第17話 湖上での密会

 翌日の業務終了後、リョクに食事に誘われたが、用があると言って断った。最近、どちらかが忙しかったので、リョクとはあまり食事に行けていなかった。

 レンは、コウと待ち合わせ、共に宮廷を出た。門の外に輿が用意されていて、二人はそれに乗り込んだ。一体どこへ行くのだろうと、レンは思った。

 やがて輿が止まり、二人は輿を降りた。目の前には大きな湖が広がっている。そして、湖畔の船着場に小さな屋形船が浮かんでいるのが見えた。

 コウがレンに、

「人目につかないにはうってつけだろう?」と言った。

 二人は船着場へ行った。

 コウが、

「乗れ」とレンを促した。

「はい」

 レンは先に船に乗り込み、屋形部分の引き戸を開けた。中腰になって中に入ろうとして、レンは驚いて動きを止めた。

 中にケイが座っていたからだ。

「どうして……」

「レン?」

 ケイも驚いた様子だった。

 レンは戻ろうと振り返ったが、既に船は離岸していた。

 レンは茫然と立ち尽くした。

 すると、ケイが笑った。

「これは、シュ・コウに謀られたな」

「謀られた……」

 それで、レンは察した。コウは、初めからレンとケイを会わせるために、レンをここへ呼んだという事なのだろう。

「船が戻るまでは逃げ場はないから、入って座りなよ」

 レンは中に入って戸を閉めると、ケイからなるべく遠ざかって座った。

 ケイの前には小さな膳が置かれていて、酒器が乗せられていた。どうやら飲みながら、遊覧を楽しむ趣向だったようだ。

「謀られたけど、久しぶりにレンに会えて、私はうれしいよ」

 レンは思わず目を伏せた。

 ケイがレンにほほ笑みかけて、

「そんなに警戒しなくても大丈夫だ」と言った。

「警戒はしてないよ」

「それなら、せっかくだから話をしよう」

「ああ」

「最近仕事はどう? 相変わらず忙しい?」

「日によるかな」

「仕事は楽しい?」

「楽しいよ」

「そうか。それは何よりだな」

 ケイが杯に酒を注いで口に運んだ。そして、レンを見た。

「レンも飲むか?」

 レンは首を振った。

「いや、いい」

「そうか。他に何か飲み物があれば良かったな」

「俺は大丈夫だ」

「ジョ・リョクとは酒を飲んだりするのか?」

「あまり飲まないよ。リョクは普通に飲めるみたいだけど、俺が飲めないから」

 ケイがフッと笑った。

「ジョ・リョクは紳士なんだな。そういうところも魅力ということか……。レンはジョ・リョクのどういうところが好きなんだ?」

 ケイからそんな事を訊かれて、レンは複雑な気持ちになったが、ちゃんと答えなければと思った。

「真面目で誠実なところだ」

「そうか。今、幸せか?」

「ああ。幸せだ」

 レンはそう答えて、ケイは傷つくだろうかと思ったが、ケイは思いのほか穏やかな表情を浮かべていた。

「そうか。レンが幸せなら良かった。それが一番だ」

 その言葉に、レンの心が痛んだ。もしかしたらケイは、レンへの気持ちをもう吹っ切ったのかもしれない。もちろん、そう仕向けたはずなのだが、いざそれが現実になったのだと思うと、レンは胸が苦しくなるのを抑えられなかった。

 ケイが酒を飲みながら何かを思い出した様子でフフっと笑った。そして、

「昔、木から落ちた時の事、覚えてる?」と尋ねてきた。

「ああ。覚えているよ」

 子供の頃、レンは近所の木に登るのが好きだった。レンが木に登っている時、急にケイに声を掛けられて、驚いて枝をつかみ損ね、地面に落ちてしまった事がある。

「あれはすごくびっくりした。もしかしたら、レンは死んでしまったんじゃないかと思った」

「大袈裟だな。落ちた事なんて、何度もあるよ」

「そんなの、私は知らないし、木に登っている人を見るのも、ましてや落ちる人を見るのも初めてだった。だから、すごく衝撃的だった」

「そうだったのか」

「私は怖くて、レンに恐る恐る近付いた。でも、レンは私に笑って、『びっくりして落ちちゃった』って言ったんだ。私は、ほっとすると同時に、それにもとても驚いた。すごく痛いはずなのに、レンが笑ってたから」

「慣れっこだったからな」

 再び、ケイがフフっと笑った。

「私はあの時、私が急に声を掛けたせいで落ちたから、レンは私を責めるだろうと思っていた。だけどレンは、私を責めたり怒ったりしなかった。レンは、私のせいにはしなかった」

「それは、ケイのせいだとは思ってなかったから」

「それがすごいと思ったんだ。私の周りにそんな人間はそれまでいなかったから。むしろ、どうにかして人のせいにして、責任逃れができないかと考える人間ばかりだった」

 レンの脳裏に、ケイが初めて家に来た時の事が蘇ってきた。ケイが生気のない顔をしていたのは、そんな環境で生きてきたからだったのだろう。

 ケイが続けた。

「それに、初めて私は人が死ぬのが怖いと思った。私は人が死ぬのには慣れていたはずだったんだ。幼い頃から人が死ぬのをたくさん見てきたから、もうなんとも思わなくなっていたはずだった。だけど、レンが死ぬのは怖いと思った。怖くて、怖くて、仕方がなかった。だからレンが元気に笑ってくれて、本当にほっとして、うれしかった」

「ケイ……」

 レンは、ケイがそんな風に思ってくれていたという事がうれしかった。そして、こんな風に自分を想ってくれる人を遠ざけなければならない事を、改めて心苦しく思った。

「レンは、私がそれまでに感じた事の無かった感情をたくさん感じさせてくれた。本当に感謝している。ありがとう」

 レンは感動し、そして、これはケイからの別れの言葉なのだと思うと、悲しくて胸が締め付けられた。

「俺の方こそ、ケイが来てくれたおかげで、たくさんの事を学べたし、一生忘れられない思い出をたくさん作れた。ありがとう」

 レンは様々な感情を押し殺して、ケイに精一杯の笑顔を向けた。ケイもレンに穏やかな笑顔を見せた。

 その後は、当たり障りのない思い出話をした。そうしているうちに、やがて船は船着き場へと戻り、レンとケイは下船した。

 二人の元に、コウがやって来て、ケイに一礼した。

「陛下、輿の準備ができております」

「分かった」

 それから、コウがレンに視線を向けた。

「そなたは、あちらの輿で帰れ。私は陛下の輿に乗る」

「承知致しました」

 こうして、レンはケイと別々の輿に乗り、時間と経路をずらして都へと帰った。

 翌日、レンは仕事をしながらも、ケイの事が頭から離れず、胸が苦しくなっては、ため息をついた。

 執務室で書き物をしていると、リョクがやって来て、レンの隣に座った。そして、筆を取り、

「手伝うよ」と言って書類に手を伸ばした。

「ありがとう」

 手を動かしながら、リョクが、

「今日は予定ある?」と尋ねてきた。

 昨日も断ってしまったし、今日は誘いに乗ってやりたいと思いつつも、気分が乗らなかった。

「ごめん。今日もだめなんだ。明日なら大丈夫だよ」

「そっか。じゃあ、明日、久しぶりにうちに来て食事しないか」

 リョクの家で食事をするというのは、宿泊がセットだ。

「ああ。行くよ」

 レンが答えると、リョクが、

「良かった。じゃあ、用意しておくよ」と言ってほほ笑んだ。

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