第17話 文化祭
『まもなく開演いたします。携帯電話、アラームの鳴る電子機器の電源をお切り下さい』
アナウンスに鳴り響くチャイム音。
昔はブザー音だったけど、最近はチャイム音も増えているんだと。
会場内はやや静まった。
それでも学生が多いこともあってか、話し声が止むことはない。
正直、それ以前に客が来たことに驚いた。
知名度の低いであろうピアノ部。なぜこれほどの客が集まったのか。
その理由はトップバッターの入場によってわかった。
「健くん、頑張ってー!」
ステージの最前列に群がっていた女子たちが一斉に歓声を上げる。まるでアイドルにとりつくファンのよう。
「健一くんって人気すごいよね」
「あいつ、お人好しスキルだけは世界一だからな」
「あの団体が一斉にピアノ部へ入部希望を出してきたときはどうしようかと思った」
「そんなことがあったのか?」
「うん、健一くん目当てでね。もちろん全員断ってやったけど」
平気で言ってのけるが、その裏にどんなバトルがあったかは想像もできない。
さてシ♭がテンポ良く曲の開始を告げる。
ショパン《華麗なる大円舞曲》
明るく華やかな曲調が印象的な曲だ。
この曲はショパンが作ったワルツの中で1番に心がスカッとする。
もしこれを健一自身が選んだのなら相当にセンスが良い。
「驚いたな……」
「私たちも負けてられないね」
ついこの間まで俺と梨恵の演奏に目を光らせていた男が、今は俺たちに劣らないくらいの演奏をしている。
……これが恋の魔法ってやつか。
心の暗い部分が晴れたかのような軽やかな響き。その演奏は華麗なステップを踏むようだ。
一音一音しっかり鳴っていて聴き心地も悪くない。
次第に観客は彼に、彼の音に魅了されていった。
「ありがとうございました」
完璧な演奏に長く熱い拍手が舞う。
さてと、次は俺の番だ。
俺は軽く頬を叩き、気合を入れる。
だけど。
「健くんの演奏終わったし次行かない?」
「ぶっちゃけ健一くん以外興味ないのよね」
会場には至る所からそんな声が聞こえてきたんだ。
実際にゾロゾロと足跡がして、いよいよこれはまずいと思った。
──もしかしたら俺が弾く頃には誰もいないんじゃないか──
そう一抹の不安がよぎる。
「皆さんにお願いがあります」
……え?
「僕らピアノ部は、今日この日まで一生懸命練習をしてきました。そして様々な感情を共有し、この舞台に立っています。ときには笑い合い、ときには傷つけ合い、ときには許し合い……。そんな僕らの結晶をお見せしたい。……だから最後まで聴いてください」
……健一……。
彼の本気が伝わる言葉だったからか、客の足音は止み、まあ健くんがそう言うなら、と戻ってきてくれた。
まさに鶴の一声。
……すごいよ。お前はやっぱ。
「僕の役目はここまで。次は純の番だ」
「助かった。精一杯弾かせてもらうよ」
俺らはハイタッチをして舞台を入れ替わった。
ピアノの低音で強靭な和音。それから演奏は一転してしなやかな三度の重音が半音進行していく。
ショパン《英雄ポロネーズ》
俺はこの曲を送ろうと思う。
親友、川井健一に。
(今日からこの学校に転校する川井健一です。みんなよろしく!)
……お前と初めて会った5月のこと。覚えているかな。
◇◇◇◇◇
(あの空いてる席に座ってくれ)
(はい)
健一なる転校生が自己紹介を終えた頃には全員のときが止まっていた。
おそらく生徒らはその転校生の風貌に魅了されていたんだと思う。
(これからよろしく!)
どうやら男は隣の席に座ったみたい。それと同時に俺へ全方向から嫉妬のような視線が送られる。
(おーい?)
机に伏せる俺の肩にちょんちょんと指が触れた。
(俺に言ってたのか?)
(どう見たって君しかいないだろう)
(そうか)
そう言われたって俺は目が見えない。
……わざわざ説明するのも面倒だしいいか。
(健一くんの趣味は?)
(彼女いる?)
(俺たちと友達になってくれ!)
その男は世話焼きで、話も上手くて、それ故か、その日から1週間もしないうちに校内の大半の生徒と仲良くなった。
同じクラスのみならず、他クラスの同学年、先輩までも。
俺がどこを歩いていてもその男の声は聞こえてきて、そのたびに話し相手も変わっていた。
こんな世渡りの上手い人間、2次元にしか存在しないものだと思っていたけど……現実はよくわからないもんだ。
対して俺はいつまで経っても一匹狼だった。事故以来、性格も視界も歪んでしまった俺にとっては、これが日常。
むしろ一人の方が楽だと思い始めていた。
(探したよ純!)
(……あ? 誰だよ)
(嫌だなあ。隣の席の川井)
(知らねえ、消えろ)
(純もそんな壁なんて作らないでさ、僕らと青春を楽しもう?)
(俺は1人がいいんだ)
(そんなこと言わずに!)
(うわっ……!)
この男は友達とやるようなノリで肩に乗っかってきた。
俺の体は将棋倒しみたく後ろから大きく倒される。
(ごめん……勢いがつきすぎたよ)
(ったく調子乗りやがって! 第一、何で俺がお前と帰らなきゃいけないんだよ)
(……どこに話しかけてるの……?)
(は?)
顔を左右に振ってもう一度、声の方向を確かめる。よく耳を澄ますと、男がいる方向は真反対だった。
(そっちか)
(まさか……)
察し能力の高い人間なのか、俺が見えないことは一発で見抜かれたようだった。
俺は黙って頷く。
(そうか……)この男は少考したのち、(僕のチャリに乗って帰りなよ)
そう言った。
(余計なお世話だ。それに2人乗りは違反だろ)
(君が事故に遭うよりはマシだ)
(あのな、俺はこいつがあるから1人で帰れんだよ)
俺はスマートフォンを取り出す。
そう、あの頃はスマートフォンのマップ機能を使っていた。
そこから出される方向の指示に従って登下校していたんだ。
……よく事故しなかったなあ、って今になって思う。
(何で白杖を使わないんだい?)
(お前には関係ないだろ)
(とにかくチャリの方が安全だ。今取ってくるから待ってて)
……なんて面倒くさい。これだから人付き合いは嫌なんだ。この間に帰ろう。
(ちょっと、勝手に帰るなよ)
チリンチリンとベルの音が近づいてきた。
(ちっ、だるいな)
(僕に見つかったのが運の尽きだったね)
俺は仕方なくチャリに乗る。
二人乗りなんて恥ずかしさこの上ないけど、この人気男といるところを他生徒に見られたら、何て言われるかわからない。
(学校は楽しいかい?)
(楽しくない)
(何で)
(同じような毎日の繰り返しだから)
(そっか。僕もだよ)
(そういう無駄な同情はやめろ)
(本当さ。僕がみんなと仲良くするのは嫌われたくないからだ)
(何だよそれ)
(僕は誰1人からも悪い評判を受けたくない。だからみんなへ平等に接する。親切を売って評判を買うんだ)
(じゃあ俺もその対象なのか?)
(そうさ。僕は純と同じで本当は友達なんていないんだ)
(一緒にするな)
(でも純に友達がいないのは事実だろう?)
……まあそれは言うまでもないことだけど。
(言っておくが、俺はお前の親切をもらったところで何も返さないからな)
(じゃあ何か返してもらうまで毎日迎えに行くよ)
(は? やめろよ気持ち悪い)
(何を言われようが君に感謝されるまではやめない)
(お前……結構ストーカーの素質あるぞ)
(そうかもね)
男は笑っていた。でもそれは口先だけ。
おそらく誰の前でもそんな笑みを浮かべているんだろう。
男の本当に考えていることはまるで見えなかった。
(純のスマホがこの家だと言ってるけど合ってる?)
俺の家には玄関まで続く庭の踏み石があって、その石は円の形をしている。
俺はチャリから降りてその形状を足で確かめた。
(間違いない)
(良かった。それじゃ君を送り届けたことだし僕は帰るよ)
(ああ)
男はチャリを再びこぎ始める。しかしすぐにブレーキ音。
(また明日、純)
俺に構う時点で変な奴に違いはなかったけど、悪い奴かと訊かれれば別にそういうわけでもなかった。
◇◇◇◇◇
(おーい純。迎えに来たよー)
朝から弾けるような声が俺の頭に響く。それはどことなく聞き覚えのある声。俺の家の真下からだ。
……まさか……。
眠りと醒めの中間的領域にいた俺はその嫌な予感に起こされた。
(早く支度して降りてきてー)
玄関の呼び鈴も2度鳴る。
……絶対あいつだ。
じじいが応答すると面倒な事態になりかねない。呼びかけを生返事で返してすぐさま家を出た。
(お前な、いくら徳を積んだって返すもんはねえって言っただろ)
(へえ、徳を積まれている意識はあるんだね)
……ああもう! 調子狂うな!
(さあ行くよ。乗って)
(わあったよ)
俺は不承不承ながら乗った。
(いやー通学仲間ができて嬉しいよ)
(お前、一緒に行く奴いないのか?)
(うん。チャリ通なのもあるけど、僕の登校時間に合わせてくれる人がいなくてね)
(そういや今何時だ?)
(6時15分)
(は⁉︎ 通学時間入れてもホームルーム2時間前には到着するぞ?)
(早く着いた方がみんなからの評価も上がるからね)
(付き合ってられん! 俺はもう一眠りするからな…………っておい!)
(こぎ出せば僕の勝ちだ。降りたかったら降りてみな)
(卑怯だぞ! 俺は帰って寝るんだ!)
俺の声の大きさに比例してチャリのスピードはどんどん上がっていった。
そのとき、男は多分だけど、いたずらっ子のような顔をしていたと思う。
その日からだったかな。俺の頭に平和、日常なんて言葉が出てくるようになったのは。
でもまさか、ここからあんな事件が起きるとは思わなかったよ。
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