第4話 再会
レンがケイと別れてから、四年の月日が流れた。
レンは、故郷から離れた山里に住む高名な学者に弟子入りし、その学者の元に下宿していた。
ケイと別れてすぐに、父はレンに、学者への弟子入りを勧めてきた。レンは父の言う通り、学者に弟子入りをしたのだが、最初に弟子入りした学者の元で学べる事は何もなかった。そこで学べる事は、既にケイから借りた本ですべて学んでいた事だったからだ。そこで、最初の師匠が今の師匠を紹介してくれた。レンは、今の師匠に師事して学問を深め、今に至っている。
ある日の朝、レンは、学者の家の前の掃き掃除をしていた。今日も晴れそうだと空を眺めながら箒で掃いていると、馬の蹄の音が近付いて来るのに気付いた。
こんな朝早くに急いで馬を走らせる人など、この界隈にいた事はないから、レンは何事かと思って、音がする方に視線を向けた。
黒い馬が一頭、こちらに向かって駆けて来るのが見えた。馬は、レンの前まで来て止まった。レンは、馬の上の人を見て、息が止まりそうになった。
馬上の人が、
「レン?」
と、レンに尋ねてきた。
暗い地味な色だが、上質な絹でできた服を身に纏った細身の少年だ。声も体つきも男のそれだが、顔を見れば一瞬で記憶が蘇ってくる。馬の上にいたのはケイだった。レンは改めて、自分が生まれて初めて愛した人は、確かに男だったのだと痛感した。
レンは、箒を足元に置くと、ケイに頭を下げた。目の前にいるのは、一国の皇帝である。昔のように気軽に話ができる相手ではなかった。
ケイが馬を降りて、レンに歩み寄ってきた。そして、
「顔を上げてくれ」と言った。
レンは、言われたとおり顔を上げた。すると、ケイがレンの顔をじっと見つめて、感極まった様子で、
「やっぱりレンだ。やっと見つけた」と言った。
ケイはもしかすると、ずっと自分を探していたのだろうかと、レンは思った。レンは、ケイと別れてからすぐに、前の師匠の元に弟子入りした。そして、そこから今の師匠の元に移った。だからケイは、レンがどこにいるのか把握できなかったのかもしれない。
ケイが、
「会えて良かった」と言った。
レンはなるべく気持ちを落ち着かせようと思った。
「畏れながら、皇帝陛下が供も連れず、このような場所へいらしたのは、ゆゆしき事と存じます。一体いかなるご用でしょうか?」
レンの言葉に、ケイが悲し気な表情を浮かべた。
「ずっと、レンに会いたかったんだ。本当はすぐに迎えに来たかったけど、レンが実家からいなくなってしまって……。ソウ氏はレンの居場所を教えてくれなかったし、探すのにこんなに時間が掛かってしまった」
レンの胸が痛んだ。自分の事を四年も探していたというのだろうか。
「なぜ、私をお探しだったのでしょう?」
それでもレンは、平静を装ってそう尋ねた。すると、ケイが表情をこわばらせた。
「レン……。まだ私を許せないのか?」
「私は一介の下級官吏の子。皇帝陛下がわざわざお探しになるような者ではございません」
「レン、お願いだから、そんな風に言わないでくれ。以前のように、親しく接して欲しい」
「あの頃、私は子供でしたし、皇帝陛下とは存じ上げませんでしたため、無礼を致しました。ですが、今は以前のように致す事はできません」
ケイがレンの両腕をつかんだ。
「本当に申し訳なく思っている。レンに本当の事を言えず、結果騙す事になってしまった。だけど、信じて欲しい。私は本当にレンの事が好きだったんだ。ずっと忘れられなかった」
レンはドキリとした。ケイのレンを想う気持ちに偽りがない事は、ずっと前から気付いていた。ただ、男性であるケイがレンに対し恋愛感情を抱いていたという事を、どうしても受け入れる事ができなかった。
「陛下はなぜ、男である私に、そのようなことをおっしゃられるのでしょうか」
「私にとって、レンは世界にたった一人の存在だ。レンと別れてから、一日たりともレンの事を考えなかった日はなかった。レンも私の事を好いていてくれていただろう? 私が男だと分かったら、急に気持ちが変わってしまうものなのか?」
ケイは元々、男色だったのだろうか、とレンは思った。レンがケイを女の子だと思っていたのをいい事に、レンをその気にさせたのだとしたら、やはり許せない。
「畏れながら、子供の頃、私が陛下に恋心を抱いていたのは確かです。ですがそれは、陛下が女性だと思っていたから、そして、皇帝陛下だとは存じ上げなかったからです。私にとってはもう過去の事。終わった事です」
ケイが明らかに落胆した様子で俯いた。これで諦めてくれるだろうか、とレンは思ったが、ケイは再び顔を上げて、レンを力強い目で見つめた。
「レンの気持ちは分かった。だけど、私の気持ちは変わらない。レンが私の事をどう思っていようといい。私の側にいてくれないか?」
「え?」
レンは驚いてケイを見つめた。
「都に一緒に来て、私の側にいて欲しい」
「何をおっしゃられているのですか?」
「私はレンを連れて帰りたい。言っただろう? 必ず迎えに来ると」
「私を連れて帰って、どうするおつもりなのですか?」
ケイはレンを愛人にするつもりなのだろうかと、レンは思った。
案の定、ケイは、
「側に置いて、一生愛する」と言った。
レンはとんでもないと思った。そんな屈辱を、甘んじて受ける事などできない。
レンは、ケイに頭を下げた。
「畏れながら、それはお受けしかねます」
「レン、お願いだ。ただ、側にいてくれるだけでいい。それだけでいいから……」
「いいえ。できません」
「レン……」
ケイは悲しそうな目でレンを見つめた。今にも泣き出しそうな表情だ。それを見て、レンの心が痛んだ。
そして、言うか言うまいか迷ったが、あまりにもケイが哀れに思え、レンは口を開いた。
「私は、今年の官吏登用試験を受けるつもりです」
「え?」
「受かれば、来年入宮する事になります」
それを聞いたケイが、顔を輝かせた。
「本当に?」
「はい」
「良かった。来年都に来るんだ」
「受かれば、です」
ケイが笑顔を浮かべた。
「レンなら絶対に受かる。間違いない。そうか、来年、入宮するのか」
あまりにも素直にケイが喜ぶから、レンは、ほっとしたような、うれしいような、不思議な感情を覚えた。
「ですから、陛下がお考えの『お側にいる』というのとは違うかもしれませんが、お近くには参るかと存じます」
ケイが頷いた。
「分かった。レンが都に来てくれるのなら、それでいい。それまで待っている」
ケイは本当にうれしそうにレンにほほ笑みかけた。それを見て、レンは思わずドキリとした。今も昔も、ケイはストレートにレンに好意をぶつけてくる。
レンはケイに頭を下げ、
「恐縮にございます。ですので、今日はどうか、このままお帰り下さい」と言った。
「ああ。分かった。今日は帰る。レンが都に来る事を本当に待っているからな」
そうして、ケイは都へと帰って行った。
レンは言葉どおり、その年の官吏登用試験を受け、見事合格した。そして、その翌年に上京し、入宮する事となった。
レンは生まれて初めて都に足を踏み入れた。生まれ育ったトンサン市とも、師匠と暮らした山里の村とも全然違う。街には所狭しと建物が建てられ、道には人が溢れ、どこへ行っても賑わっていた。
《都ってすごい……》
レンは、行き交う人々にぶつからないように歩きながら、宮廷の門までたどり着いた。門兵に、新規登用される官吏だと告げると、西の門へ回るように命じられた。西の門には、新規登用官吏用の受付が設けられていた。
受付の官吏が台帳を見ながら、
「名前は?」とレンに尋ねてきた。
「ソウ・レンです」
レンが名乗ると、官吏が台帳に筆で印を付けた。それから、レンを見て、
「君がソウ・レン君か。ちょっとこっちについて来てくれ」と言って、レンを先導して歩き出した。レンは、その官吏の後を付いていった。
門をくぐったその先には、朱塗りの柱に瓦葺の立派な建物が、理路整然と建ち並んでいた。街の雑然とした雰囲気とは全く様子が違う。レンは感動して、辺りを見渡した。
官吏はレンを連れて建物に入り、廊下を進んだ。そして、ある部屋の前に辿り着くと、部屋の扉を叩いた。
「ロ先生。ソウ・レンをお連れしました」
「入れ」
官吏が扉を開けて先に中に入り、レンを中へ促した。
部屋に入ると、奥に机があり、その机の奥に四十から五十歳ぐらいの中年男性が座っていた。
「君がソウ・レン君か?」
男性がレンに尋ねてきた。レンは、
「はい」と答えた。
「こちらへ来なさい」
レンは、男性の方に近付いた。男性はまじまじとレンを見つめ、
「本当に若いな」と言った。それから、
「私は学者のロ・カクだ。官吏の教育を担当している」と自己紹介した。
レンは、カクに頭を下げた。
「新規登用されましたソウ・レンです。よろしくお願い致します」
「君は今回の試験で首席だったおめでとう」
カクの言葉に、レンは驚いて目を丸めた。
「私が、ですか?」
「そうだ」
レンは思ってもみなかった事に驚いたが、首席が取れた事は素直にうれしかった。
「ありがとうございます」
「君は、合格者の中で最年少だし、歴代の首席の中でも最年少だ。本当に大したものだ」
「うれしく存じます。ありがとうございます」
「明日、新規登用官吏の皇帝陛下へのお披露目がある。そこで、首席の君に代表で挨拶をしてもらいたい。明日までに準備をしておいてくれ」
「はい」
レンは答えつつ、皇帝、つまりケイの前で、大勢の新規登用官吏を代表して挨拶をするのだと思うと、一気に緊張感が増した。
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