第10話

「準備はできたか?」

「待って! もう少し!」

 扉の向こうからどたばたとせわしない足音が聞こえる。その間に俺は仏壇の前に正座し、線香を立てて手を合わせる。

「父さん、母さん。俺、久しぶりに時間旅行をしてくるよ」

 遺影の中で微笑んで見守ってくれている両親に報告した。

「ご両親、いないんだ……」

 ばつの悪そうに呟いた愛奈の声を聞いて俺は合掌をやめる。

「10年前、時間旅行の途中に、事故でな」

「そうなんだ……ごめん」

「別に赤崎が気にすることじゃない」

 事故のことは自分から広めることは決してないが、隠すことでもない。事故のことはニュースにもなっているし知ってる人は知っている。

「じゃあ、もしかしてあなたも……?」

「事故に遭って時間の狭間に閉じ込められた」

「そう、なのね……」

「そこで信じられないような奇跡があって無事だったんだけどな。それ以来時間旅行は一度もしてない」

 どうして俺が助かったのか、それは今思い返してもよく分からない。ファンタジー小説の世界のような出来事が起こって助かったのだが、それは間違いない事実。あの出来事がなければ俺は間違いなく死んでいた。だから奇跡という言葉が一番最適だろう。

「小学校までは幼馴染のところに引き取られてたけど、中学に上がってからはずっとここで一人暮らししてる」

 物心はついていたと言っても、両親を失ってからもう10年も経つ。思い出の大部分は既に消えてしまっており、遺影のようにただ笑っている姿しか思い出せない。

 ──両親が生きていた、今頃どうなっていたのだろう。

 時折そんなことを考えてしまうが、それは現実にあり得ない仮定の話だ。中学まではそんなもしものことばかり考えては悲しみに暮れていたが、今では逆に想像がつかない。

 ──けど、もしそうだったら楽しかったんだろうな……

 最後にそんなことを考えながら俺は頭を切り替えた。

「準備できたならそろそろ行くぞ」

 最後にもう一度だけ遺影に目をやり立ちあがった。


 愛奈が巻き込まれた事故があったばかりで時間旅行ができるか心配だったが、昨日のうちに何事もなく申請を済ませることができた。俺の時はまだ時間旅行ができるようになった初期ということもあって安全性の見直しがされたが、あれから時間の経った今では原因解明と改善に時間はかからないのだろう。

「それにしても仕事早すぎるだろ」

 事故の跡形も残らないほどきれいに修復された建物を見て感心した。

 時間旅行を行う際には、事前に役所へ申請を出す必要がある。そして旅行当日に、時間旅行を運営する『ネオ・クリエーション』という企業の所有する施設に行くという手順が必要だ。

 正面入り口から施設に入ると、小さめの待合室になっている。待合室には受付の女性スタッフが一人いるだけで閑散としていた。

 受付の女性に声をかけると、かたかたとパソコンを操作して少し待機するように言われる。

「赤崎は怖くないのか?」

「怖い? どうして?」

「だって死にそうになったんだぞ? もし俺が助けに行かなかったらあのまま時間の狭間で死んでた」

 俺にとっては当然の質問をしたつもりだったが、愛奈は何を言われてるか分からないという様子で首を傾ける。

「別に怖くないわ。事故なんて滅多に起こらないし運が悪かっただけじゃない。自分が運転せずに乗ってる車が事故したからって車に乗れない、ってならないのと一緒でしょ? 気にしてたらキリがないわよ」

 本心からの答えに俺は感心した。

 彼女の言う通り事故自体は不運な出来事だ。しかしその事故によって俺は両親を失い、俺自身も死にかけた。一度そういったことが起こった以上、また同じようなことが起こる可能性はゼロじゃない。事実、二度目は起こった。もし俺がもう一度事故に遭ったら次こそ死んでしまうかもしれない。 そう考えると時間旅行が怖くなった。学校の修学旅行で時間旅行だったときは仮病を使って休んだりもした。未来に行ってみたいという好奇心もなくなってしまった。

 それなのに愛奈にはそんな素振りがない。どうして死にそうな思いをしたはずなのにそんな考えができるのだろうか。

 ──赤崎は強いな……

 自分の死を回避するために運命に立ち向かおうとする姿勢も含めて、どんなことにも立ち向かい、リスクをリスクだと思わない強さがある。それは俺にはないもので、愛奈の姿まぶしく見えた。

「それよりどうしてあなたが時間の狭間なんてところに来れたのかが知りたいんだけど?」

「ま、そうなるよな……」

 時間の狭間は従来、時間旅行以外で人間が意図して立ち入ることはできない。それは時間旅行を経営する会社の人間でも同じだ。なぜ俺がそこへ入れるようになった経緯を説明しても構わないが、誰にも理解してもらえないだろう。返ってくるのは痛い奴を見る侮蔑の眼差しか、病院への推薦だろう。それに俺だって細かくは分かっていない。

「ちょっとワケありで……」

「ちょっとやそっとのワケで時間の狭間に行けるようになったりしないと思うけど?」

「それはそうなんだけど……」

 詮索の目を向けられるがこればっかりはしかたがない。その時が来たら包み隠さず話す機会があるかもしれないが、少なくともそれは今ではない。

 どうやってこの場を凌ごうかと考えている、愛奈は俺から視線を外した。

「別に言えないなら言わなくていい」

 お許しが出て思わず安堵の息をついた。

「私よりもさ、あなたの方が大丈夫じゃないんじゃない?」

「え?」

「手、さっきからずっと震えてる」

 指をさされて視線を落としてみると、指摘された通り俺の手が小刻みに震えていた。

 自分でも自覚しない現象に困惑する。

「その、私のために無理させてごめん」

 悲しそうに目を伏せられると俺の方まで罪悪感を抱いてしまう。

「赤崎が気にすることじゃない」

 いくら時間旅行が身近な存在とはいえ、未来に行かずとも日常生活には何の問題もない。ずっと避けて今後の人生を送ることもできる。ただ、いつかは克服したいとは考えていた。ずっと過去の呪縛を背負ったままにするよりは、すっきりした状態で過ごしていきたい。

ただ、時間旅行をするとなるとどうしても事故の映像が脳をよぎる。

 最初は平穏だった虚無の無重力空間で突如起こった振動と轟音。雷の光のような閃光が絶え間なく走る嵐のような時間。何度思い出しても恐怖で動悸がする。

「無理して未来へ行かなくても、別の方法を探すのだってまだ遅くないわ」

「大丈夫だよ」

 気遣ってくれる言葉は嬉しかったが、自分から言い出した手前、ここまで来ておいてやっぱりやめるとはとても言えない。これは赤崎の命に係わる問題だし、過去の記憶を払拭するという俺自身の問題でもある。

「白瀬さん、お待たせしました」

 受付の女性に呼ばれて立ち上がる。

「いよいよね」

 愛奈も気合十分といった様子だ。

 今から奥の部屋に通され、タイムマシンのようなカプセルに入れられるとあの時間の狭間を経由することになる。そう思うと体がすくんで動かない。自分では前に進もうと意識しているのに、まるで感覚神経と運動神経が切り離されているような感覚だ。

「行かないの?」

 先に進もうとした愛奈が振り向いて聞いてくる。

 行きたい気持ちはやまやまだが、地面ついた足が動いてくれない。

 先ほどの会話の流れから俺の様子を察してくれた愛奈が俺のもとに戻ってくる。

「やっぱり怖いんでしょ?」

 茶化すようなものではなく、純粋に俺を気遣っての言葉。彼女の優しさが俺を罪悪感に駆り立てる。

「ごめん、すぐに行く──」

 唐突に愛奈が両手で俺の手を包み込んだ。見た目以上に小さくやわらかで、それでいて温もりを感じる。

「なんでか知らないけど、こうすると落ち着くでしょ? 私も小さい頃にこうしてもらってた気がするの」

 両親がいなくなって以来、他人との関わりをあまり持たなかった。夢亜の家族と過ごす期間も家族ではなく、居候いそうろうをしているような感覚にしかなれなかった。こうして人肌に触れたのはいつ以来だろうか。小さいころはよく母に手を握ってもらっていた気がする。その両親はもういない。

 温かな時間を思い出す反面、両親がいなくなった淋しさも思い出す。

 空の上から見てる両親に、一人でも大丈夫だと言えるようにしたい。それが両親への感謝だと思うから。

 いつの間にか体の震えはなくなっていた。

「ありがとう、落ち着いた」

「そう、ならよかったわ」

 愛奈は手を離すと当然だが人の温もりも消えていく。懐かしい記憶を呼び起こしてくれたおかげで落ち着くことができた。

「白瀬さん、どうかしましたか?」

 受付の女性から声をかけられたことに疑問を抱いたが、すぐにその正体に気が付いた。女性は既に時間旅行者である愛奈のことを認識できていない。だから俺がずっと独り言を言っているように思えたのだろう。当然と言えば当然だが、愛奈と接しているとどうしても彼女が他の人に認識できないことを忘れてしまう。

「行こうか」

 俺は今度こそ足を動かして受付の女性の後についた。

 奥の部屋に入ると、愛奈を救出する際にここへ侵入したときよりも部屋の中にあった謎の機材たちはきれいに撤去されていた。きっと事故の影響だろう。そのせいで中央にあるカプセルが不気味に見える。

「では、これを着けてください」

 渡されたのは翡翠にペンダント。愛奈が身に着けているものと同様のものだが、その数は一つだけ。

「あの、もう一個──」

 愛奈に腕を掴まれて言葉を遮られた。そしてその必要はない、と目で強く訴えられる。

 ついつい出た失言に笑ってごまかしてペンダントを身に着ける。

 開かれたカプセルに二人で入るとカウントダウンが開始された。

 深呼吸をして緊張と不安で激しく脈打つ自分の鼓動を抑えつける。

 ──大丈夫。怖くない。

 自分に言い聞かせ、カウントがゼロになる瞬間を待った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る