第13話 (好きだよ)

『もしもし、月城です』


『どうした? まさか今日も体調不良か?』


『はい。なので休みます』


『今日で5日目だぞ。本当は何かあったんだろう? 良かったら私に相談を』


『それじゃ切るんで』


『待て待て、私が嫌なら部員の奴らにでも』


 プツリと担任との通話を切った。携帯の電源を落として、俺は再び布団に潜る。


 ……できてたらしてるさ、そんなこと。


 今週はすべて休んだ。その間に健一と梨恵から数十件を超える連絡が来ていたけど、すべて無視した。


 今頃俺という邪魔者が消えてせいせいしているに違いない。もうずっとこのままでいいんじゃないかって思う。


 ……でも。


「あの夏に戻りたい……」


 梨恵が家に来て、夏祭りに行って、コンクールに出て、花火を見て。


 濃厚な夏休みの思い出がフラッシュバックする。


 ……もしこの胸の揺らぎがなければ、いつまでも幸せな日々を送れていたのかな。




「開けて! 本当は体調悪くないんでしょ? ちゃんと話し合わなきゃわからないよ!」


 聞き覚えのある声と玄関ドアを必死に叩く音が俺の目を覚まさせる。


 時刻は15時30分。本来なら部活をやっている時間だ。


 ……担任、梨恵たちにチクったのか。めんどいな。


「君がそのつもりなら私、今日はここで野宿するから!」


 どうせ冗談だと思った。1時間も経てば諦めて帰るだろうと思っていた。

 だから俺は特に反応を示さず、飯を食って風呂に入って、といつも通り過ごした。


 ……もしかしてまだいるのかな。いやまさかね。もうあれから何時間も経ったし。

 

 だけどそのときだった。ゴツンと何かが玄関ドアに当たる。


 ……嘘、だろ。


 俺は忍び足で玄関に向かう。


「気のせいだとは思うけど……ん、あれ」


 ドアは開かなかった。いや、厳密に言えば何かがドアに寄りかかっていて開けられなかった。

 ……そう、そこで俺は気付くべきだったんだ。


 強引にドアを開けるとそこには、


「やっと開けてくれた」


 おろかなことにも梨恵がいた。


「バカだろ」


「バカで結構。こうして君と会えたんだし、結果オーライだよ」


 彼女の声は少しかすれていた。飲みも食いもしていないのか、疲れ切った様子だった。


 本当は家に上げてやりたい。でもそんなことをしたら、健一とのことを話さなきゃいけなくなる。


 そうしたら俺は最後……


『もしできなければ絶交だ』


 だからここは引き下がってもらうしかなかった。みんなが平等に幸せでいるためにはこうするしかなかったんだ。


「言っておくが、俺が話すことは何もない。帰ってくれ」


「健一くん、心配してたよ」


「そうかよ」


「健一くん、君がいつ戻ってもいいように文化祭の準備、頑張ってくれてる」


 ……どうでも良いよそんなこと。


「それでね、連弾は私と健一くんがやることになった……。勝手に決めてごめん」


 ……ああ、良かったな。


「でも健一くんはそのことについて色々気に病んでてね、健一くんは……」


「…………さっきから健一健一健一健一って、うるせえんだよ! そんなに健一が好きならあいつのとこに行けばいいだろ!」


 ……あれ、なんでこんなに怒っているんだろう。なんでこんなに胸が苦しいんだろう。


「ごめん……」


「いいから帰れよ」


「最後に一ついい?」


「何だ」


 美波は少し間をおいて訊く。


「私のこと嫌い?」


 ……そんなわけない。むしろ……。

 でも答えは決まっていた。


「嫌いだ」


「そっか……。開けてくれてありがとう」


 その声は潤いに滲んでいた。彼女は俺に背を向けその場から走り去る。


 ……これが正解なんだ。

 たとえ君がこのまま俺を忘れてしまっても、俺は君との思い出を忘れたりはしない。




◇◇◇◇◇




「少年、部屋に来なさい」


「じいちゃん……?」


 それは昔、じいちゃんが説教をする前に用いていた言葉。


 何が起きたのかわからないまま、俺は部屋へ行く。


「女の子を泣かせたね」


「ああ」


「これで何回目だ?」


「1回、2回……そんなの覚えてねえよ」


「お前さんも罪深い男だね」


「うっせえよ」


 俺の煩わさ全開の返事にじじいは笑った。


「少年は本当にうちの孫によく似ている。孫も昔はしょっちゅう女の子を泣かせたもんだ」


 ……それは俺と『あの子』……。どうしてそんな昔のことを覚えているんだ。


「孫もお前さんと同じで、嫌なことがあるとそうやってすぐ下唇を噛み締めるんだ」


 ……昔からの癖だったのか、これ。


「下手な演奏をしたり、嫌いな食べ物を避けたりするときもそうだった。だから俺はそのたびに叱ってやってな」


 ……あのときのじいちゃんは怖かったよ。


「そうやって悪いところを直していけば、必ず孫は立派な人間になると信じて、接していたつもりだった」


 ……だからあんなに厳しく……。


「だがどうやらきつく当たりすぎたようだ」


 じじいはため息を吐く。


「俺は孫に恨まれてるかもしれんな。だが俺にとって、孫の成長を見ることは生きがいだったんだ」


「そうだったのか」


「少年と話していると、まるで大きくなった孫を見れているようで嬉しいよ」


 ……今までそんな風に俺を見てくれていたんだ。


 


「喧嘩っていうのはしっ放しにするもんじゃない。必ず謝って関係を修復しなきゃいけないんだ」


 じじいは言う。


「俺みたいに謝り損ねて後悔の人生を送らんようにな」


「俺はもうじじいに怒ってなんか……」


「わかったらとっとと行け。良い顔して帰ってこい」


 じじいは柔らかな口調でそっと俺の背中を押した。


 ……ありがとう、じいちゃん。




◇◇◇◇◇




 梨恵がいる場所はあらかた見当はついている。あとはそこに向かうだけだ。


「君……」


「やっぱりここにいたか」


 前に梨恵と来た橋。気を落ち着かせたいときはここに来ると言っていた。


「何で……私のこと嫌いじゃなかったの?」


 美波はハンカチか何かで顔を覆いながら鼻をすすっている。


「ごめん。嘘ついた」


「嘘?」


「俺は梨恵を嫌いになんかならない。梨恵は俺の失った色んな輝きを取り戻してくれた恩人だから」


 ……そうだ。君がいなければ、ピアノを弾くことも、じじいと話すことも、この甘い感情を思い出すこともできなかった。


 たとえ健一に嫌われてしまうとしても、俺は自分の気持ちに嘘はつけない。


「良かった……。理由もないまま君に嫌われて、もう死ぬほど辛かったんだよ?」


「これからその理由を話す。もしかしたらそのせいで梨恵が傷つくかもしれない」


「君の真実が聞けるなら私はどんな言葉でも受け入れる」


「俺は」


 あと少しだった。あと少しで俺は胸にため込んだこの感情を口にすることができた。

 ……なのに。


「え?」


 目眩に似た感覚。そのまま雪崩が起きたように体は地面へと崩れて落ちていった。


 起き上がろう、そう思っても体は言うことを聞いてくれない。


 ……言いたいことがたくさんあるのに。ここで言わないと。


「どうしたの⁉︎ ねえ! 誰か救急車を……」


 彼女の言葉も次第に聞こえなくなり、俺の意識は煙のように遠のいた。

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