第31話 デートしようか

 俺がうつ伏せで寝ていると、その上に女性の体が柔らかい感触を持って乗っかった。


「昨日は無神経なこと言ってごめん」


 甘く囁くように言って謝罪する里美。


「私、純くんがコンクールに出れないって聞いて少しパニックになっちゃったの。それで……」


「俺も昨日は悪かったよ」


 むしろ俺の方が無神経なことばかり言って、本当は土下座の一つでもしなきゃいけないよな。


「私、純くんとコンクールに出たいって気持ちは変わらないの。だからママのところに行ってお願いしよう?」


 どんなことがあっても里美はやっぱり味方だ。俺より前に行っても必ず後ろを振り返ってくれる。




◇◇◇◇◇




「まさかあんなことをして、ここに来られるとは思わなかったわ。大した度胸ね」


 エリアーヌ先生は案の定、激怒していた。


「はよーママ? それはどういう……?」


「里美には関係ないわ。少し静かにしてもらえる?」


「う、うん……」


 当然ながら用があるのは俺。


「私、言ったわよね。コンクールはダメって」


「はい」


「でも昨日、コンクールに出た」


「え? 純くん、そうなの⁉︎ 何で言ってくれな……」


 そこまで言って里美は閉口する。おそらく先生に睨まれたりでもしたのだろう。


「結果は予選落ち。これでわかったでしょう? あなたのお遊びピアノが通用しないって」


「でも俺は完璧に弾きました! ミスらしいミスだって一つも……!」


「だからよ」


「え……」


「そうやって浮かれているから選考で弾かれるのよ」


 そんな。だって俺はここまでその自信に値するほど努力してきたのに。


「じゃあ里美はどうなんですか⁉︎」


「彼女は中学の3年間、この国であなたの何倍もの苦しみを味わってる。あなたとは覚悟が違うわ」


「そうなのか里美……」


「……うん。私にとってこれはリベンジなの。だから本気……だったよ」


 俺は今まで里美と一緒にいれて、一緒にピアノが弾けて、それでいつかはあの約束が果たせればいいって……そんな楽観的な考えでいた。


 でも里美は違った。彼女は一度ぶち当たった壁を乗り越えようと必死だった。


 ここに自分のいる場所はない。俺は里美の言葉を聞いて疎外感を覚えたんだ。


「悪いけどあなたに構っていられる暇はないの。彼女が練習があるから席を外してちょうだい」


 エリアーヌ先生はバッサリそう言って俺を追い出した。

 


 俺だって上手く弾けるようになりたいってそう思ってるのに……。


「来て」


 レッスンルームの外でうなだれる俺をエマは強引に引っ張り上げて、リビングだろうか、別室へと連れていった。


「母さんに怒られたんでしょ? とりあえず話してみ」


「変な借りを作りたくない」


「いいから。あんたの弱ってる姿見るとイライラするのよ」


 荒々しい声で言うエマ。


 結局、エマに押し切られた俺は里美だけがコンクール出場を認められたこと、無断で出たコンクールで惨敗したこと、自分に本気がじゃなかったことを話した。


「ふーん、そんなことがねえ。それで? あんたはどうすんの?」


「わかんない」


「ピアノ辞めたくなった?」


「辞めたくはないけど、やりたくもない」


「そっか」エマは少考したのち、「じゃあ今度の土曜にデートでも行こうか」


「何でそうなるんだよ」


「いいじゃん。どうせあんた、練習する気ないんでしょ?」


「嫌だ」


「お願い純くん、何でもするから」


「里美の真似するな気色悪い。ってかそんなこと言わねえよ!」


「お、元気になった!」


 モノマネに反応してくれたのが嬉しかったのか、エマの声は大きくなった。


 鬱陶しい煩わしい。でも彼女のやり口はどことなく、里美を彷彿させる。そこでやっぱりこの人は里美の姉なんだなって気付かされた。


「わかった、行くよ」


 どうせ何にもやる気が起きないし、俺はそんなエマに付き合ってやることにした。


「よっしゃ! じゃあ父さんと車であんたの家まで迎えに行くから」


「おじさんもデートに来るのか?」


「何言ってんの。父さんは運転係」


 ……いや、父さんもっと大事にしろよ。




◇◇◇◇◇




「よーっす。来たよー」


 土曜日、本当にエマは来た。


「もう少し寝させてくれ」


「ダメ、時間ないんだから」


「どこに行くつもりなんだよ」


「内緒」


 ヒッヒッヒと怪しげに笑うエマ。俺が頭に手を当ててため息をついていると、彼女はじゃあ行くよと俺の腕を引っ張った。


「待て、白杖を持って行かないと……」


「私が引っ張ってあげるから、いらないわよ」


「あのな、白杖は俺にとって目なんだぞ……! って……」


 そういえば昔、里美と買い物行ったときもこんな会話したっけ。

 本当に姉妹よく似てるよな。


 エマは寝ぼけた俺を車の後部座席に乗せた。そして隣にエマも座ってくる。


 勝手に家を出て普通なら里美に大激怒されるだろう。でも今日はコンクール前と言うことで、エリアーヌ先生のところに行っているからその心配はない。

 まあでもこれじゃまるで浮気してるみたいだ。


「里美の次はエマかー。まさに両手に華! 純くんもなかなかやるなあ」


「変なこと言わないでくださいおじさん」


「私的には純くんが息子になってくれるなら両方と結婚してもらっても……」


「父さんやめて!」


「あはは、ジョークだよジョーク」


 そのジョークはきつすぎる。

 おかげで気まずい空気になった。


「ところでどこに向かってるんですか?」


「パリだよ。純くんが行きたいって言ったんじゃないか」


「パリ⁉︎ いや俺は言ってないですけど……」


 そうだ、俺はそんなこと言ってない。じゃあ、エマか?

 俺はエマのいる方向に目線を向ける。


「あんたも楽しめるデートスポットがあるの。いいでしょう?」


 俺がエマと行って楽しめるスポットなんてないだろうに。

 こんな強引に俺を連れ出して、エマは一体何がしたいんだか。

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