第17話

 愛奈が片付けをしてくれている間に、俺は自室に置いていた未来の愛奈のポーチを持ってくる。

「ふぅ、終わったわよ」

 同タイミングで濡れた手をタオルで拭いながら愛奈が声をかけてくると、また食卓につく。

「それで、何か分かったの?」

 愛奈には食事の後で話があると伝えておいた。この二人の間で改まって話す内容など一つしかないため、愛奈も内容は察しているようだ。

「日記、読んだのよね?」

「あぁ、でも内容はまだ言えない。もし君に内容を伝えると、未来が変わる可能性がある。その未来がいい方向に変わるかもしれないけど、悪い方へ変わる可能性だってある。その判断がつくまでは君に内容は伝えないほうがいいと思う」

「そう……」

 少し表情が陰り、もどかしそうに机の上で拳を握り締めていたが、すぐに愛奈は手の力を抜く。

「分かった。あなたを信じて任せるわ」

 それでも自分のことなんだから内容を教えろ、と食い下がってくるかと思っていただけに、彼女の素直さに拍子抜けした。

 出会った頃は頑なに俺のことを殺そうと聞かなかったのに、それが嘘みたいだ。銃を未来に持ち込んで、包丁まで購入した人間の同一人物とはとても思えない。

 未来で回収したポーチを机の上において本題に入る。

「なんであなたがそれを持ってるの?」

「未来の君が残してくれたヒントだよ。もしかしたらここに大事なヒントが残ってるかもしれないんだ」

 ポーチからスマホを取り出して愛奈に手渡す。彼女はスマホを一通り眺めた後、スマホの画面をつけ、慎重に四桁の数字をタップする。

 しかし打ち間違えたのか、すぐに数字を入力しなおす。そして彼女は不審そうに首をひねった。

「どうした?」

「パスコードが違う……」

「えっ?」

「ちょっと待って」

 愛奈は自分のスマホを取り出すと、二台のスマホを俺に画面が見えるようにして机の上に並べた。

「こっちが私のやつ」

 片方のスマホのロック画面に四桁の数字を入力すると、ロックが解除され、ホーム画面が表示される。その数字が明らかに誕生日と思われる数字だったのはあまり突っ込んではいけないだろう。

「壁紙もイルカなのか……」

「いいでしょ別に。かわいいんだから」

 ロックの解除されたスマホを一旦机の端にどけると、残されたスマホを手にする。

「で、こっちが未来の私のやつ」

 ロック画面に同じ数字を入力すると、今度は『パスコードが正しくありません』というメッセージが表示される。

「ね?」

「どういうことだ……?」

「さぁね? ただ私の中で変えようと思ったんでしょ」

「心当たりは?」

 軽く伸びをして愛奈は椅子の背もたれに体重を預け、肩をすくめる。

「あったら苦労しないわよ」

「だよなぁ」

 変更後のパスコードが愛奈で検討がつかないのなら俺にはどうすることもできない。けど、どうしても俺にはこのスマホが重要な気がしてならなかった。未来の愛奈がわざわざ俺だけに伝える形で残したものなのだ。しかも、スマホと一緒に俺の名前が書かれた紙切れもあったのだ。ここまでするからにはそれだけの俺に伝えたかったことがこの中に入っているに違いない。

 でもそれなら、なぜ愛奈はパスコードを変えたのだろう。未来の愛奈は、俺が過去の愛奈と接触していることは分かっているはずだ。ならパスコードを変えないほうがすぐにヒントを伝えることができるはずだ。

 ──分からない。どう考えても意図が矛盾している。

 俺にヒントを与えているのにヒントの中身を見せないようにするのはなぜだ。それすらもヒントになる可能性はあるが検討もつかない。せめて愛奈がどのタイミングでコードを変えたのかを知れればいいのだが──

「そうだ、赤崎は未来が見えるんだよな?」

「そうだけど、何?」

「赤崎が未来でパスコードを変えるところを見れたらスマホを開けるんじゃないか?」

 俺の提案に、愛奈はぱっと顔を輝かせたかがすぐに浮かないかを考えこんだ。

「どうした?」

 声をかけてもずっと浮かない表情を浮かべ続ける。

 やがて、愛奈は重い口調で答えた。

「ううん、何でもない。大丈夫、だと思う……」

 気になる言い方だが、大丈夫なら大丈夫だろう。

「準備しないといけないから、ちょっとだけ待って」

 言うなり愛奈は立ち上がり、部屋へと戻っていった。

 準備というものが何か気になるつつも、しばらく待っていると手に何かを握り締めて戻ってきた。

「待たせたわね」

「準備って、何をするんだ?」

「それは見てれば分かるわ。それより、見るのは私がパスコードを変更しているところでいいのよね?」

「あぁ、頼む」

「これだけ言っておくけど、私の力は見たいものを見れるわけじゃないわ。見れるのはその場面を静止画としか見れないのよ。例えば、私が焼き肉を食べているシーンを見ようとすると、その場面が静止画として見えるの。だからなんの肉を食べてるかとか、どれだけ食べてるかとかを見れるかは、見える静止画次第。だから私が新しいパスコードを設定している場面ピンポイントで見れるかは運次第」

 なるほど、動画のサムネイルのようなものかと納得する。俺が愛奈を殺したと勘違いしていたのは、愛奈が倒れる自分の姿と周囲の状況のワンカットだけを見たものだったのだ。だから事故の瞬間を見ることはできず、血を流して倒れる愛奈を見下ろす俺の姿が見えたのだろう。

「わかった」

 うなずいて愛奈は手に持っていたもの──金色の糸で紡がれた水晶のペンダントを卓上に出した。時間旅行者を示す翡翠のもとは違い、見た目の高級感から特殊な雰囲気が漂っている。

「じゃあ始めるわよ」

 水晶のペンダントの前に座り、目を閉じる。ゆっくり腕を伸ばしてペンダントに触れる。大きく深呼吸を挟んで愛奈は自身の集中力を高めた。

運命ときの導き、汝の示すは世のめいを」

 愛奈の声に反応して、水晶が白く輝き放ち始めた。輝きは鼓動をするように強さを増していくと、どういうわけか部屋の中に風が吹き始め、愛奈の柔らかそうな茶髪をさらう。やがて、部屋の照明をかき消すほど強く発光し、俺は思わず目を覆った。

 しばらくして、水晶の輝きが落ち着くと、愛奈は目を開けた。彼女の呼吸は浅くなっており、額には汗がにじんでいた。

「どうだった?」

 結果を聞いてみると、愛奈は首を横に振った。

「パスコードの番号は見れなかった」

「そっか……」

「それどころか、場所も分からなかった。暗い部屋の中にいて、私は一人だったのよ」

「暗い部屋……」

「少なくともこの家や私の家じゃなかったわ」

 この家や愛奈の家ではない暗い部屋。それだけではあまりにも情報として足りていない。パスコードを変えるためだけに部屋を移動したというのだろうか。

 次から次へと分からないことが出てきて、俺らはあと何をすればいいのかが分からなくなってくる。だからこそ、今は新たなことが分かっただけでも成果としてポジティブに考えるしかできなかった。

「ごめんなさい、私にできるのはこれが限界」

「しょうがないさ。あまり時間は残ってないけど、ちょっとずつ情報を集めていけばきっと君は助かる」

「そう、だといいわ……」

 悲しそうで、それでいて何か悟るような愛奈の表情を見て俺は確信した。やはり、愛奈は明るくふるまっているだけで自分の運命を割り切ったわけではないのだ。自分でも未来を変えたいが、自分ではその方法が思いつかないから俺を信じて任せてくれている。愛奈にとって、それしか方法がないのだろう。

「じゃあ私はこれを片付けてもう寝るわ」

「あ、待てよ」

 水晶のペンダントを大切に握り締め、部屋に引き返そうとする愛奈を呼び止める。

「明日、水族館に行くぞ」

「水族館? なんで?」

「未来で回収したポーチの中にこんなのが入ってたんだよ」

 ポーチの中からイルカのキーホルダーを取り出す。

「イルカ……!」

 食い気味に反応して目を輝かせる愛奈の反応からして、よっぽどイルカが好きなのだろう。愛奈の家においてあったぬいぐるみやスマホの壁紙にするくらいなのだからよっぽどだ。

「このキーホルダー、近くの水族館のお土産なんだよ。それに、日記にも水族館に行ったことが書いてあった。だから水族館に行けば何か分かると思うんだ」

 昼休みに読んだ日記によれば、未来の俺と愛奈は明日に水族館に行っていた。水族館のキーホルダーがポーチに入っていたからには、未来の俺らと同じように水族館に行くべきだと考えた。

 ただ、俺の目的はそれだけじゃなかった。

 あまり考えたくないが、万が一愛奈を助けることに失敗した場合、愛奈の人生は残り五日で終了してしまう。その限られた時間を死に追われながら過ごすのではなく、楽しんで有意義に過ごしてほしい。イルカ好きの愛奈にとって水族館はいいリフレッシュ場所だと思う。だからこそ、愛奈を水族館に連れていきたい。

「でも、あなた明日も学校よね?」

「あー、明日は創立記念日で休みなんだよ」

 当然嘘だ。学校には体調不良とでも伝えておこう。ばれたらまたまたお説教をいただくことになるが、ばれなければ問題ない。それに、ばれたとしても今日の様子だとそこまで厳しく怒られることはなさそうだ。

「そうなの? けど、そういうことなら分かったわ。じゃあおやすみ」

「おう、また明日な」

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