第15話 俺らの宣戦布告

 俺が違和感を覚えたのは多分、この日からだったと思う。


「あれ、おかしいなー」


「どうした?」


「学年名簿を見てるんだけどさ、梨恵ちゃんの名前が見当たらないんだよ」


「記載漏れじゃないのか?」


「うーん、そうだと思うけど」


「というか、何で名簿なんか見てんだよ」


「先生に誰が何部でどの教室を何時に使うか、書くよう言われてるんだ」


「よくやるな、実行委員なんて。俺ならどんなに頼まれたってノーだ。人と関わって何が面白い」


「意外とやりがいのある仕事だよ。みんなから必要とされるし僕は好きだけどな」


「変な奴」


「純もね」


 互いに鼻で笑った。

 仲直りした日から俺たちはかつての関係を取り戻せたと思う。


「じゃあ僕は職員室で梨恵ちゃんのこと訊いてくるから」


「そうか」


「すぐ戻ってくるよ」


「おう」


 健一は小走りで部室を出ていく。部屋には俺1人が残った。


 ……これじゃないな、いやこれでもない。


 文化祭の曲決めという宿題を思い出して、あれこれと曲を弾いてみるけど、どれもしっくりこない。……まず俺は何を伝えたい?


「おやー、お悩みのようですね?」


「いたのか」


 鼻をかすめるラベンダーの香り。もうこの匂いだけで誰がいるかわかる。


「本当に弾きたい曲というのは考えたって思いつかないものです」


「じゃあどうすりゃいいんだよ」


「閃き!」


「何だそれ」


「突然パッと弾きたい曲が湧いてくるの」


 梨恵は簡単そうに言うけど、俺には無理だ。そもそも、その閃きがいつまで経っても来なかったらどうすりゃいい。


「やっぱお前も変な奴だよな」


「お前も? あれ、そういえば健一くんは?」


「すぐ戻るって出て行った」


「そっか。じゃあそれまで練習付き合ってよ」


「まあ別にいいけど」



 練習というのは連弾のことだった。文化祭では梨恵と健一が弾くため、俺は一切練習をしていない。

 

 効率を重視するなら健一を呼びに行った方が良いだろうに。弾ける相手さえいれば誰でも良かったのか。


「音程は取れてるけど、タイミングがずれてる。君らしくないよ」


「いや、そう言われたって……」


 体温の伝わる吐息、時折当たる女の子の肩、生足。

 ……集中を削ぐものが多すぎるんだよ!


「いいからもう一回!」


 そうして俺らはその後も弾き続けた。


 どうせすぐ終わるものだと思っていたけど、結局健一は部活終了のチャイムが鳴るまで戻ってはこなかった。

 彼がこう、約束を破るのは相当なレアケースだ。


「遅いね、健一くん」


「ああ」


「何て言って出てったの?」


「確か名簿に梨恵の名前が載ってないから確認するとかどうとか」


「そっか」


 すると美波は何かを思い出したかのように素早く立ち上がった。


「私、先帰るね。健一くんに練習サボらないよう伝えて」


 そう言うと、鞄を持って帰ってしまった。その声は動揺していた。何か隠しごとでもあるのか。そう思うくらいに。


「ごめん、遅くなった」


「何してたんだよ」


「文化祭の実行委員は抱える仕事が多くてさ、気付いたらこの時間だよ」


「まあいいけど練習はしとけ。文化祭で連弾するんだろ。失敗して梨恵に恥かかせるな」


「ふっ、純は好きを隠すのが下手だね」


「うるさい。さっさと帰るぞ」


「はいはい」


「梨恵なら先に帰ったからな」


「やっぱりね」


 俺たちは校舎を出てチャリにまたがる。

 そういえば最近は梨恵と一緒に帰っていたから、こうして2人で帰るのは久しぶりかもしれない。


 いつもは梨恵が積極的に話題を振ってくれていた。ピアノの話、クラスの話、趣味の話。

 それに慣れていたからか、男2人になると途端に沈黙の時間が増える。


「……純?」


「何だよ」


「純はさ、運命とか偶然とかそういうものを信じる?」


「いきなりどうした」


「いいから」


「……俺は信じないな。この世のすべての出来事は2分の1だから」


「どういうこと?」


「常に起こるか起こらないかの2択ってことだ」


「ずいぶん頭のかわいそうな理論だね」


「言い方やめろ。せめて極論と言え」


 健一はごめんごめん、なんて言うけどその言葉に反省の色はおそらくない。


「じゃあその理論でいくと、もし宇宙人が来たり隕石が降ってきたりしても2分の1ってことになるのかい?」


「そうだな」


「絶滅した生物が生き返っても?」


「ああ」


「純はそれを受け入れられる?」


「まあ。拒んだって前に進まねえし」


「ふーん」


 信号に引っかかったのか、チャリの速度は落ちていく。そのままブレーキ音を響かせて停止した。


「ところで梨恵ちゃんとはどう? もうキスくらい済ませた?」


「は⁉︎ いきなり何言ってんだよ、まだ付き合ってすらいねえから!」


 危ない危ない。唐突すぎる質問にチャリから落ちそうになった。


「何だ。純はガツガツ行く人だと思っていたけど、案外チキンだね」


「俺は慎重派なんだ」


「そう言うと、まるで告白した僕が軽率な人間みたいに思われるじゃないか」


「大人の恋愛はな、高校生みたいな大告白はしないんだよ」


「でも純は高校生だろう?」


「いやだから俺は大人の恋愛をだな……」


「逃げるなよ純。世の中には言葉にしなきゃ伝わらないこともあるんだ。そんな調子じゃ、いつまで経っても今のままだぞ」


 ……そんなの言われなくたってわかってる。この気持ちを伝えられたらどれだけ楽になるか。


 ……でも仮に告白が成功して、そのあと健一とはどう付き合っていけばいい?


 ……そもそも梨恵が俺を好きじゃないとしたら? 他に彼氏がいたら?


 そういうことを考え出すと告白なんてとてもできない。


「……お前はすげえよなやっぱ」


 信号は青になり、ペダルを力一杯漕ぎ出す健一。

 その後ろ姿を見ることはできないけど、多分彼は俺が思う以上に男らしくて立派な人間なんだと思う。


「着いたよ」


「悪いないつも」


「そこはありがとうだろう?」


「ああ、感謝する」


 俺はチャリを降り、玄関前で鍵を開ける。


「……あのさ、純」


「何だ」


「僕に気を遣わなくていいから」


「別に普段から気なんて遣ってないだろ」


「そうじゃなくて」



 健一は力強い口調で言う。



「本気で梨恵ちゃんを取りに行っていいから」



「いや、お前……」



「僕はもう邪魔をしない。それに協力もしない。だからさ……お互い全力で戦おうよ。恨みっこなしで」


「良いのか、健一は」


「僕に二言はないよ」


 彼は一度フラれていて、彼女が彼と付き合う気がないことは知っている。

 

 対して俺は1ヶ月彼女と同居した上にそれなりに彼女が俺を想う気持ちを知っている。


 どう考えても分があるのはこっちだ。


 でも健一は真剣だった。本気で勝負したいという気持ちが溢れていた。

 だから俺はそれに応えることにしたんだ。


「わかった。じゃあ今日から俺たちは敵同士だ」


「よろしく、ライバル。でも僕らはこの先もずっと大切な友達だよ」


「そうだな」


 ……この先もずっと友達。


 このとき俺の脳内にさーっと一筋の稲妻が走った。

 ……そっか。これが梨恵の言う、閃きってやつなんだね。曲、決まったよ。

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