第16話

 公園からの帰り道、俺は見知った不審人物を見つけた。

 道の端できょろきょろと周囲の様子を確認しては進み、交差点に差し掛かればまた何かの様子を窺う少女。手には買い物袋を提げ、首には翡翠のペンダントをしている。明るめの茶色の髪は西日に当たっていつもより明るく映っていた。

「なにしてるんだ、あいつ」

 愛奈は愛奈で何か情報を得ようと行動しているのか、とも思ったが、しばらく観察しても誰かの跡をつけているというわけではなさそうだ。何かから見つからないように、といった様子だ。

 愛奈なら隠れるようなことをしなくても誰からも認識されないのに、と疑問に思いつつも一応警戒しておく。

「どうしたんだ?」

「わっ!」

 声をかけると、愛奈は身体を震わせて飛び退いた。そして俺の姿も認識するなり露骨に買い物袋を体の後ろに隠した。

「ん? なんで隠すんだ?」

「あ、いや、その、違うの!」

「は? 何を持ってるんだ?」

 袋の中身をのぞき込もうとすると、それを阻止するように体でブロックしてくる。挙動が怪しすぎる。

「ん?」

 十字路の横でまるで何かを見つけたかのように視線を向けると、それにつられて愛奈もそちらに身体を向ける。その隙に袋を奪い、中を確認する。

「……は?」

 出てきたのはかなりお高いステーキ肉。一応精肉店ではなくスーパーの半額のシールは貼ってあるが、それでも四桁の数字が値札には書かれている。しかも、それに肉は一つだけではなく二パックも入っていた。

「あっ……」

 俺に袋を取られた愛奈が、しまった、という表情になる。

 別にこれくらいなら俺に画する必要もないのだが、なぜ愛奈はここまで挙動不審になるのか。それを考えると、すぐに一つの疑問にたどり着いた。

「待てよ? 君、お金そんなに持ってるのか?」

 愛奈はまず、この世界に来てから俺を殺すための果物ナイフを買っている。さらにポーチも購入して、今朝の朝食の材料もこの時間に来てから調達している。挙句この高い肉となれば、合計支出額は優に万を超える。ほぼ身一つで準備もなく来た高校生が持ち歩いているような額ではない。

「このお金はどうした?」

「えと、その、それは……」

 目が泳ぎ、しどろもどろになり始める愛奈。それはもう自分が悪いことをしていますと言っているのも同然で、自然とその答えが導ける。

「俺のお金を勝手に使っただろ?」

「……はい」

 そこまで言ってようやく愛奈は観念して認めた。

「そんな勝手なことをして許されると思ってるのか!? いくら俺でも君のやってることは犯罪だからな! 今度こそ時間警察の世話になりたいのか? それで君は自分の未来の可能性も潰す気か!?」

 身を小さくして俯く愛奈に俺は思わず怒鳴っていた。付近を通りかかった人たちが何事かと立ち止まって視線を投げてくる。

「それに! それは俺が節約をして貯めてきたものなんだ! それを勝手に!」

「ごめんなさい!」

 勢いよく頭を下げた愛奈からは反省の色が見て取れた。

 彼女が使ったのは、俺がこつこつ貯めていたお金だ。両親がいなくなってから、残された遺産で生活を続けているが、自分で生活をやりくりしないといけない分節約をしてお金をためていたのだ。それを勝手に使うのは信じられない。

 だが、珍しく怯えるように頭を下げ続ける愛奈の姿を見ると、憤るのもばからしくなってきた。いくら俺が感情のままに怒っても、それでお金は返ってこない。それなら怒鳴るだけ無駄な労力を使うだけ。それに、愛奈に見つかる場所に置いていたのもよくないのだ。

「……はぁ」

 肩の力を抜き、ため息をつく。

「買ったものはしょうがないし、今日だけだからな?」

「ほんと!?」

 顔を上げた彼女は目を輝かせた。

 この切り替わりの早さからして本当に反省しているかは分からない。

「その代わり、今後勝手なことはするなよ? 一応これも犯罪だからな?」

「はい……」

 やっぱり愛奈は肩を落としたのだった。

 そんなこんなありつつも、家に帰ると早速愛奈が台所に立った。

 肉のお金の出所は俺の懐だからこそ、料理を全て愛奈にやらせることに何の引け目も感じない。

 俺はリビングのソファーに座ってテレビを眺める。

 たまたまつけたテレビ番組では、芸人たちがじゃれついて笑いを取ったり、司会の大物芸人に頭を叩かれたりしている。それを笑いもせず、ただ作業のようにぼーっと眺める。久しぶりに何もしない。そうしてただ料理が出てくるのを待つ。これぞ理想のひと時だ。

 だらだらと無意味な時間を過ごすのは五日ぶりだ。たったの五日だが、愛奈と出会ってからの五日間が濃密すぎてすごく久しぶりに感じる。

「~~~~♪」

 愛奈の上機嫌な鼻歌とともに、台所から肉の焼けるおいしそうな匂いが漂ってくる。

「そんなに楽しみか?」

「当然でしょ? だってこんなお肉もう一生食べられないかもしれないのよ?」

 弾んだ声で愛奈が返す。

 いくらいい肉でもスーパーで市販されている以上は、お金に余裕さえできればいつだってチャンスはある。それでも一パック数千円の肉をわざわざ買う人は多くないはずだ。少なくとも俺は絶対に買わない。質よりもコスパを最優先に考えたい。

 とはいえ、匂いを嗅いでいるとそれだけお腹がすいてくる。実は俺も始めてお高い肉が楽しみだったりもする。

 そんな空腹に耐えていると、愛奈がさらに盛り付ける音が聞こえてきた。ようやくかと俺も食卓へと移動する。

 メインの肉はステーキにして、付け合わせのふかし芋と人参、副菜には野菜スープがある。

「じゃあいただきます」

 二人とも真っ先にステーキに手を伸ばし、ナイフとフォークで適当なサイズに切って口に運ぶ。

「ん~~~~! おいしいっ!」

「ほんとだ、これはおいしい」

 レアに焼かれたステーキはこれまで食べたことがない厚みと柔らかさで、口に入れた瞬間に広がる肉汁が何とも言えない。肉自体の質と、愛奈の自家製ステーキソースと絡まって絶品だ。一度この味を知ってしまうと、味を占めてしまいそうで怖い。

 ふと愛奈を見ると、彼女は口の中いっぱいに肉を頬張り、幸せそうに蕩けた表情でせわしなく食べていた。その姿はかわいらしい小動物そのもので、もとからあどけなさの残る顔つきがさらに幼く見えた。

 その姿に微笑ましくなりながら、俺も一口一口ステーキの味を噛みしめた。

「あれ、そういやこのスープ、なんか君のと違くないか?」

「…………」

 素朴な疑問を口にした途端に、さっきまで幸せそうにしていた愛奈の顔が凍りつく。

「うん? どうした?」

「べ、ベツニソンナコトナイワヨ」

「なんでそんなカタコトなんだ?」

 俺に差し出されたスープと、愛奈のスープに視線を往復させる。

「あ、トマトが入ってない」

 俺のは野菜入りトマトスープになってるに対して、愛奈のは純野菜スープだ。

 そのことを指摘すると、愛奈は自分のスープを守るように手に取った。

「わ、私のはこれでいいのよ!」

「別にだめとか言ってるわけじゃないけどさ……あ、もしかしてトマト嫌いなのか?」

「うっ……嫌いで悪い!?」

 顔を真っ赤にして言葉に詰まったかと思うと、今度は開き直って言い返してくる。

「だから悪くないけどさ、トマトの何が嫌いなんだよ。美味しいのに」

「おいしい? トマトが? ムリムリムリムリ! あのぶにょっとした感じがほんと無理!」

「ならわざわざ俺のやつには入れなくていいだろ。料理するときに触るだけなのに」

「食べるのと触るのは違うのよ!」

「あーはいはい」

 こんなやり取りをしながら、久しぶりに賑やかな夕食を終えた。

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