第8話 お祭りデート
「ただし条件が二つある」
「何?」
「まず一つ、俺はコンクールに出ない。もう一つ、俺の過去には触れない。守れるか?」
「……わかった。言う通りにする」
いつもなら何かしら言い返してくるのに、このときの美波はやけに素直だった。
どれだけ俺の家は居心地が良かったんだろうって思ってしまう。
『健一さんからお電話です』
スマートフォンの画面読み上げ機能がそう告げる。
「もしもし、僕だよ。この前の話なんだけどさ」
……この前の話? ああ、デートか。そういえばセッティングするとか言ってしまったような。
「お祭りとかどうかな? 来週の日曜、駅前の神社で18時集合。それを梨恵ちゃんにも伝えてほしい」
「自分で言えよそのくらい。そもそも連絡先知らねえし」
「嫌だよ。僕が言ったらデートだと思われるじゃないか」
……デートじゃないの? というか俺が言ったらデートだと思われないの?
「とにかく、連絡先ならもう送ってあるし頼んだよ。じゃあ」
「おい」
電話はすでに切られていた。
『連絡帳に新たな電話番号が追加されました』
確かに美波の連絡先は送られていた。
「どうしたの?」
「健一がピアノ部で祭りに行きたいんだと」
「それめっちゃ良いじゃん! 夏休みの思い出作りって感じがする!」
「思い出か」
……健一の青春ごっこに付き合わされているだけ。そんな大それたものじゃないよ。
◇◇◇◇◇
「早く支度しろ! お前が家にいることがバレると色々厄介なんだよ」
「そう言ったって君、1人じゃ来れないでしょ」
「俺は健一と行くからいいんだよ。頼むから早くしてくれ」
「しょうがないな」
美波は少しダルそうにあくびをする。
それからサーサーと布が床に落ちるような音が聞こえてきた。
「……おいお前、まさか服を脱いでるのか?」
「うん。支度しろって言うから」
「この変態女! 一声かけてから着替えろ!」
俺は逃げるように部屋を出た。嫌になるくらい自分の顔が熱くなっていく。
「どうせ見えないんだからいいのに」
「そういう問題じゃねえ! 女なんだから少しは気にっ……」
叫ぶように話していたせいか、思わずむせてしまう。
「へえ、気にしてほしかったんだ?」
「はしたない女と住んでると思われたくないだけだ」
「わかりやすい嘘だね」
「嘘じゃねえ」
こんなところをもし健一に見られでもしたら。
『もしそうなら純の全身を引きちぎるけど』
……鳥肌が立ってきた。さっさと着替えて家を出てくれ!
「終わったよ」
そう美波が言ったのはそれから30分経った頃だった。
「長えよ!」
「女子のおめかしは時間がかかるの」
「あーそうかよ。もういいからさっさと行け」
「はいはい」
今日は健一主役のお祭りデート。
橋に行った日から1週間近く経過していた。
その間、美波は約束通り、コンクールに出ろとは言わなくなった。だから前みたいに互いにヒステリックになることはなくなっている。
美波自身もこの1週間で色々と心境に変化があったようだ。
「見て見ておじいちゃん! どう?」
「これはすごい! こんなべっぴんは初めてみたぞ」
「大げさだなー。あっそうだ、夜ご飯はテーブルに置いてあるからちゃんと食べてね! それじゃ行ってきます!」
「うむ。気をつけてな」
下の階からは賑やかな声が聞こえてくる。
2人は本物の家族のようにすっかり仲良くなっていた。
……美波、これがお前なりの答えなのか。
「純、着いたよ!」
それから数分が経って、チャリのブレーキ音が家の前で響く。
「わかった」
俺は美波と違っておめかしをする必要なんてない。適当な服を着て、財布と携帯を持って階段を降りた。
「少年は着物を着て行かないのか」
「着物?」
「さっきの子はそれはもう美しい着物を着ておったぞ」
……だから美波、テンション上がってたんだ。
「俺はいい」
「そうか。じゃあ気をつけて」
「ああ」
……別に話したかったわけじゃないけど、まだ会話はできることはわかったよ。
「来る途中で梨恵ちゃんに会ったよ。僕たちも急ごう」
健一は普段から明るい奴だけど、今日はまた一段とご機嫌だった。
……たかが1人の女に会うためにここまで気分を変えられるなんてある意味尊敬するよ。
「はよー梨恵ちゃん。ごめん、待った?」
「はよー健一くん。ううん全然。この人込みで私も今着いたところ」
「それは良かった。じゃあ早速回ろう。どこ行きたい?」
「んー、じゃあ金魚すくい!」
「いいね。僕もちょうど金魚すくいをやりたかったんだ」
……え、俺いらないじゃん。
俺が入る余地なんて全くなかった。
特に手を貸さなくたって2人は息がピッタリだし、美波も俺と話すときよりはるかに声のトーンは高い。
空気は完全にカップルのそれで、俺は自分の場違い感を思い知らされた。
「純も行くよ」
「え、ああ」
俺がここにいる必要はあるのだろうか。
そう、無意味さを覚えていた。
でも。
「おじさん、お願いします」
「1回300円ね」
健一はお金を払うと、受け取った網を俺に渡してきた。
「何で俺なんだよ」
「ずっと退屈そうにしてるから」
「……お前なあ。今日は美波とのデートだろ? この網はあいつにやれよ」
「いいのさ。せっかく3人で来たんだから純にも楽しんでもらわないと」
どうしようもないお人好しに俺はふと、ため息がこぼれてしまう。
「お前は人に優しくしすぎだ。そんなんで美波を誰かに取られても知らないからな」
「そんな人は純くらいしかいないよ」
「そう思ってんなら尚更だろ」
「……ねえ、さっきから何の話をしてるの?」
小声でやり取りをする俺たちへ美波は顔を近づけて話しかけた。
「いや、こっちの話だよ。さあ早く、純」
「どうやって見えない魚を取るんだよ」
楽しませられた。
お節介な健一のせいで、なんだかんだ俺まで楽しんでしまった。
焼きそばを食べたり、射的をやったり、仮面を買ったり。
こういう感情になったのはいつ振りだろう。健一といる時、美波といる時には感じなかった。
3人が揃って初めてこの感情が芽生えたんだ。
「俺は疲れたから休憩な。健一、行ってこい」
「でも」
「戻ってくるまで動かねえから安心しろ」
「そっか。じゃあお言葉に甘えて」
「おう」
……不器用な俺にできるのはこれくらい。あとは任せた主役。
「健一くん、向こうで何か踊るみたい。行ってみようよ!」
「そうだね」
2人が行ってからすぐに、
『1件の通知が届きました』
メールが届く。
内容は『ありがとう』の5文字。
……健一、頑張れよ。
「私のピアノ壊れちゃった!」
「これは壊れてるわけじゃないのよ」
「でも変な音しか鳴らないもん」
「最初から上手な音なんて出ないわ」
「テレビで見たときはちゃんと音出てた!」
同じベンチに座る親子の会話が聞こえてくる。子供はまだ幼いのか、思い通りにいかないことに地団駄を踏んでいた。
「見せてみろ」
「え、お兄ちゃんピアノ弾けるの?」
「いいから」
「うん……」
子どもが渡してきたのはおそらく……トイピアノだった。膝に乗るほどの小ささではあるけど、決しておもちゃなんかではない。
トイピアニストとして活動をしている人もいるくらいだ。
まずは一曲。
「え、すごいお兄ちゃん!」
「次はこれだ」
俺は簡単な童謡を弾き続ける。すると、その子はベンチの上で飛び跳ねて、嬉しさをあらわにしていた。
「私のピアノは壊れてなかった!」
「ピアノは好きか?」
「うん、大好き」
「じゃあ一緒に弾くぞ」
「いいの? やった!」
俺は子どもの指を一音ずつ丁寧に置いて弾かせる。音が鳴るたびに子どもは笑っていて、その笑顔はこっちまで移ってしまいそうだった。
……懐かしいな。俺も昔はじいちゃんにこんなことをしてもらってたっけ。
「ピアノ直してくれてありがとう! 私、もっと練習してお兄ちゃんみたいになる!」
「娘がお世話になりました。ピアノ、お上手なんですね」
「別にそんなこと、ないです」
「私も娘も感動しましたよ。それでは」
「バイバイ、お兄ちゃん」
それから親子は「すごかったね」、「あなたも見習いなさい」など会話をしながら帰っていった。
……俺は感謝された、のか? 俺はただ、ピアノを弾いただけなのに。
「良かったね」
「美波⁉︎ お前いつから……」
「最初からずっと。あの女の子、すごい幸せそうな顔してた」
「そうか。幸せそうな顔……だったか」
ピアノを弾いて誰かが幸せになる。そんな経験は初めてだった。
「君は今、どんな気持ち?」
俺はこの感情を表す言葉を一つ、美波から教えてもらっている。
「楽しい」
『音を楽しむのが音楽だから』
……こんな当たり前のことに今さら気付くなんて。
「そっか。良かった」
物静かに言った美波の声からは嬉しさが垣間見えた。
だからこそ俺も決断ができたんだ。
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