第5話

 食事中は特にアクシデントもなく、無事に済ませられた俺は少しだけ寄り道をすることにした。別段理由はないが、強いて言うなら気分転換だ。

 明るい商店街を引き返し、アーケードの入り口まで戻る。そこから来た道を引き返すのではなく反対方向へと進む。

「ほんと、ひどい一日だったな」

 立て続けに起こった不幸を思い返しながら俺は一人ごちた。

 どうしようもなく不運だったという一言でしか言えないものもあれば、俺自身の不注意で起こったこともある。けれど、それら全ては必然的にそうなる運命だった気がする。

 何より気になるのは少女の予言。

 今日の俺がこうなることを事前に知っていたのか、あるいは少女の予言によって未来が変わってしまったのか。

 前者であれば何も信じられなくなるため、個人的には後者であってほしいと思う。けれど現実的に考えて可能性があるのは前者だ。誰もが未来へ行ける以上、現に未来を知る術は存在しているのだ。

「こんなことを考えるのはやめよう。嫌になる」

 頭を振って思考を打ち切った。気分転換のために寄り道をしているのに思い返していては本末転倒だ。

 国道に沿って歩くと、直に広い公園が見えてきた。公園といっても子供が遊ぶ遊具があるわけではなく、憩いをメインにした自然公園だ。

 一周2キロの散歩コースの周りには、桜の木が植えられコスモス畑もある。今年は既に葉桜となってしまった、ライトアップされて見栄えよく演出されている。広い国道に面した場所ということもあり、日中なら車の走行音も聞こえて来たりするが、交通量の少ない夜は静かで落ち着ける。

 公園の敷地に入った俺を出迎えてくれたのは三体の銅像だ。絵画などでよく見る天使のから羽根をなくしたような姿の女性たち。それぞれ右、正面、左を向いている。一見なんの像か割らなかったが、台座に書かれている名前を見て合点がいく。

「ウルズ、ヴェルザンディ、スクルドか」

 ちょうど今日の最後の授業で聞いた名前だ。過去、現在、未来をそれぞれ司る女神で、時間旅行のできる現在にはなくてはならない象徴。そして信仰すべき存在。

 信仰心とは個人の認識や考え方によって生じるもので、本来誰かに価値観を強制すべきものではない。当然俺のように興味を持たない人間がいたって問題ないはずだが、現代においては少数派な気がする。敷地の広い公園の入り口に大きな像を作っているのがまさにその表れだろう。

 俺は石像の前を通過し、もう少し自然に囲まれた場所を目指す。

 公園の中を歩くとすぐに石像は見えなくなり、ライトアップされた葉桜に囲まれたスペースがあった。

「ここならいいか」

 花見用に設置されたベンチを見つけて歩み寄る。

 すると、思いがけぬ先客がいた。

「あいつ……」

 制服姿のままベンチに座り、力なく少女は俯いていた。

「どうした?」

 声をかけると、少女はゆっくり顔を上げた。その顔に生気が宿っておらず、何度か言葉を交わした少女の姿とはまるで違っていた。

「あなた……」

「こんなところで何して──」

「私を助けて!」

「!?」

 少女は勢いよく立ち上がり、唐突に俺の胸倉を掴み上げた。

「ねぇ、お願いだから! お願いだから私を助けてよ! 私はどうすればいいの!? どうしたら助かるの!? 教えなさいよ!」

 ものすごい剣幕で顔を近づけ、声を荒げる少女の姿に俺は困惑するしかなかった。

 これまでも何かに必死だという印象を受けてはいたが、今日の彼女は極限まで何かに追い込まれていた。

「どうしたんだ? とりあえず落ち着け」

「嫌よ! 私はまだ死にたくない! 死にたくないの!」

「だから落ち着けって!」

「死ぬのは怖い! 私はまだ生きたいの!」

「いいから落ち着け!」

 俺が少女の肩を強く掴むと少女の手から力が抜けていき、そのまま地面に崩れ落ちた。

 脱力しきった彼女は喪失感に駆られたかのように呆然としている。

「何かあったのか?」

 返事はなかったが、少女が俺の袖を掴んできた。いつもなら不快感や不信感を抱くところだが、少女の力は弱く震えていてとてもそんなことはできなかった。

「ちょっと座ろうか」

 無言で少女は頷いた。

 手を軽く引いて少女の身体を起こし、二人でベンチに座る。

「ちょっとは落ち着いたか?」

 少女はまだ小さく俯いたまま頷いた。

「一体何があった?」

「……」

 すぐに少女からの回答は得られなかった。けれど俺はせかさずに少女の言葉を待った。

「……し……ぬの」

「えっ?」

「私、明日死ぬの」

「……えっ?」

 今度は聞こえなかったわけではなく、すぐにその言葉の意味が飲み込めなかったのだ。

「どういうことだ?」

「そのままの意味よ。私は明日死ぬ……」

 またそんな急な話を、と疑いたくなったが少女の消え入りそうな声を聞くととても冗談だと笑い飛ばせなかった。

「なんでそんなことが分かるんだ?」

「……私には、未来が見れるから」

「……? 別に君に限らず誰でも未来を知れるだろ」

「そうだけどそうじゃないのよ! 私は、夢を見るのよ。その夢は必ず現実になる」

 彼女が言っているのは予知夢というやつだろう。しかし現実に予知夢の存在は明確になっていない。脳が未来を予測することは可能だとはされているが、せいぜい短時間後のものに限られる。もし少女の言っていることが事実だとしたらそれは世紀の大発見だ。

「いきなりこんなこと言っても信じてもらえないわよね。分かってる。けど、これが事実なの。あなただって、今日でわかったでしょ?」

 そこを突かれると俺は何も言い返せなかった。昨日少女からよくないことが起こる宣言を初戦捨て台詞だと思って聞き流した。しかし今朝からずっと立て続けにトラブルやアクシデントが発生し、彼女の言葉は現実となった。もしかしたら未来が分かっているのかもしれないとは考えたが、面と向かってそう告げられるとなかなか現実味が沸かなかった。

「一週間前、私は自分が死ぬ夢を見たの。私の経験上、この夢は現実になる。怖いよ。死ぬのは怖いよ……」

 少女は自分を抱きしめて小さくなり、震えていた。

「なるほどな。君が未来から来たのはそういうことか」

「信じて、くれるの?」

「正直よく分からないけど、その力を実際に体験したんだから信じるしかないだろ」

「ありがと……」

 昨日までの勝気な態度と裏腹に、素直に礼を言われるとなんだかこっちまで照れ臭くなってくる。ただそれは、少女がそれだけ弱っていることの裏返し。

「それで、どうしたらその未来が回避できるんだ? そこまで見えなかったのか?」

「あなたを殺せばいい」

「……はっ?」

「私は明日、あなたに殺されるのよ。だからあなたを殺せば私は助かる」

 何を言ってるのだろう。俺はこの少女を殺す? どう考えてもあり得ない。確かに彼女とはあまり関わらないようにしようとは考えたが、別に殺そうと思うほど嫌ったわけではない。そもそも俺が人殺しなってするわけがない。

「待て待て待て待て! 俺が人を殺すわけないだろ? 人をからかうのいい加減にしろ」

「私がからかっているように見えるの?」

 顔を上げた少女の目には憎悪が浮かんでいた。わずかに濡れていて赤く腫れた目が鋭く俺を射抜く。

「私が見た夢に、あなたがいた。私が死んだ現場で地に濡れて見下ろすあなたの姿があったのよ! 近くにナイフだって落ちてた! だから私はあなたを殺そうとした。そのために銃まで隠し持って未来に来たの。でも、失敗したわ。だから今度はナイフを手に入れて殺そうとした。結局それも失敗したんだけど……しょうがないから他の方法を探そうと頑張ったけど、見当たらなかった。ほんと、情けないわね……」

 ベンチの背もたれに体重を預け、雲に覆われた夜空を見上げながら少女は自嘲した。その目尻から一筋の光が零れ落ちる。

 にわかに信じがたい話だが、これで一昨日からの彼女の行動に筋が通った。自分のことを救うために単身で未来に来た。俺を殺そうとやけに執着していたのも、今の内容が理由なのだろう。

 出会ってからずっと感じ取ることができず、気になっていた彼女の真意。それがようやく本人の口から明かされた。

 けど俺はどうすればいい? 仮に彼女の言うことが本当だとしても、俺だってまだ死にたくない。本当に俺が彼女の殺すのか?

 何度考えても信じられない。

「ちなみに、場所や時間は分かるか?」

「うん……すぐそこ。時間までは分からないわ。ただ、明るい時間だった」

 指さされた先はこの公園の入り口の方だ。

 この公園は自宅から商店街までの経路としては外れている。用がなければ来ない場所だ。

 リミットは明日。それはもう間違いないだろう。どういう仕組みかしらないが、少女が見たのは未来だというのは俺の中で確信に変わってきている

「なら今日はうちに来いよ。それなら安全だろ。ずっと家にいれば君が死ぬ心配はない」

「それじゃ、ダメなのよ……死ぬのはこの私じゃなく、未来の、つまりこの時間の私」

「そういやそっか」

 今俺の隣に座る少女は未来の自分を救うために過去から来ている。つまり、明日死ぬのは隣で途方に暮れる彼女ではなく、俺と同じ『今』生きる彼女なのだ。しかし、残念ながら俺は今の時間で一度もこの少女と顔を合わせたことがない他人だ。どこで何をしているのかも知らなければ接触方法もない。加えて、彼女の情報だけではあまりに情報不足だ。明るい時間というだけでも4月なら12時間はある。それに現場の状況やそうなった経緯すら不明だ。

 面倒ごとには極力関わらない主義だ。今回だって関わる気はなかった。しかし、今の彼女からは昔の俺と同じような雰囲気がした。だからこそ、どこか放っておけないのだ。

 ──結局、深く足を突っ込んでるな……

 心の中で俺は自嘲したが、後悔はない。何せ少女曰く俺は犯人なのだ。当事者である以上傍観するわけにはいかない。

 ──それに、誰かを失う辛さは俺も知ってるからな。

 失うのが自分自身となればさらに辛いだろう。だからこの少女に手を差し伸べることを決めた。俺にできることは限られているし、はっきり言って救える保証はない。それでも少女の力になりたいと思った。

「なら明日は俺がここにいて君を助ける。絶対に殺したりはしない」

「……ほんとに?」

「あぁ、約束する。必ず君を助ける。だから今日はうちに来るといい。その方が落ち着けるだろ?」

「分かったわ。じゃあお言葉に甘えさせてもらうわ」

「俺は白瀬翔人しらせかけひと。君は?」

赤崎あかさき愛奈あいな

「よろしくな、赤崎」

 初めて見た少女の微笑む姿は純真で可憐なものだった。

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