第7話

「嘘つき!!!!」

 鳴り続けるクラクションと人々の悲鳴の中でも、石像のある入り口の方からその声がはっきりと聞こえた。

 声のした方を向けば、翡翠のペンダントをした愛奈が顔をぐちゃぐちゃにして走り去っていった。

 そこでようやく我に返った俺が恐る恐る視線を前に戻すと──



 目を剥いて頭から大量の血を流す愛奈あいなの姿があった──。


 だらりと投げ出された四肢はピクリともしない。離れた場所にはピンク色のポーチが投げ飛ばされていた。

 俺は呆然と見下ろすことしかできなかった。

 ナニコレ──?

 唯一浮かんだのは素朴な疑問。

 俺は何もしてない。殺すつもりなんてない。

 ナンデ──?

 どうしてこうなった? 何が起こった?

 そうだ、きっとまだ俺は夢でも見ているのだろう。そうに違いない。

 だから動けよ。動いてくれよ。もう十分驚いたからそろそろネタバラシをしてくれ。どっきりでしたって笑って立ってくれ。

 じゃなきゃおかしい。だって俺はまだ何もしていない。俺が何かしなければ愛奈は死なないはずだ。

 ──死。

 その単語が出てきた途端に胃液が逆流してきた。

 目の前に倒れているのが見知った人間の死体だということを意識させられ気分の悪さが増していく。

 我慢できなくなった俺は胃からこみあげてきたものを背後の茂みの中へ吐き出した。

 逆流してきたものを全て吐き出すと、口の中に酸っぱさが残る。しかしおかげで少し頭を冷やすことができた。

 改めて俺は倒れている少女の姿を見る。

 また気分が悪くなり口を押えるが、今度はすぐには目をそらさない。

 流血は頭部から広がっており、愛奈は確実に助からない。

 なぜこうなったのか。

 俺は少女の身体が飛ばされてきた方向に視線を向けると、バンパーからフロントガラスまでが大きく凹んでいるミニバンが公園の植木の中に突っ込んでいる。周りにはいつの間にか人だかりができており、尚も悲鳴を上げる人や、携帯で写真を撮る野次馬が群がっていた。愛奈の身体が飛んできた直前のクラクションや現状からして乗用車に跳ねられたのだろう。

 状況証拠は整っており、否定する要素はないのだが納得がいかない。

 愛奈の予言では俺が殺すことになっていた。未来を変えるためには俺と同じ時間を生きる愛奈をなんとか止めればいいと思っていた。

 何が違っていたのか。あるいは、どこかで間違えて未来を変えてしまったのだろうか。

 事故現場の周囲を見回して、もう一度状況を確認する。

 公園の入り口にはクラクションを鳴らし続けるぼこぼこの車。そこから離れて愛奈の死体が倒れている。頭から流血しているのは地面に叩きつけられたときの衝撃だ。そこから血だまりができていて、俺の足元には直前に拾い上げようとしたナイフが転がっている。

 ──ん?

 何かが引っ掛かり、愛奈の予言が脳裏に蘇る。


『私が見た夢に、あなたがいた。私が死んだ現場で地に濡れて見下ろすあなたの姿があったのよ! 近くにナイフだって落ちてた!』

つまり愛奈は、俺が目の前で倒れる少女を刺殺したと考えたようだ。しかし現実は今異なっている。


「そういうことかよ……!」

 俺はそのナイフを回収し、どこかへ走り去った彼女を追いかけた。



 公園へと向かう救急車とパトカーとすれ違いながら俺は愛奈の姿を探した。

残念ながら俺は、愛奈の行動範囲をほとんど知らない。もし俺の知っている場所以外に行かれたら見つけることはほぼ不可能になってくる。

 ダメ元で商店街の中を走り回ったみたが、愛奈の姿はない。

「ならどこだ?」

 愛奈と会った場所はさっきの公園、と自宅、それから時間の狭間だ。ただ、時間の狭間については愛奈の意識はなかったし、普通の人がいける場所ではない。となると、俺の分かる行先は俺の家しかない。

「頼むからいてくれよ……」

 祈る思いで俺は家へと向かった。

「はぁ、はぁ」

 勢いよく玄関を開け放つと、愛奈の靴が雑に脱ぎ捨てられていた。どうやらここに戻ってくれていたようだ。

 ひざに手をついて息を整えてから家に上がる。

 リビングには寄らず、まっすぐに俺の自室へと向かう。

「赤崎、入るぞ?」

 ノックをしても返事はなかったため、扉を開けて中に入る。

 愛奈はベッドの上で体育座りをして、顔を膝にうずくめていた。

 彼女のことを探して部屋に入ったが、悲嘆にくれる少女になんと声をかければいいのか分からなかった。

「その、悪かった」

 口から出たのは謝罪だった。だがすぐに後悔する。愛奈の未来を救えなかった今、俺の謝罪は陳腐なものにしかならない。

「なんで!? なんで私を殺したの!?」

 愛奈と目が合うと、いきなり歩み寄ってきて胸倉を掴み上げられる。

「殺さないって、救ってくれるって約束したわよね!?」

「ごめん……」

 俺は何も言い返すことができなかった。俺が直接手を下したわけではないが、守れなかったことは事実だ。救えるはずの命を救えなかったことが俺に重くのしかかる。

「謝罪なんて聞きたくない! なんで殺したの!? 教えて!」

「まて! 赤崎を殺したのは俺じゃない!」

「今更そんな言い逃れができると思ってるの?」

 愛奈は腰に手を当てると、拳銃を俺の額に当てがった。

「撃つとどうなるか、忘れたわけじゃないだろ?」

「私はもう救われないのよ? どうなろうと関係ない!」

 愛奈が見たという未来の光景は、殺された愛奈の近くに俺がいてその近くにナイフが落ちていたというシーンだけだ。だから事故の経緯を知らずに俺が殺したものだと思い込んでいる。

 ──厄介だな、これは。

 愛奈は頭に血が上っているせいで俺の言葉が届いていない。

「信じてくれ、君を殺したの俺じゃない。公園で車が突っ込んでいるのを見ただろ? 事故に巻き込まれたんだよ」

「言うだけなら何とでも言えるわ」

「俺は君を二回助けてる。時間の狭間で閉じ込められていた君を救出したり、時間警察からも庇ったよな? もし俺が君を殺すならそこで見捨てればよかっただけだろ?」

「それは……」

 愛奈に迷いが生じた瞬間を俺は見逃さなかった。

「それに、俺が赤崎を殺す理由もない。仮に本当に俺が殺したのなら現場検証や監視カメラの映像から俺は捕まるはずだ。少なくとも一週間、君が死ぬまでにその結果が分かるはずだ」

「うっ」

 銃を持った手から力が抜けていき、赤崎はその場に崩れ落ちた。

「私、どうしたらいいの……何をしても、どれだけ未来を変えようとしても一週間で死ぬって分かって、怖いわよ……」

 自分の身体を抱きしめるようにして震えて嗚咽を漏らし始めた。

 俺には彼女の心境は計り知れない。自分が死ぬ未来を知ってしまう経験なんてする人の方が非常に稀だ。実際にその境遇に立った人にしかその絶望は分からないだろう。

 だからこそ、約束を守れなかった罪悪感も大きい。

「私はもう一週間しか生きられない。嫌よ……そんなの嫌っ!」

 悲痛な叫びを聞いて俺も胸が痛くなるが、ある単語が引っ掛かった。

「一週間?」

「そうよ。私は一週間前から来たのよ。だから私の余命は一週間なの」

 軽く自嘲して見せる愛奈が強がっているのは一目瞭然だ。もしこれが重病だとしても、余命を宣告されてすぐに受け入れられる人は少ない。実際は病気でもなんでもない少女となればなおさらだ。

「でも、君がこのまま過去に戻ればもう一度チャンスはある」

「無理よ! 無理なの……未来が見えるようになってから、私は未来を変えられないか試したわ。けど、ダメだった。何度やっても結果は同じだった。どうやっても未来を変えられないの!」

 我を忘れた愛奈が感情のままに叫ぶ。

 かと思うと、突然ピンク色のポーチから拳銃を取り出した。そしてそれを震える手で自分の頭部に突き付ける。

「おい、何を」

「どうせ私はもうすぐ死ぬんだから、今死んだって同じよね……」

 引きつった笑みを見せながらも目は全く笑っていない。

 ──本気だ。

 悟ると同時に俺の身体は動いていた。

「やめろ!」

 身体を投げ出して腕を伸ばし、拳銃を持つ腕を払う。

 刹那、この部屋で二度目の発砲音が響いた。

 ガラスの割れる乾いた音が鳴り破片がバラバラを落ちていく。

 硝煙と火薬の匂いが立ち込め、静寂が訪れる。

 恐る恐る目を開けると、愛奈を押し倒す形になっていた。しかしそんな状況よりも彼女のきれいな顔に傷はついていない。無事、発射された弾丸で彼女の自傷行為は防げたようだ。

 安堵と同時に、自ら命を投げ出さそうとしたことに苛立ちを覚える。

「なにしてるんだよ!」

 俺が怒鳴ると、愛奈はゆっくり目を開いた。

「っ、その血……」

 言われて初めて、俺は額に熱を感じた。

 その部分に触れてみると、手には真っ赤な血が滴った。

「……ごめんなさい」

 気まずそうに謝罪した愛奈を見て俺は身体をどかした。

「大丈夫だ。気にしなくていい」

「でも!」

「傷は深くないしかすめただけだろ。簡単に手当てしとけば問題ない」

 部屋の引き出しから応急手当セットを取り出し、止血と簡易な応急処置を行う。

「それより、ちょっとは落ち着いたか?」

「おかげでちょっとは落ち着いたわ。ほんとにごめんなさい」

 言葉通り愛奈の目には少しだけ生気が戻っていることに胸をなでおろした。

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