第20話

 釣り上げたばかりのアジを天ぷらに調理してもらい、昼食にした。

 天ぷらの調理代こそかかるが、材料は自分たちで釣り上げているため追加料金はかからない。その調理代も一匹五十円と安く手頃だ。

 味の方もなかなかで、自分たちで釣り上げたものということもあって非常に満足のいく昼食だった。

 充実した食事を終えて外に出ると、館内のスピーカーからアナウンスが入る。

『まもなく、屋外ステージにてイルカショーが始まります。入場は無料ですので、ご来場のお客様はどうぞ屋外ステージにお越しださいませ』

「お、そろそろか」

「行こっ!」

 場所は現在地からすぐそこだ。今から行けばいい席も取れるだろう。どうせ見るならいい席から見てみたい。

 屋外ステージに到着すると、そこは屋外ホールのようになっていた。イルカの泳ぐプールは円形で直径約二十メートル弱の広さがある。そのプールの半円を囲むように客席があり、後ろに行くにつれて段が高くなっている。そこに座る人はまだまばらで、上方の席の方が埋まっていた。

「どうせなら前に座るか」

「うん!」

 俺らは最前列の中央席に陣取った。

 プールの中ではすでにイルカが泳ぎまわりながら待機していて、奥ではスタッフたちが準備をしている。徐々に人も集まってきていて、ステージがざわつき始める。

「ねえ、今日は連れてきてくれてありがと」

 唐突な言葉に驚き、愛奈を見る。だが彼女は俺の方を向かず、プールの中に見えるイルカの影を目で追っていた。

「今日ここに来れて楽しかったわ」

「急にどうした?」

「私、やっぱり死ぬのが怖かったのよ。だから未来に来て自分の未来を変えようとしたけれど、失敗した。未来の私が死ぬのを見て、自分もこうなるんだって考えるとすごく怖かった」

 それはそうだろう。俺と同じくらいの時間しか生きておらず、いきなり突き付けられた死を受け入れられる方がどうかしている。

「自分のことなのに、私は何もできなくて、全部あなたに任せてしまってて……だからちょっとでも私にできることはないかって考えてた」

 俺は口を挟まず、黙った愛奈が言葉を紡ぐのを待つ。

「でも、何もできなくて、せめて明るく振舞って、あなたを焦らせたり不安にさせないようにしように思ってた。でも、いつも私の中には事故の映像が流れてて、怖かったわ。一人でいると私も死ぬんだって、そう思って怖くなって辛かった。夜寝ても、自分が死ぬことを夢で見てよく眠れないこともあるし、こんな生活が続くんなら今死んだ方がいいんじゃないかった思うこともあったわ」

 ずっと俺が読み取れなかった愛奈の本心。なんとなく予想はしていたが、それ以上に彼女は苦しんでいた。決して俺の前ではそれを見せず、一人で苦しんでいた。自分が死ぬ未来の事故のことよりも、それに怯える今を何とかしたいと彼女は必死だったのだ。

 だからこそ、彼女のことを守ってやりたいと強く思った。自分の周りで誰かが苦しむのを見たくない。両親を失った頃の俺のように、辛い思いをしてほしくないから。

「だから今日はほんとに楽しかった。今日だけは私がもうすぐ死ぬことを忘れて過ごすことができた。だから、ありがと」

「……君は死なない」

「……そうだといいな」

 最後まで愛奈の表情が変わることはなかった。涼しい顔をしてずっとイルカの影を追い続けていた。

 やっぱり、彼女の本心は読み取れない。だが、想像はついた。

 本当は今も彼女は恐怖と戦っている。だが、楽しんでいるのも事実だろう。願わくばこの時間が続いてほしい。けれどそれは叶わない夢で、その事実が悲しくなった。だから弱気になってしまったのだろう。

 何とも言えない沈黙が続きかけたその時、ウェットスーツを着て首に小さな笛をかけた女性スタッフが登場した。

「ねぇねぇあの人!」

 早くも気持ちを切り替えた愛奈がその女性を指さす。

 よく見ると、最初の大きな水槽の前で話しかけてくれたあかねだった。

 あかねはプールの裏側から観客の前へ移動しながら観客を見回す。その中で俺らと視線が会うと、ウインクをしてくれた。

「はーいみなさん、お待たせしました! これからイルカショーを始めます!」

「始まるよ!」

「そうだな」

 目を輝かせる愛奈に返事をして、俺もあかねに視線を向ける。

「本日はイルカショーに来ていただき、ありがとうございます! 短い時間ですが、どうぞよろしくお願いします! さっそくですが、イルカさんたちに登場してもらいましょう! どうぞ!」

 あかねがプールに向き直って手を振り上げると、二頭のイルカが水中から飛び跳ねた。同時に観客から歓声が湧く。

 一度跳ねた二頭のイルカたちは、プールの周りを跳ねながら一周半回ると、プールのへりに体を乗り上げて静止した。

「今日頑張ってくれるイルカたちを紹介します! 皆さんから見て右側から、ランちゃん、リンちゃんです! この二頭は双子でして、なんと今日が誕生日なんです!」

「え、そうなんだ! すごいっ!」

 真っ先に愛奈が拍手をすると、それに合わせて観客からも拍手が送られる。偶然ながらもめでたい日に居合わせられたことが、些細なことだが嬉しく思う。

「みなさんありがとうございます! 今日のこのメンバーでお届けします! 改めて、短い時間ではありますが、どうぞよろしくお願いします!」

 あかねが一礼すると、三頭のイルカもそろって頭を上下に振った。

 しばらくそのまま観客の歓声とカメラのフラッシュを浴びていたが、あかねが手を下ろすと、三頭のイルカは水中に戻っていった。

 手に持ったマイクを黒子スタッフに渡したあかねも、そのあとを追ってプールに飛び込む。

 プールの真ん中まで移動すると、泳ぎ始める二頭イルカにつかまって一緒にプールを周回する。二週ほどすると、一度へりのぼってご褒美の餌を与える。

 そしてまたすぐにプールに飛び込むと、今度はイルカの背中に立ってサーフィンのようにプールを移動する。

「すごいよあれ! 私もやってみたいなぁ……」

 やってみたいで簡単にできるものでないことは愛奈にもわかるだろう。それでもやってみたいと思わせるだけの洗練されたパフォーマンスだ。

 あのパフォーマンスができればすごく気持ちいいんだろうな、とそんなことを考えてみる。

 そしてまた真ん中へ移動すると、あかねはイルカと一緒に水中にもぐった。

 深く潜ったのか、中々でてこないな、と水中を見つめていると、イルカのくちばしに乗った状態であかねが出てきた。そのまま二頭のイルカがジャンプし、あかねが宙を高く舞う。

「あれ怖くないのかな?」

「怖くなくなるまで練習してるんだろ」

 きれいな姿勢であかねが着水したが三メートルは跳んでいた。飛び込み競技の高さはあるため、着水の姿勢を間違えれば水面に体を打ち付けることになる。だから百発百中で成功させられるだけの努力をしているはずだ。

 またプールのヘリに上ったあかねは、今度はフラフープを持ち出した。次にさせようとしていることが何となく予想できてしまい、しかしまさか、とその予想を自分で否定する。

 だが、予想通りあかねはプールに向かって二つのフラフープを投げた。二頭のイルカがそこに向かっていき、顔を出して嘴でフラフープをリズムよく回し始めた。

 その芸にまた観客が湧く。

 器用にあかねの元までフラフープを運んだ二頭は、あかねが水平に出した手の高さまでジャンプしてフラフープを返す。

 一度イルカたちに褒美の餌を与え、フライングディスクに持ち替えた。

 先にランちゃんを泳がせ、あかねがフライングディスクを投げる。プールの真ん中までの飛距離に投げすぎじゃないか、と思ったが、水中から勢いよく飛び出したランちゃんは大ジャンプを決めてキャッチする。

「すごい……」

 無意識のうちに感嘆の声が漏れる。

 同じように次はリンちゃんの出番だが、あかねはさっきよりも遠くへフライングディスクを投げた。

 さすがにやりすぎだろ、という焦りも、リンちゃんが華麗なジャンプを披露して杞憂に終わる。

 その後もイルカたちはあかねの指示通りに動き、観客を魅了していった。

「はーい、ではでは、今からお客様の中からどなたかに、イルカたちに指示を出してもらおうと思います!」

 約二十分に及ぶパフォーマンスの後、あかねがそう宣言した。

 場内からどよめきが起こるが、あかねは観客を見渡すことなく、まっすぐに愛奈をとらえていた。

「できれば多くの方にしていただきたいんですが、時間の都合もありますので、代表して最前列のそこのお姉さん。ちょっと前に出ていただけますか?」

「え、私?」

 指名されて戸惑いながら、それでいてどこか嬉しそうに愛奈が前に出ていく。

「お名前いいですか?」

「あ、愛奈です」

「それでは今から愛奈さんにイルカへ指示を出していただこうと思います。みなさん、拍手をお願いします」

 大勢の前に出たことで表情が硬くなっている愛奈が、助けを求めるように俺を見てくる。大丈夫だから自身を持て、と目で合図──伝わったかわからないが──しておく。

 あかねからも何か声を掛けられ、緊張した面持ちで愛奈がうなずく。

「それではまずジャンプからやってもらいましょう! どうぞ!」

 愛奈がプールに向かって思い切り右手を振り上げると、水中からイルカが一番の大ジャンプを決めて高さ五メートルほどの位置に吊るされているボールに触れた。

 成功したことに喜び、連続して左手を上げると別のイルカがボールに触れる。

「すごいすごい! ほんとに私の言うことを聞いてくれる!」

「うまくいきましたね。ではもう一つやってみましょう」

 またオフマイクで愛奈が何か指示を受ける。それに首を縦に振って両腕を横に開くと、イルカたちは回転しながらジャンプして見せた。

「よく訓練されてるな……」

特定のトレーナーの言うことならともかく、初対面の愛奈の指示を完璧にこなすイルカたちも見事だ。どんな訓練をしたらこんなパフォーマンスができるのだろう、と気になったりする。

「では最後にイルカにタッチしてもらいましょう」

「え、ほんとに!? いいの!?」

 驚きながらもはじける笑顔で愛奈は食いつく。

 新たな指示に愛奈はさっきよりも大きくうなずき、手を前に出した。

 それを見てあかねが首に下げていた笛を鳴らすと、愛奈の手に向かって二頭のイルカが同時にジャンプし、その嘴が手に触れた。

「ひゃっ」

 予想はしていただろうが、その感覚に思わず漏らした情けない声がマイクにしっかりと乗る。

 けどすぐに愛奈は自分の両手をじっくり眺め、イルカに触れた感触を噛みしめていた。

「愛奈さん、ありがとうございました。みなさん、拍手をお願いします」

 会場内から再度拍手を受け、はにかみながら愛奈が俺の隣に戻ってくる。

「よかったな」

「うん」

「では、これにてイルカショーを終了します。お越しいただいたみなさん、ありがとうございました!」

 あかねがそう締めると、大きな拍手が会場を包んだ。

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