林檎の木

錦月

「私はアップル!あなたに時間を巻き戻す能力を与えてあげる!」

そういって無邪気な笑顔を俺に向けてきた少女には、小さな羽が生えていた___。


『林檎の木』


2020。この数字は俺の弟にとって運命の数字だった。

俺の双子の弟。片割れ。優秀な弟だ。特にスポーツ面に関しては本当に優秀な成績を残していて、今年の夏にあるインターハイに向けて死ぬほど練習していた。俺は、そんな弟のことが大好きだったし、自慢だった。でも、弟の最後のインターハイはなくなった。そう、なくなったのだ。コロナウイルスというウイルスにより、なくなった。弟が死ぬほど練習したその日々がすべて無駄になった。弟は悲しんでいた。食事も喉を通らず、睡眠もろくにとっていない。疲れ切って、それでも俺に「大丈夫だよ」と引きつった笑顔を俺に向ける弟はとてもじゃないが見ていられなかった。俺は許せなかった。弟は優秀だ。インターハイに出場することができていれば、必ず優勝できていたはずなのに。こんな世界はおかしい。狂ってる。俺は世界が、運命が、神が許せなかった。俺は無宗教でそういうことには興味がない。それに神を信仰しているわけでもない。ただ恨む対象がなくて、なんとなくいると信じていた神という存在を恨まずにはいられなかった。ベットの上で考える。こんなときでも夜空は平等に綺麗で月光は眩しくて。変わらない宇宙がうらやましかった。

そのときだ。

「私はアップル!あなたに時間を巻き戻す能力を与えてあげる!」

少女が窓辺にいた。少女はまっすぐに俺を見つめる。綺麗な瞳はまるで翡翠のように透明な美しさを孕んでいて今すぐに目を離すことができなかった。背中には小さい綺麗な羽が生えていた。典型的な天使の姿だ。あと…少しだけ浮いてる。…俺はおかしくなったか。その天使は俺にしゃべりかけてくるが、どう考えても現実とは思えない。

「あー…、きっと疲れてるんだ。寝よう。」

夜も更けてきた。そろそろ眠くなってきたし、睡眠をとろう。私の仕事は研究なのだが、そのせいで最近は睡眠時間が少なくて疲れている。きっとそのせいだ、間違いない。早く寝よう。俺はベットが俺の体重に悲鳴を上げているのを無言で聞きながら、布団を目元までしっかりとかぶせた。

「え、ちょっと待ってよ!なんで、無視するの!?」

アップルはほとんど悲鳴のような声をあげて、俺から布団の取り上げてきた。こんなことができるなんて。どうやらこれは幻覚ではないらしい。たぶんだけど。

「えっと、ちょっとよくわからないんですけど。」

俺は純粋に彼女の言ったことの意味が分からなくて、問うた。

「さっき言った通りよ。あなたに時間を巻き戻す能力をあげるって言ってるの。この言葉の意味が分からないって程、あなたがバカじゃないってことを信じたいんだけど。」

皮肉っぽく言われ少したじろいで、納得した。要するにこの子が言っていることは…やっぱり正気じゃないな。

「あ、いま私のこと頭がおかしい奴って思ったでしょ。わかるんだからね?」

少しムッとした顔をして、俺を睨んでくるがそれよりも近くで見るとさらにわかる人間とは思えないほどに(人間じゃないんだけど)白く、透明な綺麗な肌に見惚れてしまった。

「それより、私はあなたに時間を巻き戻す能力を与えてあげようと思ってる。私は、人間を救ってあげようかな~って思ってるの。そして、私はあなたを選んだ。これはあなたにとっても大きなチャンスよ。大切な弟をインターハイに出してあげる、さらには世界を救う、チャンス。


あなたはどうする?」

まっすぐに見据えてくる瞳は俺を貫くほどに強くて。体に穴が開きそうだった。にしても、こんな話おとぎ話じゃあるまいし、どう考えても信じられない。だけど、もし本当だったら?こんなチャンス、一生来ない。幻覚か、夢か。よくわからないけど俺は、

「夢でも現実でもどうでもいい。その話、のった。」



こうして俺は時間を巻き戻す能力を手に入れた。

アップルの話によると、この能力には制限があって巻き戻せる時間は半年。つまりは、新型コロナウイルス感染症が流行する少し前だ。

といっても、どうすれば・何をすればいいのかわからなくて、とりあえず感染症が流行する前、つまり半年前に時間を巻き戻してみた。手始めに、自分の周りの人間や現代社会で最も影響力があるもの「SNS」でパンデミックが起こるということを伝えた。まずなにより、感染症が流行らなければ問題はない。とにかく情報を広める。そのためにいろいろと試した。

でも。

そんな滅茶苦茶な話、当然誰も信じてくれなかった。それでもあきらめず、訴え続けたが、しまいには精神病院に入れられそうになった。考えても見れば当然だ。もし、いい大人の息子に「パンデミックが起こる」とか言われてみろ。俺が巻き戻った半年前はコロナのコの字も知らなかった頃だ。狂ったとしか思わないだろう。当たり前だ。でも、だったらどうすればいいのかわからなくて、何度も何度も何度も何度もそれこそ、本当に気が狂いそうになるくらいに時間を繰り返し巻き戻してどうにかしようとした。でも、何度時間を巻き戻したって、いくらパンデミックが起こらないようにしても無理だった。こんなことしたって。俺は本当にこんなことをして意味があるのかわからなくなった。弟の悲しむ顔を何度も見た。母や父がコロナになる時間軸もあった。何度やったって結局何も変わらなくて、むしろ状況は悪化していった。つらかった。何が一番つらかったって周りが俺を頭のおかしい人間のように見ることだ。目を合わせてくれない。俺と一緒にいるのがなんとなく嫌そうで、遠慮がちに接してくる。そんな奴らを見てると俺の方が気持ち悪かった。

俺の体感では何千時間、いや、何万時間も流れているのに周りは何も変わっちゃくれないし、むしろ巻き戻せば若返るし。俺は心だけが年をくったみたいになって妙に惨めな思いを感じたりした。もうこんなことやめようか。何回になってどうしようもなくなって。こんなことをやめようと、この世界を受け入れようと思った。だって、何もかわりゃしない。自分が、どんなに頑張っても、頑張っても、誰も耳を貸してくれない。コロナが流行する未来は変えることはできないし、なぜ俺が死んでいく人間の責任を負わなければならないんだ!気の毒だと思う。悲しいよ。だけど、死んでいく何万人もの命を背負うことは心が爆発しそうだった。もう、いやだ。ああ、やっぱり神なんて。人なんて。自分なんて。全部、全部が気持ち悪い。

もうどうにかなってるのかもしれないな。

俺は…、こうものすごく不謹慎なのだろうけどこう思ってしまう。戦争があって、生と死が表裏一体であったその時代に生を受けたかったと、そんな風に。とてつもなく不謹慎だ。わかっている。でも、自分で生き死を選ぶことができない戦場いう場所にいたいと願わずにはいられないのだ。

自分で自分を嘲笑う。自分が傷つくだけなのに。

死のう。そう心に決めた。この世界がどうなろうと、私はどうせ死ぬんだ。いろいろ考えたってなんにも意味はないだろう。首に刃を突き立てる。これをヨコにひけばすべてが終わる。こんな世界もう、救う価値なんてない。だって、可笑しいだろう?人もおかしければ、ルールもおかしい。だれも、危機感なんて持っちゃいないし、みんな死にたいんだろう。救う価値もない糞みたいなやつらのためになんで俺の時間を使わないといけない?俺はここで死ぬ。それでいい。きっとこの世界に救いなんてない。そうして、俺は、刃をヨコにひいた______________












と思った糞野郎!!!!

ここまで何年もの時間を過ごしてきたと思っているんだ。策が思いついてないわけないだろう。しかし、何年かかるかわからない。だが、やってやろうじゃないか。この、腐れ切った世界をこの俺が救ってやろうじゃないか。こうしてコロナウイルスのワクチンをつくるための時間冒険が始まった。幸い、俺の仕事は研究者だ。基礎知識ならある。もう何回かかるかわからないが時間を巻き戻して、ワクチンをつくってやろうじゃないか。

何度も何度も巻き戻して半年間を繰り返す。そうやって少しずつ作っていく。

こうして、俺は感染症のワクチンを完成させた。そして、ノーベル賞を最年少で受賞。日本一の天才となった。そして、感染症が収まったことで弟はインターハイに出場することが可能となった。さらに、弟は無事優勝。家族もみんな俺と弟を誇りに思っているらしかった。

でも、なんだろう?この心の虚無感は。

すべてが終わって、称賛を受けた。それってすごく素晴らしいことで、過去の俺はそれを求めていたのかもしれない。なのに。妙に胸は空っぽで黒々として変だった。

「…。」

たくさんの人を救って、弟のインターハイ出場も叶った。多くの人の未来を救った。あの時間軸では叶わなかった2020年のオリンピックも成功したんだ。幸せだ。自分に言い聞かせるように、何度も言った。


なのに、なんでこんなに。

「過去に戻りたいんだろう。」



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林檎の木 錦月 @hiseniki

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