第18話 友情

 あれから2週間が経った頃。


(うっす健、昨日どうした? 放課後の部活見学、楽しみにしてたんだぜ?)


(ごめん祐一。メールにも書いた通り、体調悪くなっちゃって)


 祐一という男。最近、やたらと健一とやらにまとわりついている。


(それならいいけど。んで、体調はどうなん?)


(微妙。今日も早く帰るかも)


(マジかー。じゃあさっさと治してな。みんな健の体調を心配してんだからよ)


(ありがとう)


 昨日、こいつは俺と帰ったはず。


 ……まさか俺と帰るためにわざと誘いを断っているんだろうか。だとしたら真性のバカだ。


(川井くん、先生が呼んでたよ)


(オーケイ。今行くよ)


 男が教室を出て行く。すると、スターのいなくなった会場のように見事に静まり返った。


(最近、付き合い悪りぃよなあいつ)


 祐一とやらがポツリと言葉を投げかける。


(彼女とかできちゃったりして?)


 クラスの女がそれに返す。


(なわけねーだろ? 健は俺たちの健だ。もし独占しようなんて奴がいるならどん底に落としてやるよ)


(何それ、面白そう)


(だろ?)


 ゲラゲラと気味の悪い笑い声が教室を覆った。その空気につられて1人、また1人と笑い出す。


(今月お金ないから健くんに適当言ってコスメ買ってもらおー)


(俺も加藤先輩とデート行きたいし、健の名前出して誘ってみっかなー)


 俺は寝たフリしていたけど、事の一部始終をすべて聞いていた。


 まあ所詮、表面上の付き合いなんてこんなものなんだなって思う。

 上部だけの嘘っぱちな関係。見世物にされたり、雑に扱われたり、場合によっては騙されたり。


 何であの男はそんなくだらない関係に固執するのだろう。

 

 俺もまたそんなくだらないことを考えていた。


(さあ帰ろう)


 放課後。今日もこの男は声をかけてくる。


(嘘をついてまで俺と帰るメリットなんてないだろ)


(僕にとって、純と帰るのは一種の人助けだ)


(……お前はさ、人から認められて感謝されてそれで満足なのか?)


(満足……? うーん。僕はみんなが笑顔になるよう、不機嫌にならないよう、努めているだけだよ)


(中身空っぽなんだなお前)


(だから人の信頼で埋めているんだ)


(後悔するぞ)


(わかってる。でも川井健一というイメージはすでに固定されているんだ。どうすることもできないよ)


 男は自嘲気味に鼻で笑ってため息をつく。


 ……うざい。


 その中途半端な、サジを投げるような態度が、なぜか俺を苛立たせていた。


(……壊せばいいだろそんなものは)


(純……?)


(一度きりの人生を何ドブに捨ててんだよ。綺麗事言って逃げてんじゃねえ)


 ……何を熱くなっているんだ。こんなの、他人事だろうに。


 ……いや、違う。


(お前は本物の自分を見てみたいんだろ? だったらその変なプライドを全部捨てろ。今のお前を見てるとムカつくんだよ……まるで……)


 変わることを恐れて現実から目を逸らす。その姿はまるで……自分を見ているかのようだった。


 ……情けない。わかっていても行動できない。俺らは正反対のように見えて、実は似たもの同士だったのかもしれないね。


(純は僕の心を透かして見ているみたいだ)


 この男はこんなにも説得力のない説教を最後まで聞いてくれた。しかも声色も少しばかり明るくなったような気がする。


(帰るぞ)


(今日は乗り気だね)


(うるさい)


 それから男は毎日俺の前に現れ、そのたびに登下校を共にした。

 趣味も意見も合うことはあまり多くなかったけど、登下校するその時間はいつの間にか俺の楽しみになっていたんだ。


 だけど、そんな日々を学校の連中が許してくれるはずはなかった。




◇◇◇◇◇




(チャリ取ってくる)


(おう)


 放課後、俺はいつものようにチャリ置き場の入り口で彼を待っていた。


(えっ……)


(どうした?)


(穴が開いてる……しかも前輪後輪、両方とも)


(は⁉︎ 朝来たときは普通にこいでただろうが)


 酷く嫌な予感がした。何か間違っていることが、何かまずいことが起ころうとしている。


(健……お前にはがっかりしたよ。まさか俺らとの遊びをサボってこんな奴といたとはな)


 その声は祐一。失望と怒りをかき混ぜたような口調でそう言った。


(違う、これは人助けだ。純を1人で帰らせるわけにいかないだろう)


(だとさお前ら。人気者の川井健一は人助けをしただけだと)


 その直後、俺たちの周りには、1人、2人、いいや、桁が違う。足音だけでは判断がつかないくらいに人が集まってきた。


(でもさー、私見ちゃったんだ。昨日も一昨日も一緒に帰るところ)


(私は学校に来るところを見た)


(健くんは私たちより、その人の方が大事なの……?)


(それは……)


 女子生徒らに責め立てられる彼は、浮気現場を取り押さえられた男のように言葉を失っていた。


(さあ健。こんな根暗といるのはやめて、俺たちのところに戻って来い。友達だろ?)


(……おい、そういうセリフは本当の友達にでもなってから言えよ)


(なんだお前? 健に構ってもらったからって良い気になってんじゃねえぞ!)


 鈍い炸裂音。尻持ちをついてようやく自分が頬を打たれたことに気付いた。


(物足りねえなぁ)


(写真とかどうよ? アウトなやついっぱい撮れば退学っしょ)


(そりゃいい。よし、まずはタバコだ。その次に痴漢だな)


(は⁉︎ ざけんなクズ! そんなの、俺がでたらめだと言えばな!)


(あいにくお前より俺たちの方が信頼があるんでね。どう言い訳しようとお前の負けだよ)


 ……くそっ……。悔しいけど、それは事実だ。


(祐一、これはやりすぎだ! 今すぐ純を放せ!)


(元はと言えば、健がみんなに良い顔するから悪いんだろ? 俺たちとだけつるんでりゃいいものを)


(……何で僕にこだわるんだ)


(そりゃ俺たちが最初に友達になったからだ。後から来たやつに独占させたりはしねぇ)


(早いもの勝ちとでも言いたいのか)


(そうだ。それに俺たちが1番仲が良いだろ?)


 それは……と彼は口元で何かを呟いていた。祐一の言葉に肯定と否定をさまよっているのかもしれない。


(気色悪いな。そうやって暑苦しく友達ごっこやってて楽しいかよ)


(黙れ。横から割り込んできたウジ虫が)


(だいたいお前らはさ、こいつの本音を一度でも聞いたことあんのか?)


(本音、だって……?)


(知らないみたいだな。なら教えてやるよ)


 ……俺にしか明かされなかった川井健一の正体を。



(こいつは我が身優先で、自分を守るために薄っぺらな付き合いしかしない貧弱野郎だ! おまけに人から信頼を得ることでしか自らのアイデンティティを見出せない空っぽな人間だ!)



(は……? 何言ってんだよお前、そんなわけ……)


(じゃあ訊いてみろよ。俺はお前らより信頼がないかもしれないけどな、こいつのことは俺の方がよく知ってんだよ!)


 ……なぜ俺はこんな奴の知っている自慢をしているんだ? 自分の身を守るため? それともあいつを守るため……か?


(ねえ祐一、この根暗うるさいからガムテープ貼っていい?)


(……そうだな。まずこいつから先に処理しよう)


 粘着剤のついた紙。

 それが俺の口にびっしり貼り付けられた。


(ここで騒ぎになっても面倒だ。体育館の裏に行くぞ)


(はいよ)


 何する、離せ、そう何度か叫んで抵抗するも、声は届かない。

 俺は今にも連れて行かれようとしていた。


 だけどそのとき。




(……めろ)



(あ?)



(やめろよっ!)



(おいおいどうした健、らしくないぜ)



(……お前らなんか友達じゃない。今すぐ消えろ!)


 腹の底から一気に喉元へ突き上げてくる叫声。彼からは尋常じゃないほどの怒りが噴き上げていた。


(そんなこと言うなよ。俺たち色々遊んだ仲だろ?)


(人を痛めつけるような奴らは友達なんかじゃない。人の姿をした悪魔め)


(……な、なんだとてめぇ! 優しくしてりゃ調子に乗りやがって!)


 祐一は声を荒げて彼の元へ向かっていく。


 ……余計なことを。適当に嘘ついて自分だけ助かれば良かったのに。バカな奴……。


(堕ちた友達を再教育してやるのも友達の役目だ。歯食いしばれよ!)


 風を切る音。

 祐一は空高く腕を振り上げた。


(殴りたければ殴ればいいさ。これを見ても驚かなければね)


(携帯……?)


(どこに繋がっていると思う?)



(おい祐一!)


(は? 体育の五十嵐⁉︎ なんでここに……?)


(事のあらましはすべて聞いた! この場にいる奴ら全員、生徒指導室に来い!)


 ドスの利いた声。その場には五十嵐含め、複数人の教師が駆けつけた。


 何で、と祐一たちは顔が絶望の色に染まっていく。俺も何が起きたのかわからない。


 ……俺たちは助かった……のか?




◇◇◇◇◇




 連行されていく祐一たちと反対に俺は保健室に連れられ、手当てを受けた。


(実はこっそり職員室にかけてたんだ)


(あの状況でよくとっさに反応できたな)


(最近、ずっと誰かに見られてる気がしていたからね。何があっても大丈夫なように、ワンタッチで繋がるようにしといたんだ)


(よくやるな。思慮深いというかなんというか)


(だろう?)


(でもそれがわかってたなら、もうちょい工夫の仕方があっただろ。怪我したじゃねえか)


(はは、悪かったと思ってるよ)


(絶対思ってないだろ)


(僕はさ、純の中身を知りたかったんだ)


(中身なんて何もねえよ)


(いいや。確かに見つけたよ。純の本物を)


(何の話だ?)


(覚えてくるくせに)


 一機の飛行機が会話を遮るように上空を通過していく。それからしばしの沈黙の後、俺たちは保健室を出た。


 お互いに疲労困憊だったから、事情聴取は明日するということで俺たちは解放、帰宅することとなった。


(チャリはパンクしてるし、歩いて帰ろう)


(あんなことがあって、まだ一緒に帰るのか?)


(これからはしばらく人との関係をセーブするから大丈夫)


 ……そんなにあっさり言えるものなのか。


(それに前から言うように、俺には返せるものなんてないぞ)


(純からはもう返してもらったよ)


(何を?)


(友情をね)




◇◇◇◇◇




 ……それからだよな、俺と健一のダチ生活が始まったのは。

 そのあともピアノ部に入って、一緒に祭り行って、ときには喧嘩もして、でも仲直りして。


 お互い過ちは犯したけど俺にとって健一は英雄……いや永遠の友達、永友だ。


 6分強に及ぶ演奏は終わりを迎える。


 ……健一、ちゃんと聴いてくれたかな。 

 

 俺は覚束ない立ち上がりで礼をする。そして舞台を後にした。


「純、ありがとう。すごく良かった」


「なんだよ、それだけか」


「純の演奏は言葉じゃうまく表現できないよ。でも一言で表すなら」


「なら?」


「友情、かな」


 ……なんだ。しっかり伝わってるじゃん。

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