第12話

 待ち合わせの時間よりもまだ二時間も早かったが、意外にも愛奈あいなは戻っていた。ただどこか浮かない様子で腕を組み、片手を顎にあてて何やら考え込んでいるようだ。

「早かったな」

 声をかけても気付かないぐらいに何か思案してるらしい。

 もう少し近づいてみる。

「もう戻ってたのか」

 反応がない。さらに近づく。

「うーん、なんで私はこんなことを」

 よく分からないことをぶつぶつ言っていた。もしかしたら石像に向かってしゃべっていたのは様子がおかしいとかではなく元からおかしな一面があったのかもしれない。

 と半ば冗談で思ったりもする。

「どうしたんだ」

「わっ!」

 なかなか気づいてもらえないため、顔を覗き込んでみると愛奈は大声をあげて飛び退いた。想像以上の反応に逆に俺がびっくりする。

「戻ってきてたなら声かけなさいよ!」

「さっきからずっと声かけたけど無視したのはそっちだろ」

「聞こえてないの!」

「あーはい、そうですか」

 結構近くからでも声をかけていたのにひどい言われようだ。

「で、どうかしたのか?」

「大したことじゃないんだけどさ、これ見て」

 スマホを操作し始めると、画面を俺に見せてくる。

 写っていたのは、いかにも女の子らしいピンク色の布団が敷かれたシングルベッドだ。宮付きのベッドボードの上にはピエロの扮装をしたかわいらしいイルカのぬいぐるみが置かれている。

「これは、部屋?」

「そ、私の部屋。それで、これ」

 画面をフリックして次の画像が表示される。

「──?」

一枚目の画像と同じもので違いが全く分からない。

「ベッドとぬいぐるみの向きが逆でしょ?」

 言われてみれば、ベッドの隣に映っている壁の位置やぬいぐるみの向きが変わっている。ぬいぐるみはともかく、ベッドの向きに関しては言われないと分からない。

「確かにそうだけど、それがどうしたんだよ」

「これがさっき撮った写真なんだけど、なんで向きが変わってるのかな、って」

「…………は?」

 本当に大したことじゃなかった。真剣に画像とにらめっこした時間と労力を返してほしい。ここまで大したことのない話をされることの方が珍しい気がする。

「私、ベッドはこの向きが気に入ってるのよ」

「はぁ」

「だから絶対向きを変えたりしないと思うのよ」

「そんなの、気が変わっただけかもしれないだろ」

「そう、なのかな……」

 気に入ってるからという理由でおかしいと言われても、誰が納得できるだろうか。それにたかが部屋のレイアウト一つで手がかりになったりはしない。それだったら椅子の位置が微妙にずれている、部屋が片付いてるとか言い出したらキリがない。

 けれど本人の中ではよっぽど釈然としないのか、ぶつぶつとあれこれ言っている。

「で、ほかには何かなかったのか?」

「あ、そうだ、これ」

 愛奈は腕を組んでいた方の手で持っていたノートを差し出してくる。そのノートの表紙にはメモが張られて、『中を読まずに白瀬翔人しらせかけひとに渡すこと』と書かれている。

「これが机の上に置かれてた」

 ノートを受け取って表紙や裏面を一通り眺めてみるが、何の変哲もない普通のノートだ。張られたメモを見る限り、愛奈が残してくれたヒントなのは間違いない。

 中を開いて最初のページに目を通す。そこには大きくこう書かれていた。

『この内容は過去の私に見られないこと』

 どういうことだ、気になって思わずページを開きそうになるが、ここは書かれている内容の通りにするのがいいだろう。

「どれどれ、なんて書いてある?」

 ノートの内容をのぞき込もうとする愛奈に感づかれないよう、自然な動作でノートを閉じる。

 むくれて中を見せろと目で抗議してくるが軽く受け流しておく。

「君の趣味とか好きなものが書いてあったよ」

「は?」

 素のトーンで蔑まれるがノートを見ようとする意志はなくなってくれたようだ。

 未来の愛奈が俺らに向けて情報を残してくれているかもしれないという俺の予想は的中した。愛奈本人には見せられない内容というのが気になるが、それほど重要なものということだろう。未来から戻ってから中を読んでみよう。もしかしたら他にも何かあるかもしれない。まだもう少しこの時間を探索する価値はありそうだ。

「それよりそっちはなんかなかったの?」

「……特に何もなかったよ」

「そう……」

 本人に向けて様子がおかしかった、ということは言わないほうがいいだろう。おかしかったの次元が違う以上、困惑させるか、あるいは信じてもらえないかのどちらかだ。なら本人には伝えず、普通に過ごしてもらった方がお互いにいい気がする。その分、俺が愛奈のことを細かく気にかけないといけないと肝に銘じておく。

「じゃあどうするの? 一先ずヒントは見つかったし、もう戻るの?」

「もう少し見ておきたいところがあるから先に帰っといてほしい」

「それなら私も──」

「いや、先に戻ってほしい。本人が見ないほうがいいこともある。だから戻っておいてほしい」

 愛奈は真剣に考える素振りを見せてしぶしぶといった様子で頷いた。

「分かった。じゃあ待ってる」

 六日前に戻るために、時間旅行を経営する企業『ネオ・クリエーション』の施設に入っていく愛奈を見送ってから再度のノートに視線を落とした。

 表紙を開いたところに書かれている一文よりも、その下に書かれている一文。

『過去に戻る前に、必ず一人で夜の公園に行くこと』

 事故は既に起こった後だ。今更公園に行く理由が分からないが、未来の愛奈がそう書き残したからには何か理由があるのだろう。しかも愛奈を連れずに一人でというのがなおさら謎が深まる。

 今頃公園には警察や救急隊が到着して大騒動だろう。現場検証などが行われてしばらくは立ち入り禁止になるはずだ。事故を起こした車は撤去され、事故の手がかりは残らないだろう。

 それでも、ノートにそう書かれている以上は行くしかない。

「さてと、何があるんだろうな」

 とりあえず今から六時間ほどの時間の潰し方を考えるのだった。

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