奈だが、やがて強く手を打った。

「決めた! やっぱり最初のキーホルダーにする!」

「えっ」

「ぬいぐるみはもう持ってるし、他のもの探したけど、やっぱり最初のキーホルダーがシンプルでかわいいと思うわ。だから最初のキーホルダーにする!」

「……そっか」

 愛奈自身が決めたことを、俺がとやかく言うことはできない。ましてや水族館に来た記念の品一つ。これが未来に影響しているとはさすがに思いたくない。

「じゃあ私、買ってくる!」

 最初のキーホルダーを取ると、すぐさま愛奈はレジに向かった。

「俺は外で待ってるからなー」

 声が聞こえたかは知らないが、店を出たところで愛奈を待つことにする。

 水族館にくるのは初めてと言っていたが、彼女のはしゃぎようからしてそれは事実のようだ。自分が知らないものを始めてみる反応が微笑ましい。

 こんなにも純粋な少女が、どうしてあと四日で死ななくてはならないのだろうか。

 彼女は何も悪いことはしていない。いや、俺を殺そうとしたり人のお金を勝手に使ったりと犯罪まがいのことをしてはいるが、生きることと今を楽しむことに必死なだけなのだ。

 年齢はまだ聞いていないが、見たところ俺と同じくらいだろう。彼女の見せる笑顔は年齢以上に幼くも見える。なのに死ななくてはならない彼女の運命が憎い。運命を管理する神が憎い。

 俺が神に会ったとき、「それが変えられない運命なら、自分がやりたいことをして楽しむ」と答えたことは今でも覚えている。だからこそ、万が一の事態に備えた愛奈を水族館に連れてきた。しかし、これが変えられない運命だとは認めたくない。

 両親を事故で失って、夢亜が俺の支えになってくれたように、俺が愛奈の支えになったやりたい。だからこそ、四日後の事故を未然に防がないといけないのだ。

「お待たせ」

 お土産袋を持った愛奈が戻ってきたところで俺は思考を停止する。

「ほらこれ!」

 袋の中から買ったばかりのキーホルダーを取り出して、これぞとばかりに見せびらかしてくる。

「分かったからここでは仕舞え」

「えー、いいでしょ別に」

「分かった分かった」

「へへ」

 早速キーホルダーをお気に入りのピンクのポーチにつけると、それを眺めて愛奈は目を細めた。

「いいのが見つかってよかったな」

「うん」

「じゃあそろそろ帰るか」

 俺らはすぐそこに迫っている出口のゲートへと歩き出す。だが、その道中にある人物が目に留まった。

「──夢亜?」

 立ち止まって視線を向けると、その人物は人ごみに紛れて見えなくなった。

 本人かどうかの確信は持てなかったが、腰上までの黒髪とすらりとした体つき、佇まいが夢亜に似ていた。

「まさか、な」

 夢亜は今、学校に行っているはずだ。仮病を使って学校をさぼっている俺とは違い、真面目な夢亜が平日の日中のこんな場所にいるはずがない。それに、その人物が来ていたのは制服ではなかった。

 世界には、自分とそっくりな人が三人いると言うし、夢亜に似た赤の他人だろう。

「どうしたの?」

「──なんでもない」

 立ち止まる俺を気にしてくれた愛奈にそれだけ返し、帰路についた。

 最後まで水族館で得られるヒントが何かは分からなかった。だが、全てのエリアを見て回ったし、見落としがあるとは思えない。ならここでヒントを探すのではなく、来ること自体に意味があったのだと結論付けることにした。


▽▲


 アラームに起こされ、いつもの時間に起床した。

 あくびと同時に伸びをして、固まった体をほぐす。

 今日も仮病でも使って学校は休もう。事故まで残り三日と迫ってきたが、事故を回避する方法がまだ見つかっていない。未来の愛奈が残した携帯が重要な手がかりな気はしているが、変更されたパスコードが分からなければ始まらない。愛奈本人でさえ、思い至る節はないのだからまだ先は暗い。そんな状況に、さすがに俺も焦り始めていた。

 もう一度日記を読みなおし、頭を回すことにしよう。諦めなければ必ず解決の糸口は見つかると、今は信じるしかない。

 けれどその前にまずは腹ごしらえをしたい。起きたところだが、お腹は空いている。朝食を摂らなければ頭も回らないし、いいことがない。

 部屋の鏡を見て、寝癖がないことを確認してから俺はリビングに出た。

 今日も昨日と同様に、台所からは朝食のいい匂いが──しなかった。

 昨日あれだけノリノリで朝食を作ってくれた愛奈の姿はない。

「まだ寝てるのか?」

 水族館では終始はしゃいで、疲れているのだろうか。ならゆっくり寝かせておいてやろう。

 何もせずに食事が出てくるのは楽でよかったが、やむを得ない。面倒だが、冷蔵庫を開けて材料があることを確認し、簡単に調理を始めることにした。

 ご飯を炊き、その間に卵とウインナーを無心で焼く。

 おいしそうな焦げ目がつき、完成に近づいたところでリビングの扉が開かれる。

「おはよ。よく眠れた──か?」

 顔だけで振り向き、起きてきた愛奈に挨拶をしようとしたが、俺は違和感に気づいた。

 愛奈の顔から感情が消えている。

 寝起きだからとか、そういう話ではなく、感情を前面に出す愛奈とはまるで別人のような雰囲気があった。そしてその表情から読み取れるのはただ一つ、不信感。

 なぜだか分からないが、背筋が冷えていく。無性に嫌な予感がした。

 その予感を裏付けるように、次の瞬間、愛奈は衝撃の一言を放った。








「──あなたは誰ですか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る