第3話

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 翌日、俺が登校するとそれはもうこっぴどく怒られた。

 ようやくその長い説教からも解放され、教室に戻ってきたのだが。しかも、ボイコットした五時間目と六時間目の担当教師、さらには担任教師から順番に一人ずつ生徒指導室に呼び出されるという苦行。加えて昼休み返上。それならせめて生徒指導室にカツ丼でも用意してくれ。

「はぁあああああ。疲れた……」

 放課後の最後の呼び出しから解放され、俺はぐったりと机の上で干からびる。

「お疲れさま。昨日は一体どこに行ってたの?」

 教室で俺を待ってくれていた夢亜ゆめあがねぎらってくれた。もしかしたら女神様かもしれない。

「まあ、ちょっと野暮用かな」

 口調からして俺がトイレに行くと言っていたのは嘘だとばれているため、適当にはぐらかしておく。さすがに午後からずっとボイコットしていればトイレじゃないことくらいは誰でも嘘だと分かるか。

「別に何してたかは聞かないけど、サボりもほどほどにしときなよ?」

「わかってるよ」

「ほんとかなぁ」

 訝しむような口ぶりだが、内心では何とも思っていないただのおせっかいだと感じ取れる。幼いころからの付き合いということだけあって本当によく分かってくれている。

「そういやさ、昨日の揺れあったでしょ?」

「うん? そうだな」

「あれさ、時間旅行中の事故だったらしいよ? 今朝のニュースはどの局もそのことでもちきりだったよ」

「やっぱりか」

「あれ? もしかして翔人もニュース見た?」

 俺の反応が予想外だったのか、夢亜はきょとんとした

「いや、見てないけど。なんとなく予想はついてたから」

 揺れと轟音の異常さから普通の地震ではなく、時間旅行の事故に起因するものだということはすぐに確信した。だからこそすぐに被害者を助けるために学校を抜け出したのだが、その件については伏せておく。

「怖いよね、ほんとに」

「そうだな……」

 時間旅行は一般人でも手軽に利用できるサービスだ。全年齢に普及しているため、事故が起こった時の反響もそれだけ大きいのは当然だ。

「こういうの、なくなってくれないかなぁ……」

 会話はそれ以上広がらず、気まずい沈黙が流れる。

 自分がその空気を作ってしまったことに罪悪感を抱いたのか、夢亜がすぐに笑いながら話題を変えてくれた。

「さ、あんまり学校でゆっくりしてるのもあれだし、もう帰ろっか」

「そうだな」


 靴を履き替えて外に出たときには、日は沈みかけていた。日中温かかった空気も今はひんやりと肌寒い。

 夢亜が買い物して帰りたいということで、通学路から抜けて近くの商店街に入った。

 地域で一番の商店街ということもあり、通りは活気づいていてた。夕飯の買い物にきた主婦や、学校帰りで遊びにきた中高生、仕事終わりにこれから一杯というサラリーマン。その人たちをターゲットにして客引きをする店員。それから……

 買い物をしている夢亜を店の外で待っている俺は、首から翡翠のペンダントをかけている人を多く見かけた。多少形や大きさに違いはあるが、昼間に助けた少女と同様のものだ。

 ペンダントをつけた女子高生たちが買ったクレープを通りの真ん中で談笑しながら食べている。人通りの多い時間を考えればどう考えても邪魔だ。しかし道行く人たちは、女子高生の存在を認識していないかのように何の反応も示さない。

 しばらく観察していたが、結局女子高生たちが食べ終わって移動するまで一度も邪魔だと非難されることはなかった。

「ごめんね、待たせちゃった」

 店から出てきた夢亜に声を掛けられて俺は我に返った。

 彼女の手には大きな買い物袋がそれぞれの手に提げられていて重そうだ。

「そんなに何を買ったんだ?」

「こっちは夕飯と明日のお弁当の材料でしょ? でこっちは料理の試作用の材料」

「ほんとに夢亜は料理が好きだな」

「まあね。自分で思った味に仕上がった時とか、それを食べるときとか、楽しいよ?」

「別に俺はそこまで拘ろうとは思わないな……」

 料理は食べられれば何でもいい。一応簡単には料理はするが、それはあくまでお金を節約するためであって、コンビニ弁当だろうが何だろうが気にしない。

「翔人はそうだろうと思ったけどね。でも栄養はバランスよく摂っとかないとダメだよ?」

「はいはい、分かりました」

「すぐそうやって話を流そうとするぅ」

「悪かったな。ほら、もう帰るぞ」

 踵を返して帰路につこうとするが、夢亜が付いてくる気配がない。気になって振り返ると、ふくれっ面になった夢亜がじっと見ていた。

「どうした?」

「そこは荷物を持ってくれるとかする場面でしょ?」

「なんでそんな重そうなものをわざわざ持たないといけないんだ……」

「うわ、ひどっ! そんなことしてるといつまで経っても彼女はできないよ!」

「童貞で悪かったな」

 やっと歩き始めたと思ったが、道中でも散々文句を言われ、結局俺は袋の片方を持たされる羽目になった。

 この一連のやりとりが終わって少しすると、夢亜が話しかけてきた。

「そういや翔人かけひと

「ん?」

「さっきは何をしてたの?」

「さっき?」

「私が買い物終わった時、なんかぼーっとしてたじゃん」

「ん? いや、ただクレープが美味しそうだなって思ってただけ」

「食べなかったの?」

「ここでお金を使い始めると溶けるのが一瞬だからな」

「たまにはいいんじゃない?」

「だめだめ」

「そういうところは自分に厳しいよね」

 お金は大事だ。世の中お金があれば大抵のことはなんとかなる。節約しておいた方がいい。

「ま、翔人らしくていいけどね。それじゃ私はこっちだから」

「ああ、気をつけてな」

「うん、ありがとう」

 持っていた買い物袋を返し、幼馴染の背中を見送ってから俺も歩き始める。

 完全に陽が沈み、満月が夜の住宅街を照らしている。空に雲は一つもなく、明日もいい天気になりそうだ。道の両端では街灯が点っており、そこに虫が集って飛んでいる。

 まだ夜は冷え込み、制服のブレザーがあってちょうどいい気温だ。

 夢亜と分かれてから一人になると、自宅まで無心で帰ってきた。この後は家でひたすらくつろぐ。それが俺にとっての至福の時で楽しみだったのだが、家の前の壁に背中を預けて立っている人物がいた。

「うちに何か用か?」

「あ、やっと帰ってきた」

 声の主は俺の姿を見つけるとこちらに寄ってきて、暗闇の中からその姿を晒す。

「ちょっといいかしら?」

 苛立ち気味に突っかかってきたのは、昨日時間の狭間で助けてあげたにも関わらず銃を突き付け、発砲までしてきた恩知らずな少女だった。

「ならまずそれを捨てろよ」

 少女は手を後ろに組んでそれを隠しているが、街灯が反射して見え見えだ。

「昨日のことを忘れたか? 今回も君をかばう保証はないぞ?」

「くっ……!」

 悔しそうに唇を噛みしめながら、少女は後ろに隠し持っていたものを手放した。からん、と乾いた音を立ててナイフが地面を弾む。

「物騒なものを持って、それがばれただけでもやばいぞ?」

「分かってる、分かってるわよ! けど、こっちだって余裕がないの!」

 近所迷惑も憚らず声を荒げる彼女には焦りが見えた。昨日も感じたことだが、彼女にはそれをしなければならない理由があるのだろう。

「なんでそんなに俺を殺そうとするんだ。何かに追われるような感じで必死だけど、罪を犯してまでしなければならないことか?」

「それは言わない。けど、あなたの察してる通り、私はこの時間で成し遂げなければならないことがある」

「そうか、頑張れよ」

 これ以上ここで話していても何も会話は進展しないと判断し、俺は少女の前を通り過ぎて家に入る。

 なぜ俺の命が狙われるようなことになるのか全く心当たりがない。誰かの恨みを買った記憶もなければ、妬まれるようなこともしていない。ましてや俺は交友関係がほぼ皆無だからな。ははは。はぁ……

 どうせ何かの間違いだろうが、少女が何も語ってくれないのなら協力もできない。俺にはどうすることもできないのだ。

「ちょっと待って!」

 ドアを閉めかけた直前になって、少女が慌てて俺を呼び止めた。特に話すことはないのだが、これ以上何があるというのか。

「ねぇ、あなたは私が見えてるのよね?」

「当たり前だろ。じゃなきゃ会話できてない」

「どういうこと? 普通なら時間旅行者はその時間の人からは認識できないはずよ? けどあなたは私のことを見るだけじゃなくて認識もしてる。さっきだってあなたから私に声をかけてきた。どう考えても普通じゃない」

 なんかひどい言われようだが、俺が普通じゃないのは間違っていない。

 この少女が言った通り、時間旅行者はその時間を生きる人には認識できない。それは一つの時間に同一人物は二人存在しないという世の理を守るためだ。量子力学の世界では、「この世のものは実際に見るまで存在が確定しない」ということを意味する非実在性というものがあるらしい。それに則り、時間旅行によって同一時間に同一人物が二人いたとしても、両者の存在が同時に観測されなければ同一人物として認識されないというわけだ。

 この少女と俺のように、時間旅行者がその時間に住む人に話しかけるとどうなるか。結論から言うと、会話はできる。しかし、時間旅行者の存在が認識されないため、その時間に住む人は無意識のうちに時間旅行者と会話が成り立っているというわけだ。商店街で時間旅行者の女子高生がクレープを買っていたのも、道の真ん中で食べて何も言われなかったのも、つまりはそういうことだ。改めて考えるとちょっと怖い。

「そうだな、俺には時間旅行者が認識できる」

「だったらお願い! 私に協力して!」

「断る」

「っ!?」

少女が目を開くのが暗闇でも見えた。

「考えてみろ、君は俺を殺そうとした。そんな相手と協力なんてできるわけがないだろ。後ろから刺されたらたまったものじゃない」

「それは……」

「それに、協力することで俺に得られるメリットがない。悪いが俺は面倒ごとが嫌いだ。他をあたってくれ」

 露骨に俯き肩を落とす。罪悪感にも苛まれたが、相手は俺が助けてやった恩をあだで返してくる人間だ。そんな相手にどう協力しろというのか。何かメリットがあるのなら話は変わってくるが、説明をしてもらえないんじゃどうするかを選択することもできない。

「なら、昨日助けてもらったお礼もかねていいことを教えてあげる。あなた、明日は一日気をつけることね。よくないことが起こるわ」

なんだそりゃ。

それだけ言うと、少女はそれじゃあね、と言い残して身を翻した。

「捨て台詞を吐くならせめてもう少し具体性を持たせろよな」

 よくないこと、なんて抽象的な表現では何がどうなるのかまるで分からない。しかし捨て台詞。未来のことなんて分からない、とは言い切れないのが今のご時世だが、彼女は未来に寄り道をせずにこの時間に来ているような口ぶりだった。決して今よりも未来に時間旅行をしていたわけではないだろう。気にするだけ時間と労力の無駄だ。

「結局あいつは何をしに来たんだ?」

 最後まで何を考えているかは読み取ることができなかった。少女はどうやら感情が顔に出やすい性質たちだったから分かりやすい部分があったが、その奥の部分が感じ取れなかったのだ。普段ならそんなことはないのだが、相手が時間旅行者だからか? 

 俺は落ち込みなが帰っていく少女の姿を横目で見つめた。

 原因は分からないが、少し気になるな。

「そういや名前聞いてなかった」

 まあいいだろう。こっちから関わる気はないし何の問題もない。そんなことより早く部屋でくつろごう。せっかくの時間がもったいない。

 頭の中をきれいさっぱり切り変えて家に入った。

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