第16話 目撃

 ある日の午後、レンは執務室で書類の整理をしていた。そこへ、先輩官吏が二人、話をしながら戻って来た。

「最近よくいらしてるよな」

「何か気になる事でもおありになるのか」

「ただ時間が空いてらっしゃって、視察されているだけかもしれないが」

 レンは何の話だろうと思いつつ、作業を続けた。

 それからしばらくして、レンは他部署へ書類を届けに行った。その帰り道、

「レン」と呼びかけられ、そちらに視線を向けるとリョクがいた。

 リョクは、レンの方に歩み寄ってきた。

「リョクもどこか行くのか?」

 レンが尋ねると、リョクはレンの手をつかみ、

「ちょっと来て」と言って、レンを引っ張って行った。

 レンは、なんだろうと思いつつ、リョクについて行った。

 リョクは会議室にレンを連れて行った。今は、会議は行われていないから誰もいない。なぜこんな所に来たのだろうと思っていると、不意にリョクがレンの腕をつかみ、レンを引き寄せて口づけをした。

 レンは驚いて、頭が真っ白になった。もしかすると、リョクは本当に口づけ中毒になってしまったのだろうかと思った。

 レンはリョクを押しのけて、

「仕事中に何してるんだ」と言った。

 リョクは、

「少しだけ、いいだろ? レン、好きだよ」と言うと、再びレンに口づけをしてきた。演技のはずなのに、本気で言われているような気がして、レンは思わずドキリとした。

 するとその時、外から、

「いかがなさいましたか? 陛下?」という声が聞こえてきた。

 レンとリョクは離れて、入り口の引き戸の方を見た。引き戸は微かに開いている。

「なんでもない」という声と、遠ざかっていく足音が聞こえた。

 レンは青ざめた。今の声はケイだ。リョクと口づけをしているところをケイに見られてしまったに違いない。レンは、ケイには見られたくなかったと思い、胸が痛んだ。

 そして、レンは察した。リョクはケイに見せるために、わざとレンに口づけをしたのだ。執務室での先輩の会話とも繋がった。ケイは、都省へ頻繁に来て、密かにレンの様子をうかがっていたのだろう。

「ケ……皇帝陛下は、よく都省へ来てた?」

 レンが尋ねると、リョクが頷いた。

「ここのところ、ほとんど毎日」

「そうだったのか……」

「そろそろ気付く人も出てきたし、このままではまずいと思ってた」

「そうか……。だから……」

 リョクが申し訳なさそうに、

「ごめん。嫌だったよな」と言った。

「仕方ないよ」

 レンはケイの事を思うと胸が苦しかったが、リョクの手前、そう答えた。

「こうするのが一番効果的だと思ったんだ」

「確かに……。そうかもな」

「不自然じゃなかっただろう?」

「ああ。不自然じゃなかったよ。一瞬、リョクは中毒にでもなったのかと思った」

 レンが言うと、リョクが目を丸めた。

「中毒って、まさか、口づけの?」

「ああ」

 すると、リョクが笑った。

「失礼だな」

「ごめん」

「確かにレンとするのは好きだけど、仕事中に我慢できなくなるほど節操がなくはないよ」

 それを聞いて、今度はレンが笑った。

「俺とするの好きとか、やっぱり中毒なんじゃないのか?」

「違うよ」

 リョクがむっとして顔を赤らめたので、レンは笑いながら、

「冗談だよ」と言い、リョクの肩を叩いた。

 レンとリョクは、それぞれの業務に戻った。

 レンは、その日は忙しく、残業になった。リョクとは約束をせず、仕事を終えると一人で都省の舎殿を出た。辺りはすっかり暗くなっていて、月の明かりに宮廷の庭が青く照らされていた。

《今日は満月なんだな》

 レンは月を見上げた。

 それから、宿舎に向かって歩いていくと、庭園の池に差し掛かった。そして、以前皇后と話をした長椅子の方に目をやると、そこにケイが座っているのが見えて、レンは驚いて足を止めた。

 他の道を行かねばと思ったのだが、一人物憂げに座るケイの姿が気になり、どうしても目が離せなかった。レンは、その場に留まり、ケイの様子を伺った。

 ケイは、遠くからでも分かるぐらい元気がなかった。それは、昼間レンとリョクの口づけを見たせいに違いない。

《ごめん……。ケイ……》

 レンは胸が締め付けられるような思いがした。

 しばらく、レンはケイを見つめていた。しかし、ケイは全く帰るそぶりもないし、そろそろ宿舎へ戻らなければと思った。レンはケイから視線を外し、後ろを振り返った。すると、そこに人影があったので、レンは驚いて、

「うわっ」と声を上げた。

 そこにいたのは、いつもレンを呼びに来ていたケイの側近だった。

 レンは慌てて頭を下げ、

「失礼致しました」と言ってその場を去ろうとした。すると、側近が、

「待て」とレンを呼び止め、

「ここで何をしていた?」と言った。

 レンはまずいと思った。ケイを見ていたのを見られてしまっていたのだろう。一体どれほど前から見られていたのだろうか。そして、自分はどれだけの時間ここにいたのだろうと思った。無意識に、だいぶ長い時間、ここにいてしまったような気がする。

 レンは、下手に取り繕うのはまずいと思い、

「皇帝陛下のお姿が見え、お一人でしたし、いかがなされたのか気になって、様子を伺っておりました」と答えた。

「そうか……」

「では、私は失礼致します」

 レンは逃げるように、その場から立ち去った。

 その翌日の事だった。

 都省での仕事を終え宿舎に戻ると、宿舎の前にケイの側近が立っていた。レンは驚いて一礼した。まさか、久しぶりにケイに呼び出されるのだろうかと思った。

「ソウ・レン。話がある」

 しかし、レンの予想に反して、側近はそう言い、「ついて来い」とレンを促した。

「はい」

 レンは言われるがまま、側近について行った。

 側近はレンを連れて、建物の中に入り、その一室にレンを招き入れると、扉を閉めた。部屋は小さな会議室で、机を挟むようにして椅子が四つ置かれていた。明かりが灯されており、既に準備がされていたようだ。

「座れ」

 側近に命じられ、レンは、「はい」と答えて座った。側近もレンの正面に座った。

「こうして話をするのは初めてだな。私はシュ・コウという」

「……シュ様、お話とは何でしょうか?」

「昨日、なぜあんなに長い時間、陛下を見つめていたのだ?」

 レンは冷や汗をかいた。昨日の答えでは納得してもらえなかったという事なのだろう。

「昨日も申し上げましたが、皇帝陛下がお一人でいらして、気になりましたので、ご様子を伺っておりました」

 すると、コウが鋭い視線をレンに向けた。

「ソウ・レン。私は当然、陛下とそなたの関係を知っている」

 レンの冷や汗は増々ひどくなった。

 コウが続けた。

「陛下はそなたを愛し、そなたも陛下を愛しているように見えた。しかし、そなたは陛下を裏切り、ジョ・リョクと恋人関係となった。そんなそなたが、なぜ今更、陛下が心配などと言い、あのように陛下を見つめていたのだ」

「それは……。陛下の事を大事に思っているからです。恋愛感情がなくても、そういう気持ちはあっても良いのではありませんか?」

「本当に、恋愛感情はないのか?」

 レンは内心動揺したが、平静を装った。

「ございません」

「だとしたら、初めからなかったのか? それとも、初めはあって、途中で冷めたのか?」

「シュ様は私と皇帝陛下が旧知の仲だというのもご存じですか?」

「ああ。知っている」

「私は、初めて皇帝陛下と会った時、陛下の事を女の子だと思っておりました。それで、陛下に恋をしたのです。ですが、陛下は男性で、しかもこの国を統べるお方でした。私の恋は、陛下の正体を知った時に終わったのです。それでも、私の心には、皇帝陛下との思い出が残っております。ですから、私にとって、皇帝陛下は特別なのです。でもそれは、恋愛感情ではありません」

 コウは、少し考える様子を見せたが、

「そうか」と言った。

 レンの説明は今度こそ完璧だったはずだ。ほとんどが真実だから、疑われるはずはない。レンはそう思った。

 コウが、

「明日もまた、業務が終わってから時間を作れるか?」と言った。

 レンは内心、まだ話す事があるのか? と思いつつ、

「可能でございます」と答えた。

「実は、陛下の事で折り入って相談したい事がある。宮廷では話せない事だから、外に場所を用意する」

 レンは、そんな重大な相談事とは一体何だろうと思いつつ、

「承知致しました」と答えた。

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