第12話 なんで嘘つくの?

「おーい純、起きてる?」


「今向かう」


 次の日、健一は前のようにチャリで迎えにきた。


「少年、いってらっしゃい」


「ああ。行ってくる」


 チャリ通の健一にいつまでも名前が思い出せないじじい。何も変わらない日常。


 夏休み前だったらこの生活に何も思うことはなかったのかもしれない。


 だけど今の俺にとっては、どうしても欠けてはいけないパーツが欠けてしまったような……心に穴が開いてしまったような……そんな生活に感じられるんだ。


「はよー梨恵ちゃん」


「はよー健一くん」


「早速だけど今日は2人に良いお知らせがあるんだ」


「何々?」


「なんと」健一は指をパチンと鳴らして「我がピアノ部は文化祭でコンサートを行うことになりました!」


「嘘⁉︎ すごいじゃん健一くん!」


「ありがとう。本当は4人いないと部として承認されないんだけど、知香先生が文化祭出るだけだったら良いって」


「さすがチカッチ、頼りになる!」


 ……ちか。ああ、担任のことか。


「確かこの音楽室を貸してくれたのも知香先生だったよね」


「そうそう。去年までいたピアノ部がここ使ってたからいいよって」


「この学校にピアノ部ってあったんだ」


「うん。チカッちが顧問だったみたい」


「そっか。じゃあ去年のピアノ部に負けないよう、今から曲を決めて練習しよう」


「らじゃー」


「純もいいね?」


 ……何も相談なしに決めるなよ。


「ああ」


「よし決まり! 君は何弾きたい?」


「何でもいいだろ。そういう話は健一としてくれ」


「あ、うん……」


 梨恵は決まりの悪そうな声で健一の方へ足を向ける。

 それから2人は和気あいあいと曲決めをしていて、俺に声をかけることはなかった。


 梨恵と健一が付き合えば、厄介者がいなくなって楽になる。……以前の俺はそう思っていたじゃないか。だからいいんだよこれで。


「あんな良い曲を書けるショパンは一体どんな人間だっだんだろう」


「ショパンのすごいエピソード知ってる?」


「いや、知らないな」


「ショパンが『僕の曲って綺麗?』ってファンに訊いて『うん、すごく綺麗で大好き』って返された話なんだけどね」


「あ、それ聞いたことあるよ! それでショパンが『僕の曲は綺麗だけ? それしかない音楽なの?』って怒った話だろう?」


「そうそう。音楽は美しいものだけじゃないって気付かされるよね」


「確かに世の中、綺麗なやり方だけじゃ達成できないものもあるからね」


「何それ? 実体験?」


「まさか」


 2人が話している間、俺は何かするというわけでもなく……その会話をただ羨ましく聞いていた。


 ……羨ましく? なぜ? 仲直りはできた。健一の恋も順調。


 ……何で俺はこんなに泣きたくなっているんだろう。




◇◇◇◇◇




「3人で帰ろう。自転車はひいて行くからさ」


「いいよ。君は?」


「勝手にしろ」


「昨日から冷たくない?」


「いつものことだろ」


 ……確か夏休み前はこのくらい塩対応だったっけな。


「文化祭、1人1曲ずつやって最後は連弾にしようと思ってるんだけど、どう?」


「連弾かー。誰と誰が弾くの?」


「やっぱりここは部長の梨恵ちゃんがやるべきだね」


「私⁉︎ うん、良いけど……じゃあもう1人は?」


 沈黙。

 健一は黙ったまま口を開かない。まるで譲るよと俺に言わせようとしているかのよう。


「待って、どうしたの⁉︎」


「急ぎの用事を思い出した」


 俺は走った。ただ闇雲に。道が合ってるかなんて知らない。何にぶつかるかもわからない。


 でも俺がいなくなれば自動的に連弾は梨恵と健一になる。……もともとは俺が悪かったんだ。俺がこんな邪念を抱かなければ。


「うわっ……!」


 何かの段差に引っかかったのか、体は宙へ投げ出された。その間にバランスは崩れて地に倒れる。


 ……肘がヒリヒリして痛い。これが自業自得というやつなんだろうね。


「はぁ……やっと追いついた」


「梨恵……」


 全力で走ってきたのか、彼女は息切れしていた。


「何で逃げるの?」


「逃げてなんかねえ」


「嘘。さっき君、唇を噛み締めてた。何かあったんでしょ?」


「そんなの……ねえよ」


 と言いつつも、気付けば俺は唇を噛んでいた。


「やっぱり何かあったんだ! どうして? 健一くんとは仲直りしたんじゃないの⁉︎」


「しつこい。どうせ俺みたいな人間に構ったって何も出てきやしないんだ」


「何それ……私はしたくて君の心配してるだけなのに。何でそんな突き放すような言い方っ……」


「もうその辺にしときなよ。純は今、自暴自棄になっているんだ」


「健一くん……」


 ……そうだ、俺は自分の行いを恥じてやけになっているだけなんだ。


「今日は帰らせてあげようよ。文化祭のことはまた日を改めて考えればいいんだし」


「うん……」


 俺は健一の手を借りて立ち上がる。それから誰かが言葉を発することはなかった。


 ……本当にごめん、2人とも。

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