第6話

 部屋の扉を軽く二度ノックする。

 返事はない。

 扉を開けて部屋の中の様子を見ると、愛奈はまだ気持ちよさそうに眠っていた。もともとあどけなさの残る顔つきだが、無防備な寝顔はさらに幼く見えた。

 そんな少女の姿で微笑ましい気持ちになり、俺はそっと扉を閉じる。

「さてと、そろそろ行きますか」

 シャツにデニムというラフな服装に着替えた俺は家を出た。

「寒っ……」

 朝の冷え込みに思わず体が震える。

 時刻は早朝6時。東の空には陽も出ていてすでに外は明るくなりつつあった。

 愛奈あいなの予言では事件はここから12時間以内に起こる。それまで俺は事件が起こるであろう公園で待機しなくてはならない。長丁場も十分予想されるため、集中力との戦いだ。

 土曜日の早朝ということだけあって、人と遭遇することなく公園にたどり着いた。

 昼すぎには遊びに来る人が増えてくるが、さすがにこの時間にいるのは犬の散歩やウォーキングをしているお年寄りぐらいのものだ。

「さて、どうするか」

 と言っても、俺にできることはここで待機し続け、この時間の愛奈が来るのを待ち続けることぐらいだ。

「しょうがないな」

 俺は三体の石像の少し奥のベンチに腰を下ろした。

 本当ならもう少し石像付近で待機したかったのだが、駐車場の出入り口にもなっていて座れるような場所はなかった。こればかりはやむを得ない。

「そういやあの子、相当気を張ってたんだろうな……」

 愛奈と初めて言葉を交わしたときから、彼女はずっと何かに追われているような必死さがあった。彼女の事情を知った今ではそれも仕方ないと納得できる。愛奈がどれだけ前から来たのかは聞くのを忘れていたが、自分の命が懸かってるとなれば誰だってそうなるだろう。自分でどうにかしよう、どうにかしないといけない。そう考えて行動したが、未来を変える手がかりは得られなかった。結果、どうしたらいいか分からなくなって頭が真っ白になっていたのだろう。

「まだ眠ってるかな?」

 昨日までずっと、まともに休めていないに違いない。今朝見た愛奈の気持ちよさそうな寝顔を見れば誰だって想像がつく。あの感じだとまだしばらくは眠ったままだろう。今日に限ってはそれでいい。

「俺だったら、どうするんだろうな……」

 もしたまたま時間旅行をした先で自分が死ぬ運命にあると知ったら、俺は何ができるだろう。

 ──分からないな。

 その仮定があまりに現実離れしすぎていて何も想像できない。なんとなく愛奈と同じように自分なりに必死にあがいて、救われる方法を探すと思う。それでも方法が見つからなかったら、俺は死を受け入れるだろうか。

 やっぱり答えは出ない。

 どうやっても変えられない運命だと知って絶望する可能性だってある。そう考えると最後まで自分の運命に足掻いた彼女は強い。ずっと頑張ったんだから、救われてもいいはずだ。そう思ったから俺はここにいるんだ。

 しかし俺の心中は複雑だった。愛奈が見た予知夢によれば彼女を殺した犯人は俺自身。自分が誰かを手にかけるなんてことを想像しただけでどうしようもなく怖い。今回俺が少女に協力したのは自分の未来を変えるためでもある。予知夢の中の罪を犯してしまった俺はきっと、何かしらのトラブルやアクシデントに巻き込まれたのだと信じたい。たとえそうだとしても、罪を犯していることに変わりはない。自分の手が汚れることを未然に防ぐためにも、今は集中しなくてはならない。

「ちょっとずつ人が増えてきたな……」

 散歩やランニングをする人も増えてきて、車通りも増えてきた。気を引き締めないといけないのはここからだ。

 俺は軽く息を吐き、公園の入り口をじっと見つめた。

 視界に入る一人一人に意識を向け、いつ愛奈が来ても対応できるように警戒する。しかし、通り過ぎていくのは汗を流す近隣住民だけでそれらしき人影は現れない。

 時間が経つにつれて、年齢層は広くなった。

 今日は公園でイベントでもあるのか、屋台の店主が機材を持って出入りしたり、ピクニックに来た家族が公園に入ったりと人通りも増えていった。

「ふわぁ……」

 大きなあくびをして、目をこする。

 さすがに朝が早かったせいか、瞼が重くなってきた。今は眠るまいと頬を叩いて目を覚ますが、陽も昇ってちょうどいい気温になったこともあってすぐにまた瞼が落ちかける。

 ──寝るわけにはいかない。俺と、赤崎の運命が懸かってるんだから……

 そうは思いつつも、重くなった瞼を持ち上げることが困難になり、いつの間にか意識が遠のいていった。

 耳の奥では、公園内から聞こえる楽し気な音頭や、訪れる来場者の喧騒が聞こえていた。


   ▼△


 カプセルの中で目を覚ますと、外の異変に気付いた。

 よく見えないが人が慌てているのが伝わってくる。

 外で何が起こってるんだろうか。

 中から扉を押すと簡単に開いた。

 暗い空間にずっといたせいか、カプセルの外の部屋の明るさに目がくらむ。

 目が慣れてくると、部屋を出て通路に出た。

「急いで!」

「こっちだ! 早く!」

 目の前を大人たちが大慌てで走っていく。

 どうしたんだろう、と疑問に思いながらも俺は大人たちの走ってきた方へ足を進めた。

「君、こっちに来ちゃだめだ。今はおとなしくしていなさい、いいね?」

 途中すれ違った男性職員が注意してきたが、余裕がないのかすぐにどこかへ走り去っていく。

 でも俺はまっすぐ進んだ。

 この先で起こっていることに嫌な予感がするが、それでも行かなければならない気がしたのだ。

 やがて一つの扉の前に行き着いた。耳を澄ませば中から人の声がする。騒動の中心がここであることは間違いない。

息をのんで扉を開き、中に入る。

 部屋の中心に何かを囲むように職員たちが集まっていた。

「翔人……」

 名前を呼ばれて振り向けば、大人たちからは離れたところに夢亜ゆめあが座り込んでいた。

「わたし、わたし……!」

 俺の顔を見た途端に夢亜が嗚咽を漏らし始める。

 幼馴染の悲嘆に沈む姿を見て身を構えるも、それでも足は止まらなかった。

 白衣を着た職員たちを押しのけるようにして、強引に俺は中へと入った。

 しかし、それ以上は身体が動かなかった。

「父さん……母さん……」

 両親が目を閉じて横たわっている。これまですれ違ってきた職員たちの様子からして、二人の心臓が止まっていることは容易に想像がついた。二人の職員が心臓マッサージで心肺蘇生を試みているが、二人が動き出す気配はない。

「うそだ……父さん! 母さん!」

 いつもなら、そんな大声ださないの、と呆れながら注意する母も、どうした? と意地の悪い笑みを見せる父も、一向に反応してくれない。

「なんで! なんでなんだよ……!」

 なんとなく予想できていたとはいえ、両親の動かない姿を目の当たりにすると呆然と立ち尽くすしかできなかった。

「ちょっと君、こっちにいなさい」

 俺に気付いた職員の一人が俺を抱え上げ、強引に夢亜の隣に移動させた。けれど俺はそんなことを気にする余裕がなかった。

 ──なんで父さんと母さんが死ぬんだよ。なんでこんなことになるんだよ……

 すぐに救急車が到着し、駆け付けた救急隊によって両親は病院に搬送された。残された俺は何も考えることができず、職員たちによって家へ帰されるまで動くこともできなかった。



「ん、んん……」

 瞼を持ち上げると、太鼓や囃子の音が耳に届く。俺が座っているベンチの近くには屋台も完成しており、人の列もできていた。いつの間に眠ってしまっていたらしい。

「それにしても懐かしい夢を見たな」

 病院に搬送された後、すぐに俺に両親の死亡宣告がされた。俺は両親を失った喪失感で何も考えられず、その後どうしたのかは細かいところまで覚えてない。

 この一連の出来事はのちに、時間旅行中の事故だったと説明され謝罪もされた。夢亜の両親はというと、微妙なタイムラグによって先に未来に到着していて事故には巻き込まれなかったらしい。未来に着いてからすぐに俺たちが事故に巻き込まれたことを聞き返してとんぼ返りしてくれたようだ。両親を失って何も考えられなくなっていた俺は、夢亜の家族に引き取られることになったのだ。

 事故のことはテレビでも大々的に報道された。当時はまだ時間旅行ができるようになって間もないころで、世間に大きな影響を与えた。

「けど、なんで今更あの夢を?」

 過去の事故のことと、両親の死のことは受け入れ、乗り越えた過去だ。小学生のころは毎日のように事故のことを夢に見てうなされていた。月日が経ち、高校に中学になじみ始めた頃からは一度も事故の夢を見ることはなくなっていた。それなのにどうして今さら懐かしい夢を見てしまったのだろう。

 ──まあ、赤崎だろうな。

 俺の生活の変化で言えばそれしかない。俺同様に時間旅行に出向く途中で事故に遭った不運な少女。彼女を助け、関わることで過去の事故を連想させる何かがあったのかもしれない。

「って、赤崎は!?」

 懐かしく、悲しい過去に浸っていた俺だったが、愛奈の名前が出たところで自分の使命を思い出した。

 慌てて公園の入り口に視線を向ける。

 今は公園に入ってくる人は少なく、愛奈の姿がまだないことは一目でわかった。事故や事件の跡もない。

「よかった……」

 心から安堵して脱力する。

 携帯を取り出して時刻を確認すると、ちょうどお昼を過ぎたところだった。幸い長時間寝落ちしてしまっていたわけではないようだ。

 安心したせいか、あるいは昼時だからか、不意に空腹を意識した。公園のなかでも屋台が出ており、美味しそうな匂いが風に乗ってやってくる。

「俺もそろそろ昼にするか」

 昨日の夜に作っておいたおにぎりを鞄の中から取り出す。

 ころん、と鞄の中から何かが転がった。

「ん?」

 おにぎりと一緒に何かが出てしまったようで、俺は堕ちたものを確認する。

「これは……」

 落ちていたのは小さな果物ナイフだった。昨日一度家に帰ってきたときにとりあえずで鞄にいれておいたのをそのままにしてしまっていたらしい。

 刃物をここに持ってきていると不審がられるため、急いで拾いあげようとした刹那、大音量のクラクションが鳴り響いた。

 直後、目の前に重たいものが落ちる音がして俺の視界が赤く染まった。

「……は?」

 突然のことに何が起こったのか理解できなかった。

 頭が真っ白になり、世界の時間が止まる。

 眼前では赤い液体が溢れて地面を濡らしていく。

「嘘つき!!!!」

 鳴り続けるクラクションと人々の悲鳴の中でも、石像のある入り口の方からその声がはっきりと聞こえた。

 声のした方を向けば、翡翠のペンダントをした愛奈が顔をぐちゃぐちゃにして走り去っていった。

 そこでようやく我に返った俺が恐る恐る視線を前に戻すと──








 目を剥いて頭から大量の血を流す愛奈の姿があった──。

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