第19話

 順路に沿って進んでいくと、左右に小さな水槽が配置されており、愛奈が真っ先に駆け寄る。

「見てよ! これ、タツノオトシゴ! 写真で見るより小さくてかわいい! あっ! こっちはウツボ! なんか変な顔!」

「はいはい、分かったから落ち着け。走ると怒られるぞ。それから、あんまり悪く言うとウツボに失礼だぞ」

 軽口を交えながら俺は愛奈の隣に並び、軽くかがんで水槽の中を見る。

 水草に絡まっているタツノオトシゴは、確かに隣にある紹介文の写真より小さく見える。今のポジションがよほど気に入っているのか、タツノオトシゴはそこから動こうとしない。紹介文によると、どうやらタツノオトシゴはあまり泳ぐことはせず、水草に絡まって支えることが多いらしい。

 一方隣のウツボは塩ビ管の中に体を収め、頭だけを出して口を開けている。そのアホ顔がちょうどブサかわいい。

 スマホを取り出して写真を撮り始める愛奈を見て、どうせなら俺も、とタツノオトシゴの写真を撮っておく。

 そんなこんなしながら奥へと進んでいく。

 道中ではチンアナゴやクリオネのような、人気のある魚が個別の水槽で展示されていた。水族館でしか見れないような物珍しい魚を見てはテンションが上がる愛奈を、俺が落ち着かせるという構図がすっかり出来上がっていた。とはいえ、実際は俺自身も楽しんでいて、来てよかったと感じた。

「すごい……!」

 見学を始めて一時間ほど経過したころ、館内の最深部と思われる場所に到着した。

 開けた空間になっていたそこは、壁と上下左右全てが一つの巨大な水槽になっていて、自分が水中に放り出されたよう感覚にとらわれる。中ではエイやイワシの群れがいて、おそらく最初に見た大きな水槽がつながっているのだろう。そこでは多くの来場者が水槽をバックに記念撮影をしていた。

 思わず見惚れてしまう自然の壮大さに、俺はしばらく言葉を失っていた。

「ねぇ、私たちも写真撮ろ!」

「お、そうだな」

 スマホのカメラモードを起動させながら俺と密着し、満面の笑顔を浮かべる。彼女には他意のない行為だが、愛奈の柔らかい髪が顔に触れると同時に甘い匂いが鼻腔をくすぐり心臓が跳ねた。

「笑って笑って!」

 愛奈に促されるままに俺は頬を持ち上げる。

「はい、ピース!」

 スマホを持ち上げ、少しだけ俯瞰する角度に調整すると、合図とともに愛奈がピースサインを作る。とっさの反応で俺が笑えていたか不安になっていると、愛奈が今撮影した写真を見せてくれる。

「ほらいい感じ!」

 不安通り俺の表情は引きつっていて、これのどこかいい感じなのかと突っ込みたくなるが、愛奈が満足しているのだからこれでいいのだろう。

 俺の前からスマホを引っ込め、愛奈は楽しそうに画像を見直す。

 こんなにいい反応をしてくれるのなら、愛奈を連れてきた甲斐もあったというものだ。想像以上に水族館を満喫してくれている姿を見ていると、すごく微笑ましくなる。

 だが、俺は危うく忘れかけていた目的を思い出す。

 ここに来たのは愛奈を楽しませるためでもあるが、彼女の未来を変える手がかりだとノートに書いてあったからだ。すっかり楽しんでしまっていて手がかりを探していなかったが、ここまで怪しいものは何もなかった。いつの間にか見落としてしまっていたのかとこの一時間を振り返ってみるが、思い至る節はない。まだこの先にあるのだろうか。ノートにはここで何をすればいいのかまでは書いてなかった。

 本当にここに手がかりがあるのだろうか。いくら平日といえど人は多いし、そもそも事故現場からも電車で移動しなければいけないこの場所に何があるというのか。

「わぁ、見て! あのサメ大きい!」

 愛奈に腕を引かれて思考を中断すると、ちょうど上部に大きなサメが泳いでいた。背側の黒くいかつい顔つきは本やテレビなどの媒体で見ることはあったが腹側の白い部分をまじまじと見る機会はそうない。

 突如現れた巨大な影に、全員が見上げて写真を撮り始める。

 ゆっくりと優雅に横断するサメはまさに水中の王と呼びたくなるオーラを放ち、それだけで来場者のハートをつかんでいく。

 やがてサメが見えなくなると、至る所からサメに興奮冷めやらぬ声が聞こえてきた。

 当然、それは俺らも同じで、

「あんな大きいサメ見たの初めて!」

「そうだな、俺もだ」

「すごい! 今日はほんとに来てよかった!」

「まだこの後イルカショーも残ってるから?」

「あ、ほんとだ……すっかり忘れてたわ」

 そんなやり取りをしながら地上に出るエスカレーターに乗る。

 その道中も水槽に囲まれていたが、やがて名残惜しくも出口に到着した。


 屋外に出てすぐに、俺らは気になるエリアを見つけた。

「アジ釣り?」

 敷地内に釣り堀があり、多くの人がそこで釣りを楽しんでいる。看板の説明によると、竿と餌もすべてレンタルできるらしく、一回六百円。餌か糸が切れるまでは釣り放題で、釣ったアジは奥のスペースで天ぷらにして食べられるらしい。

「私、やってみたい」

「そうだな。面白そうだしやってみるか」

 いつもならお金を節約するために渋っていただろうが、今日くらいはそんなこと気にしなくていいだろう。

 お金を払って二人分の竿と餌、釣ったアジを入れる用のバケツを受け取ると、釣り堀に入った。

 釣り堀は小さなプールがいくつか設置される形になっており、同時に多くの人が楽しめるようになっていた。

「どこかいい場所はあるかなっと……あ、あそこが空いてる」

 最奥に人の少ない場所を見つけ、二人してそこに陣取る。

「早くやろ!」

 待ちきれない愛奈にせかされ、釣り竿に餌の小エビをつける。魚影を探し、よさげな場所へ釣り糸を垂らす。

「うおっ」

 餌が水中に入った瞬間に、アジが水音を立てて寄ってくる。ほぼ同時に竿に確かな重みを感じた。反射的に竿を持ち上げると、針の先に大きなアジがかかっていた。

「よし……あっ」

 釣れたと思ったのも束の間、空中でアジが跳ねた反動で糸が切れ、そのまま水中へと戻っていってしまう。

 隣の愛奈を見ると、彼女も同じように糸を持っていかれたところだった。

「あぁ……釣れたと思ったのに……」

 露骨に肩を落とす愛奈。視線は糸を持っていかれた先を悔しそうに眺めていた。

「簡単に見えたけど、結構難しいな、これ」

 他の人はどうやってるんだろう、と周囲を見てみると、多くの人がアジを釣り上げて楽しんでいる。なんでそんな簡単に釣れているのかと分析してみると、すぐに自分たちとの違いに気が付く。

「そうか、ゆっくり竿を上げないといけないのか」

 思ったよりも糸が切れやすいらしい。できるだけ糸に力を加えないようにしないといけないようだ。要領は昔やった金魚すくいと似ているかもしれない。

「もう一回やるか?」

「いいの!?」

「あと一回だけな」

「やった!」

 糸の切れた竿を一度返却し、新たに竿をレンタルする。一本を愛奈に渡し、餌をつけて今度は慎重に糸を垂らしていく。

 針が水面に入ると同時に竿がしなる。今度こそ慌てず、冷静に竿を引き上げる。

 水面から出てきた針先ではアジがぴちぴちと跳ねていた。糸をゆっくり手繰り寄せてアジをバケツの中に解放してやる。

「よし」

「やった!」

 俺と愛奈が同時に歓声を上げた。

「釣れると楽しいな、これ」

「うん! もっとやろ!」

 その後、俺は五匹、愛奈は三匹釣り上げたところで糸が切れて終了した。

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