第2話運ばれてきた状況 杉本医師の疑問

「うーん・・・今西和音ねえ・・・」

病室の隣、小さな相談室のような部屋で、杉本医師は腕を組む。


「何か、お心当たりが?」

高田看護師が杉本医師に尋ねた。


「うん、聞いたことのある名前だよ、その世界では有名な名前」

杉本医師は、何か思い出したようだ。


そして、高田看護師に尋ねた。

「彼の運ばれてきた時の状況をもう一度、教えてくれないか」


高田看護師は数枚の書類を見ながら答えた。

「まずは、ここの病院の少し先の路上で倒れていたようです」

「通報者は倒れていた場所の前の駄菓子屋のご主人」

「ただ、その駄菓子屋のご主人は、この和音君とは面識が無くて」

「救急車に一緒に乗り込んできた、和音君と同じ年ごろの娘さんから、通報を頼まれただけ」

「その娘さんも、いつの間にか、姿を消してしまって」

「駄菓子屋のご主人は、その娘さんとも、全く面識が無いようです」


杉本医師は、少し考えるような表情。

そして再び、高田看護師に尋ねた。

「彼の所持品って、わかる?」


高田看護師は、少し大きめの紺色コーデュロイのトートバッグを手に取り、杉本医師に手渡す。

「はい、学生証と保険証までは確認しましたが」

「お茶の水にある有名大学の一年生です、まだ入学したばかり」


杉本医師は、「ごめんね」とつぶやきながら、そのトートバッグの中身を見る。

そして、大きく頷いた。

「通報の際の関係はよくわからないけれど」

「彼のことは、わかった、思った通り」


高田看護師は、その先を知りたい。

「え・・・杉本先生・・・それは・・・」


杉本医師は、トートバッグの中から、一冊の楽譜を取り出す。

「彼は、ヴァイオリニスト」

「昨年度の難関の若手コンクール優勝者」

「僕も、市民オーケストラに入っているから、名前だけは聞いたことがある」

「何しろ、圧倒的な技巧と情感で、断トツの優勝」


高田看護師は、驚くばかり。

「そんなすごい男の子が道ばたで倒れて、救急車で運ばれ?」


杉本医師は、難しい顔。

「高田さん、まずは、ご両親を呼んで欲しい」

「入院のこともあるし、一時的かもしれないけれど、記憶喪失気味も言わなければならない」

「ただ、面会させるかどうかは、彼がはっきりと目覚めた後の状態で考える」


「わかりました、先生、では早速」

高田看護師は、杉本医師の指示を受け、電話連絡を行うため、相談室を出て行った。


「さて・・・少し時間がかかるかな」

杉本医師も、相談室を出た。

そして、今西和音が眠る病室に再び入る。

「今は、夕方の4時、連絡が取れるだろうか」

「何とかご両親に説明ができればいいが」


ぐっすりと眠る和音を見て、いろいろ考える。

「おそらく、頭部に強い衝撃を受けて、さらにコンクリート路面に倒れた」

「下手をすれば、交通量の多い道路、そのまま轢かれてしまうことも、あり得る」

「しかし、そうではない、頭部に打撲はあるけれど、身体の他の部分には損傷はない」


杉本医師の疑問は尽きない。

「それと、圧倒的な技術と情感で難関のコンクール優勝を果たした彼が、どうして音大に入らないのか」

「確かに、どこの大学に入ろうと、個人の自由とも言えるけれど」

「それと彼の大学はお茶の水と、世田谷もあったな・・・でも、ここは鎌倉だ」

「生活圏も違うだろうに」

杉本医師が今西和音を見ながら、様々考えていると、病室にノック音。


高田看護師が、そっと入って来た。

「杉本先生、連絡が取れました」

「あと、一時間ほどで、ご両親がお見えになられます」

杉本医師は、少し安心したような顔で頷き、今西和音をじっと見つめている。

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