第19話 疑惑から確信へ
文化祭の公演スケジュールはピアノ部、合唱部、ピアノ部の順番。
前半を終えた現在、俺たちは休憩に入っていた。
「次の出番は1時間後。まだ時間あるし色々見て回ろうよ!」
「おう、そうだな」
梨恵に促され、出店を回ることになった。健一は実行委員の仕事でいないため、俺と梨恵の2人。
普通なら少しくらい喜んだりもするんだろうけど、前に2600円分のクレープを奢らされた記憶があるからか内心はヒヤヒヤしている。
「大丈夫、今日は折半だから」
……なら良かった。というか俺の心、読まれてる……?
「そういえば今朝、何でチカッチといたの?」
「そりゃ梨恵がホールの階数を言い間違えるからだろ? 場所がわからなくて担任に案内してもらったんだ」
「あーそうだったんだ。ごめんごめん、向こうだと2階のことをファーストフロアって言うの」
「向こうってアメリカか?」
「うん」
……そんな文化あったっけか。確かアメリカの階段表記は日本と同じだったような。
「見て見て! あっちには焼きそば、こっちには肉巻きおにぎり、向こうには焼きとうもろこし!」
梨恵は露骨に話題を変えてくる。
さらに、俺の気を逸らすためか腕を引っ張ってきた。その力はいつもより強い。
「おい、まさか全部食べるつもりなのか?」
「当たり前だよ。腹が減ってはなんちゃらって言うでしょ?」
「太るぞ」
「う、うるさいな! 太ったって君にはわからないもん」
……そういう言葉、地味に傷つくからやめてほしいな……。俺は君を見たくても見れないんだから。
「やあ純、それに梨恵ちゃん」
「健一か? どうしたんだ、仕事サボって」
「嫌だなぁ。僕も休憩もらったんだよ」
「ねえ、お昼食べた?」
「まだだよ」
「じゃあ健一くんも私たちと食べ歩きの旅しよう?」
旅なんてバカバカしい、どうせ数軒回れば腹一杯になるだろう、なんて思っていた。
でも案外、梨恵と健一はよく食べる奴で、結局校内ほとんどの出店を回ることとなった。
……何でそんな食えるんだよ。
「梨恵ちゃん、今、何軒回ったっけ?」
「えっと、1、2、3……」
「あれ、面白い数え方をするね」
「えっ、これ普通じゃない……?」
「うん。その親指から順番に立てていく数え方は初めて見たよ」
「そっか……向こうの生活が長かったから日本の数え方忘れちゃったよ」
アハハ……と苦笑いの梨恵。
……違う。アメリカの数え方は日本と同じだ……。
俺はその一連の会話からある違和感に気付き始めていた。
◇◇◇◇◇
「途中で寝たら怒るからね?」
「ねえよそんなこと」
「ならいいけど。それじゃ行ってくるね」
「ああ」
梨恵はアナウンスに従い、舞台上に移動した。
彼女はピアノ椅子の高さを調整し終え座る。たったそれだけの仕草が汗ばむような緊張感をもたらす。
澄み切った音が今、会場に響いた。
ドビュッシー《月の光》
一つ一つがビー玉が跳ねているかのようなキラキラした音。それでいて嫌味のない素直な音。首からその音の波が入ってきて体の先まで伝わる。
「すごい……」
隣で健一が声を震わせていた。
確かに俺もその演奏に鳥肌が立っていた。
「こんな技を隠し持っていたなんてな……」
今まで聴いてきたものとは別人のような弾きっぷり。それはかつて俺の目指していた演奏だった。
(どうやったら里美みたいなドビュッシーが弾けるんだよ)
(芸術とは最も美しい嘘のことである、ってね)
(何それ)
(私は演奏中に嘘をつく、ううん、嘘を作るの。……するとね、綺麗な世界が浮かんでくるんだ)
(じゃあ今日のコンクールで聴いたのは嘘?)
(そう。全部嘘!)
かつて『あの子』が言っていた言葉を思い出す。あの頃はよくわからなかったけど、今ならわかる。
月明かりに照らされた少女。
道中のアルペジオはその少女がハープを奏でているかのように滑らかだ。それに加えて音の湿度、濃淡、色彩までもが浮かんでくる。
これらすべてが奏者による偽り世界の想像。つまり里美の言っていた、嘘を作るということなんだ。
その世界を見て、ある者は過去を思い出し、ある者は未来を覗き、様々な感情を抱く。
……美しい演奏なのになぜか里美を思い出して物悲しくなっている俺も、そのうちの1人なのかもしれないね。
「お前、泣いてるのか?」
「梨恵ちゃんの想いがピアノから聴こえてくるんだ……」
ドビュッシーで人を感動させる力を持った人物、美波梨恵。俺はここで確信したんだ。
◇◇◇◇◇
拍手が鳴り止むか止まないかというところで次の連弾が始まろうとしていた。
「ついてきて」
「おい、次はお前と梨恵の連弾だろ?」
「いいから」
健一は俺を引きずるように壇上へ連れて行く。
「皆さんへ変更のお知らせです」
「健一?」
「これから行われる連弾は僕と彼女で弾く予定でしたが、急遽彼も参加することになりました」
え……と驚きを隠せない俺と観客。
「おい、どういうことだよ⁉︎」
声量を最小限にして訊く。
「こうしないと不公平だ」
「だとしても、あんなに2人で連弾したがってたお前が何でこんなこと……」
「純、前に倒れたとき言ってただろう? これから先も3人で過ごしたい、楽しい思い出をもっとつくりたいって」
「それは……」
「僕は恨みっこなしの勝負がしたいんだ。いいだろう?」
「健一……ありがとう」
そのときの健一は笑顔に満ちていたような気がする。
少し前は青春ごっこなんて揶揄していたけど、本当はずっと青春を送りたいって思ってた。
ずっと3人でピアノが弾きたいって、そう思ってた。
それがまさかこんな形で叶うとは。
「じゃあ決まりだ。椅子は1人分しかないから立って弾くよ」
健一のおかげで俺らは3人で連弾をすることになった。
当然3人で練習なんかしていないから、ミスは多くて、その場のノリで弾いた部分も多くあった。
でもここはコンクールじゃない。
ときには魅せる演奏もありなんだ。
……最高の時間をありがとう。
演奏が終わる頃には多くの歓声が俺らを迎えてくれた。
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